3月5日 丁卯
引付の沙汰事行われざるの由、訴人等愁訴の趣上聞に達するの間、今日評議有り。向
後懈緩の儀無く、早速申し沙汰すべきなり。徒に奉行人等に拘わり持つに於いては、
頭人注し申すに就いて、重科に処せらるべきの旨引付に触れ仰せらると。
3月13日 乙亥 霽
未の刻政所の郭内失火す。廰屋・公文所・問注屋炎上す。御倉等は災を免かる。
3月20日 壬午 雨降る
今日評定衆連署の起請を召す。常陸の介入道行日加判せざるに依ってその衆を離つべ
し。次いで引付衆等別紙の起請を進す。また新制の事今日始めてこれを施行す。引付
の結番これを改めらる。
一番 三日・二十二日
武蔵の前司朝直 出羽の前司入道道空 縫殿の頭師連
伊勢の前司入道行願 清左衛門の尉満定 式部太郎左衛門の尉光政
皆吉大炊の助文幸 島田の五郎親茂
二番 七日・二十七日
尾張の前司時章 筑前の前司入道行善 直講教隆
宮内権大輔時秀 進士次郎蔵人光政 明石左近大夫兼綱
対馬左衛門次郎
三番 三日・十三日
越後の守實時 刑部少輔教時 上総の前司長泰
大田民部大夫康宗 江民部大夫以基 長田左衛門の尉廣雅
佐藤民部次郎業連
四番 七日・二十二日
和泉の前司行方 前の太宰権の少貳入道蓮佐 対馬の前司倫長
刑部権の少輔政茂 壱岐の前司基政 山城の前司俊平
山名中務大夫俊行 雑賀の太郎尚持
五番 十二日・二十七日
秋田城の介泰盛 太宰権の少貳景頼 伊賀の前司時家
信濃判官入道行一 隠岐大夫判官行氏 中山城の前司盛時
佐藤民部大夫行幹 山名の進次郎行直 齊藤次朝俊
3月25日 丁亥 霽
近習の人々の中、歌仙を以て結番せらる。各々当番の日五首の和歌を奉るべきの由定
め下さる。冷泉侍従隆茂・持明院少将基盛・越前の前司時廣・遠江の次郎時通・壱岐
の前司基政・掃部の助範元・鎌田次郎左衛門の尉行俊等その衆たり。