1263年 (弘長3年 癸亥)
 
 

2月2日 壬子 小雨降る。夜に入り庭上雪白し。
  御所に於いて当座の和歌御会有り。これ臨時の儀なり。然れども相州参らしめ給い、
  縡暁更に覃ぶ。
 

2月5日 乙卯
  明日より御祈り有るべきに依って、大阿闍梨左大臣法印の休所として、和泉の前司行
  方の家を点ぜらると。
 

2月8日 戊午 天晴 申の刻雨降る
  今日、相州常磐の御亭に於いて和歌会有り。一日千首、深題懸物を置かる。亭主(八
  十首)・右大弁入道眞観(百八首)・前の皇后宮大進俊嗣(光俊朝臣の息、五十首)・
  掃部の助範元(百首)・證悟法師・良心法師以下作者十七人、辰の刻これを始め、秉
  燭以前篇を終う。則ち披講す。範元一人その役を勤む。
 

2月9日 己未 天晴
  昨日の千首の和歌合点の為、大掾禅門に送らるると。
 

2月10日 庚申 朝間雨降る
  彼の千首合点の後、常磐の御亭に於いて更に披講せらる。今夜合点の員数を以て座次
  を定めらる。第一座は弁入道、第二は範元、第三は亭主、第四は證悟なり。亭主範元
  の下座の儀を以て、対座に着くべきの由称せらるるの処、大掾禅門云く、合点の員数
  を以てその座次たるべきの由、治定先にをはんぬ。而るに一行座に非ざれば頗る無念
  たるべきかと。その詞未だ終わらざるに、亭主座を起ち、範元の座下に着せられんと
  欲す。時に範元また座を起ち逐電するの処、即ち人をしてこれを抑留せしめ給う。ま
  た点数に任せ懸物を分つ。大掾禅門分は虎皮の上に置かる。範元は熊皮、亭主は色革、
  以下これに准ず。無点の輩、その座を縁に儲く。膳を羞むと雖も、箸を撒くの間箸無
  くしてこれを食う。満座頤を解かずと云うこと莫し。掃部の助範元は、去る正月上洛
  の為暇を申すと雖も、この御会に依って内々これを留めらる。懸物の中、旅具に於い
  ては悉く以て拝領すと。