1265年 (文永2年 乙丑)
 
 

2月2日 壬寅 天晴
  御息所相州亭に入御す。これ将軍家二所の御精進に依ってなり。
 

2月3日 癸卯 霽
  将軍家二所御精進の御浜出で。土御門大納言・左典厩・越前の前司・越後右馬の助、
  已上供奉人数輩なり。医師施薬院使忠茂・陰陽道少允晴宗等これを召し具せらる。
 

2月7日 丁未 天晴、風静まる
  将軍家二所御進発。供奉人墻を成すものなり。その中後陣の随兵一騎中下馬橋に於い
  て落馬す。午の刻御息所俄に御悩。仍って人々群参するの処、異なる御事無しと。
 

2月9日 己酉 晴
  丑の刻笠間前の長門の守従五位上藤原朝臣時朝卒す(年六十二)。
 

2月12日 壬子 終日雨降る
  戌の刻将軍家二所より御還向。
 

2月25日 乙丑
  着到の事勘じ申し書くべきの由と。師連奉る。結解の詞然るべからずと。