1265年 (文永2年 乙丑)
 
 

10月2日 丁卯
  前の筑前の守従五位上藤原朝臣行泰法師(法名行善)卒す(年五十五)。
 

10月7日 壬申 天晴
  御所に於いて連歌御会有り。参河阿闍梨圓勇執筆役に候すと。
 

10月14日 己卯
  また御連歌有り。
 

10月17日 壬午 [続史愚抄]
  (前略)菊第(入道前の太政大臣實氏第)に渡御す。撰集春部二巻(続古今集、未だ
  奏覧已前なり)御持参有り。美乃宰相資平をして読ましめらる。次いで和歌の事御問
  答に及ぶと。
 

10月18日 癸未 天晴
  右大弁入道(眞観)京都より参向す。兵部大輔範忠朝臣また下着す。御産無為の事な
  り。但し内々各々勅撰集の事に依ると。

**[増鏡]
  この年比、前内大臣(基家)・為家の大納言・入道行家・光俊の弁入道などうけたま
  はりて、撰歌のさたありつる。只、今日明日、ひろまるべしと聞ゆる。一院(後嵯峨)
  身づからみがかせ給へは、(中略)金葉集ならでは、御子の御名のあらはれぬも侍ら
  ねど、この度は、かのあづまの中務の宮(宗尊親王)の御なのりぞ、書かれ給はざり
  ける。(略)この集をば、続古今と申すなり。
 

10月19日 甲申
  御所に於いて御連歌御会有り。若宮の別当僧正百種の懸物を相具し参上す。凡そ日来
  連々召しに応ずと。
 

10月25日 庚寅 朝雨、午の刻晴に属く
  今日最明寺禅室第三年の御仏事、山内に於いてこれを修せらる。導師は道隆禅師(正
  日は十一月二十二日なり)。
 

10月26日 辛卯 天晴
  貢馬御覧。左京兆・相州以下(水干・葛袴を着す)庭上に列座す。一の御馬は左京兆
  進す騰馬なり。合田の四郎これに騎る。而るに引手等左右無くこれを放つ。馬騰両度
  に及んで合田落ちると雖も重ねてこれに乗り、御前を打ち廻らすの間、高揚二十余度、
  近年此の如き龍蹄無しと。