1265年 (文永2年 乙丑)
 
 

12月5日 己巳 天晴
  夜に入り左京兆亭に於いて当座の続歌会有り。右大弁入道以下の好士等群集すと。
 

12月11日 乙亥 [続史愚抄]
  彗星有り東に見ゆ。長二尺ばかり。
 

12月14日 戊寅 霽
  今暁彗星東方に見ゆ。爰に掃部の助範元最前に御所に参らしめ、客星出見の由これを
  申す。次いで晴茂朝臣彗星の由参り申す。その後、国継・晴平・晴成、彗星勘文を献
  る。
 

12月16日 庚辰 天晴
  将軍家庇御所に出御す。司天等数輩を召し、変異の事を尋ね下さる。土御門大納言・
  左近大夫将監公時・伊勢入道行願・信濃判官入道行一已下人々多く以て簀子に候す。
  司天等位次に任せこれを申す。十三日陰雲の由一同これを申す。晴隆、十四日の暁近
  太白有るの至り、数反客星を窺い見ると雖も、彗星見えざるの由これを申す。範元晴
  耀の由を申す。而るに猶伺い見て子細を申すべきの趣仰せ下さる。太宰権の少貳入道
  心蓮これを奉行す。
 

12月18日 壬午 天晴
  卯の刻彗星出見す。長二尺余。今日小侍所に於いて、明年正月御的始めの射手已下の
  事等その沙汰有り。射手故障等有るは免許有るべからざるの由、群議に及ぶと。相模
  左近大夫将監・弾正少弼等これを奉行す。
 

12月26日 庚寅 [続史愚抄]
  続古今和歌集を奏覧す。撰者は前の内大臣(基家)・入道民部卿(為家)・侍従三位
  (行家)・右大弁入道光俊等なり(元五人たり。而るに前の内大臣家良薨ず。因って
  今四人のみ)。序は一院御製。真名序は前の式部大輔長成。この日先ず春部二巻を奏
  す。周備異日たるべし。
 

12月27日 辛卯 霽
  今夕彗星西方に見ゆ。室宿に有り。芒気二尺余、色白し。

[続史愚抄]
  彗星有り西に見ゆ。長二尺ばかり。色白く、室辟等宿を経る。