1266年 (文永3年 丙寅)
 
 

1月1日 乙未 天晴、風静まる
  椀飯(相州御沙汰)。御簾は前の大納言、御劔は越前の前司時廣、御調度は右馬の助
  清時、御行騰は秋田城の介泰盛。御馬五疋。昏黒彗星西に見ゆ。璧の八度。
 

1月2日 丙申 天晴
  椀飯(左京兆御沙汰)。御簾は前の大納言、御劔は左近大夫将監公時、御調度は左近
  大夫将監顕時、御行騰は備中の守行有。御馬五疋。椀飯已後、将軍家相州の御亭に御
  行始め。御引出物例の如し。御劔は左近大夫将監時村、砂金は左近大夫将監公時、羽
  は左近大夫将監顕時。御馬二疋。
 

1月3日 丁酉 天晴
  椀飯(陸奥の孫四郎義宗沙汰)。御簾は前の大納言、御劔は右馬の助清時、御調度は
  刑部少輔時基、御行騰は対馬の前司氏信。御馬五疋。
 

1月7日 辛丑 天晴
  佐々目法印権大僧都守海入滅す(年六十二)。
 

1月11日 乙巳 去る夜より雪降る。午の刻霽に属く
  今日御弓始め有り。
  射手
   一番 伊東刑部左衛門の尉  渋谷新左衛門の尉
   二番 横地左衛門次郎    小沼五郎兵衛の尉
   三番 早河の次郎太郎    柏間左衛門次郎
   四番 海野の彌六      堤の又四郎
   五番 山城三郎左衛門の尉  平嶋の彌五郎
  今朝、相州鶴岡八幡宮に参らると。
 

1月12日 丙午 天晴
  彗変御祈り。金剛童子法は大僧正隆弁、如法尊星王法は安祥寺僧正、天地災変祭は業
  昌、御使は伊達蔵人大夫。属星祭は国継、御使は池伊賀の前司。
 

1月13日 丁未 晴、未の刻雨降る。酉の刻晴に属く
  将軍家蚊触れの事に依って、今日の御鞠始め延引す。戌の刻彗変御祈りを行わる。陰
  陽少允晴宗御所西庭に於いて如法泰山府君祭を奉仕す。雑事は左近大夫将監宗政朝臣
  沙汰す。鞍馬一疋・裸馬一疋・銀劔一腰を奉献せらるる所なり。この外手箱二合(紺
  絹を納む)・御双紙筥、已上御所よりこれを出さる。御使は常陸の前司。将軍家その
  庭に出御す。
 

1月17日 辛亥 天晴
  将軍家御悩に依って、今日鶴岡御参の事延引す。
 

1月23日 丁巳 [続史愚抄]
  万里小路殿(一院御所)に於いて、彗星御祈りの為、七仏薬師法を始行せらる。阿闍
  梨天台座主前の権僧正澄覺(梶井)。
 

1月25日 己未 霽
  将軍家若宮御魚味。左京兆・相州以下人々出仕せらる。丑の刻佐々目谷焼亡す。
 

1月29日 癸亥 晴陰、或いは小雨
  今日御息所並びに若宮・姫宮始めて左京兆の小町の御亭に入御す。これ将軍家明日よ
  り二所御精進に依ってなり。
 

1月30日 甲子 天晴
  将軍家鶴岡八幡宮に御参り。還御の後二所御精進を始めらる。

[続史愚抄]
  この日、七仏薬師法結願か。