1266年 (文永3年 丙寅)
 
 

2月1日 乙丑 陰、雨降る
  晩泥交りの雨降る。希代の怪異なり。ほぼ旧記を考うに、
   垂仁天皇十五年丙午、星雨の如く降る。聖武天皇の御宇天平十三年辛巳六月戊寅、
   日夜洛中飯下る。同十四年壬午十一月、陸奥の国丹雪降る。光仁天皇の御宇寶亀七
   年丙辰九月二十日、石瓦雨の如く天より降る。同八年、雨降らず、井水断ゆと。
  これ等の変異、上古の事と雖も時の災なり。而るに泥雨始めての例、この時に於いて
  言語道断説うべからずと。
 

2月5日 己巳 天晴
  二所奉幣の御使進発す。
 

2月9日 癸酉 天晴
  午の刻二所奉幣の御使帰参す。その後御息所並びに若宮左京兆の御亭より御所に入御
  す。弾正少弼業時・中務権大輔教時御輿寄せに候す。その外数輩供奉す。還御の期に
  及び、左京兆御引出物を若宮の御方に奉らる。御劔は弾正少弼これを持参す。御馬(鞍
  を置く)は左近大夫将監時村・伊賀左衛門次郎光清。また一疋(裸)は相模の六郎政
  頼・伊賀左衛門三郎朝房等これを引く。御息所の御方には、砂金・南廷等内々これを
  進せらると。
 

2月10日 甲戌 雨降る。日中晴に属く
  将軍家鞠の御坪に於いて御馬御覧。薩摩七郎左衛門の尉祐能・伊東刑部左衛門の尉祐
  頼・波多野兵衛次郎定康等これに騎る。土御門大納言・八條三位公卿の座に候す。一
  條中将能清・中御門少将公仲等の朝臣・左近大夫将監義政・弾正少弼業時已下北の広
  廂に候す。
 

2月20日 甲申 霽
  寅の刻御所に於いて変異等の御祈りを行わる。主殿の助業昌・大学の助晴長・修理の
  亮晴秀・晴憲・大蔵権大輔泰房・晴平・大膳権の亮仲光等南庭に列座し、七座の泰山
  府君祭を勤む。将軍家出御す。縫殿の頭師連これを奉行す。去る十日・十二日御夢想
  有り。源亜相同時に夢を見る。殊に御怖畏と。