1266年 (文永3年 丙寅)
 
 

3月2日 [北條九代記]
  政村正四位上に叙す。
 

3月5日 戊戌 天晴陰、小雨降る
  午の刻雷鳴、南方より北に亘る。降雹、大きさ李の如し。その後晴天。酉の刻また雷
  鳴数声。凡そ時無し。占文の趣甚だ不快と。春の雹下、大兵起こり、五穀熟さず、人
  民餓死すと。但し戌巳の雷鳴は吉文有るの由、宥め申すの輩有り。
 

3月6日 己亥 天晴
  今暁木工権の頭親家内々の御使として上洛す。また諸人訴論の事引付の沙汰を止めら
  る。問注所愁訴の陳状を召し、是非を勘じ申すべきなり。前々申す詞を記さるるの間、
  九人の評定衆に賦せられんが為結番せらるる所なり。
  御評定の日々奏事結番(次第不同)
  一番 三日 十三日 二十三日
   尾張入道見西   越前の前司時廣  宮内権大輔時秀
   伊賀入道道圓   和泉入道行空
  二番 六日 十六日 二十六日
   越後の守實時   中務権大輔教時  出羽入道道空
   信濃判官入道行一 対馬の前司倫長
  三番 十日 二十日 晦日
   秋田城の介泰盛  縫殿の頭師連   少卿入道心蓮  伊勢入道行願
  日参日々
   一番衆(1日・十五日)、二番衆(五日・二十一日)、三番衆(十一日・二十五日)
   政所・問注所及び執事、毎日参らしむべきなり。且つは問注所より、毎日文士二人
   を差し進すべきなり。
 

3月11日 甲辰 天晴
  弾正少弼業時朝臣の室(左京兆の姫君)男子御平産と。
 

3月12日 乙巳 [続史愚抄]
  続古今和歌集竟宴。先ず和歌御会有り。歌仙公卿関白(實経)已下十九人、殿上人蔵
  人頭右中将具氏朝臣已下三人参仕す。(後略)
 

3月13日 丙午 天晴、暮雨下る
  今日姫宮御五十日百日の儀なり。また諸人訴論の事に就いて、定めらるるの篇目等有
  り。所謂、
  一、御評定日々当参の奏事
   兼日名目を勘解由判官に付けらるべし。
  一、事書の事
   御評定の後、執筆の仁、草案事書を進せしめば、一見を加えられ、理致相違無くば、
   対馬の前司に付けらるべきなり。
 

3月27日 庚申 天晴
  相模左近大夫将監宗政の家務、殊に無行と。
 

3月28日 辛酉
  放遊の士に仰せ、鷹狩りを禁遏せらるべきの旨、日来その沙汰有り。諸国守護人に施
  行せらるる所なり。その状に云く、
    鷹狩りの事
   右供祭の外禁制先にをはんぬ。仍って縦え供祭に備うと雖も、その社領に非ず、そ
   の社領たりと雖も、その社官に非ざれば、一切狩りに仕うべからざるの由、その国
   中に相触れしむべし。もし違犯の輩有らば、慥に交名を注し申すべきの状、仰せに
   依って執達件の如し。
     文永三年三月二十八日     相模の守
                    左京権大夫
        某殿(守護人と)
 

3月29日 壬戌 天晴
  この間刑部卿宗教朝臣蹴鞠の事に就いて一巻の勘状を作す。将軍家密々召し出されこ
  れを覧る。これ去る文應二年正月十日御鞠始めの日、当職廷尉行有(出羽)・廣綱(上
  野)・家氏(足利)等その庭に列す。廣綱・家氏上括りの間、この朝臣当日頻りに傾
  け申すの処、同八月十九日旬の御鞠、廣綱重ねてこれを上ぐ。而るに年序を経るの訖
  わり、その三輩の吉凶を見て、彼の数代の例證を比べ、故にこれを草すと。状に載せ
  るの趣は、蓬宮仙洞の間、臨幸に供奉するの臣と云い、蹴鞠に参候するの輩と云い、
  専礼の時上括りの儀無し。就中淳和天皇の御宇天長元年、使の廰を始め置かるる以降、
  廷尉は天子昇霞・九重の廻禄騒動・獄舎巡見等の為、日々楚忽の儀たるに依ってこれ
  を上ぐ。この外の時、上括りの輩、先規多く以て吉事に非ず。所謂後白河法皇の御時
  安元・治承の比、康頼・信房これを上ぐ。成親卿の謀叛に同意し、共に配流出家す。
  壽永・元暦の比、知康・光経これを上ぐ。光経は木曽合戦のその場に於いて失命す。
  知康は遂に坐事出家す。順徳院の御時承久の比、康光・宗仲これを上ぐ。同二年後鳥
  羽法皇熊野山臨幸の時、光俊朝臣(時に靱負佐)これを上ぐ。同三年洛中洪滅す。彼
  の朝臣並びに康光・宗仲等果して出家遁世す。後堀河院の御時、繁茂・行綱これを上
  ぐ。天福元年藻壁門院の御事有り。同じく亡卒す。同二年貎姑射山崩御す。四條院の
  御宇嘉禎の比、光業これを上ぐ。程無く出家早世す。同仁治の比、行親・行盛これを
  上ぐ。至尊晏駕す。その後行盛准后の事に依って出家す。当代、知親これを上ぐ。時
  に宝治の暦果して胡寇境より起こると。
 

3月30日 癸亥 天晴
  御所に於いて当座の和歌御会有り。二條左兵衛の督教定・宮内卿入道禅恵・遠江の前
  司時直・越前の前司時廣・左馬の助清時・右馬の助時範・周防判官忠景・若宮大僧正
  等参候す。僧正風流一脚(百種の蓬莱を以て述懐歌を副うと)を献らる。