1294年(永仁2年 甲午)
 

1月30日 辛巳 雨降る [勘仲記]
  今日小除目を行わるべし。奉行すべしと云々。関東相模左近大夫将監平師時右馬権頭
  に任ずべし。仍って俄にこれを行わる。任人広く及ばず。
   右馬寮
     権頭従五位上平朝臣師時
       永仁二年正月三十日
 

2月24日 乙巳 雨降る [勘仲記]
  東使二人(甲斐宮内大輔宗秀、出羽前司行藤)上洛すと云々。南都合戦の事沙汰を申
  すが故と云々。

2月27日 戊申 晴 [勘仲記]
  東使今出川の第に向かう。前の相国参内すと云々。
 

3月2日 [菊地風土記]
**伏見天皇綸旨案
    異国降伏の祈祷を定め勤行の事
  一 千手供養二時
  一 千手陀羅尼百反
  一 尊勝陀羅尼百返
  一 法華経一部
  一 観世音普門品三十三巻
  右、四月朔より七月晦日に至り、これを勤行せらるべきてえり。依って天気件の如し。
    永仁二年三月二日        権大納言藤原房明(判)
  肥後国圓通寺僧中

3月6日 [肥前来島文書]
**鎮西御教書
  とふひの事、越後国司御奉書案文此の如し。状の如きは、三月二十六日午の刻立つべ
  きの旨、筑前国に仰せられをはんぬ。肥前国分同時に立て継ぐべきの由、嶋々在所へ
  相触るべし。もしその日雨ふらは、同二十七日これを立つべしと云々。壱岐嶋より始
  て、嶋々高き所に火を立てらるべきの間、大嶋には壱岐嶋の煙を守て、その時をたか
  へす、たきヽ多とりつみて、あまたたくへき也。たかいに火のひかり煙を守て、たか
  るへし。大嶋の火を見てたかしまにたきつくへき由、相触れられをはんぬ。異国用心
  御大事なり。更々緩怠有るべからざるの儀候、仍って執達件の如し。
    永仁二年三月六日        修理亮(花押)
  大嶋又次郎殿

3月27日 [豊後廣瀬正雄氏所蔵文書]
**少貳盛経書下
  兵船の事、用意有る輩は、四月十日以前に、要害所に廻し置くべきの由、越後守殿御
  教書を成さる所なり。用意の船有らば、期日以前に、要害に廻し置かるべく候。仍っ
  て執達件の如し。
    永仁二年三月二十七日      前筑後守(花押)
  中村弥二郎殿
 

4月20日 [高野山文書]
**関東御教書
  異国降伏御祈りの事、丹生社に参詣し、祈精を致さしむの状、仰せに依って執達件の
  如し。
    永仁二年四月二十日       陸奥守(花押)
                    相模守(花押)
  中納言法印房
 

6月4日 [讃岐善通寺文書]
**後深草上皇院宣
  讃岐国艮田郷の事、勅願他に異なるに依って、未来の際を限り、当寺に寄附せられを
  はんぬ。後代の牢籠と云い、地頭の濫妨と云い、関東に触れ訴え、その沙汰を致すべ
  し。てえれば、院宣此の如し。これを悉せ。以て状す。
    永仁二年六月四日        左中将(花押)
  善通寺々僧等中

6月29日 [新遍追加]
**関東評定書
  一 弘安合戦与党人の事
   自今以後、賞罰共、その沙汰有るべからず。
 

7月2日
  評に云く、弘安七年四月以前の書下、同じく先の下知相違無きの由落居並びに未断の
  事、これを寄せ置かるべし。但し以前の成敗違うに依るの由越訴する事は、その沙汰
  に有るべからず。

7月13日 [鎌倉大日記]
  東大寺、八幡入洛。東寺若宮に渡し奉る。康和の例と云々。
[勘仲記]
  申の斜に東大寺八幡宮の神輿3基、内裏に振り奉る。

7月14日 壬戌 晴 [勘仲記]
  今朝神輿東大寺に送り奉らる。彼の寺鎮守若宮の神人を召さると云々。

7月17日 晴 [勘仲記]
  南都合戦、両院家の使者、武家に於いて対決を遂ぐと云々。

7月19日 丁卯 晴 [勘仲記]
  南都両主の相論、武家に於いて今日対決を遂げをはんぬと云々。

7月25日 [薩摩比志嶋文書]
**覺恵覆勘状
  下さるる関東御教書異国警固の事、去る六月二十四日より今月二十四日迄、博多津番
  役勤仕せられ候いをはんぬ。恐々謹言。
    七月二十五日          覺恵(花押)
  薩摩国干嶋太郎殿代河田
        右衛門尉殿

7月27日 [東京大学史料編纂所々蔵文書]
**関東御教書
  造東大寺大勧進艮観上人申す周防国諸郷保所務の事、訴状此の如し。地頭等濫妨を致
  すと云々。且つは代々の御下知を守り、且つは先例に任せ、国衙に相従うべきの由、
  下知を加うべし。子細有らば、注し申さるべきの状、仰せに依って執達件の如し。
    永仁二年七月二十七日      陸奥守(花押)
                                        相模守(花押)
  上総前司殿

7月30日 [薩摩新田神社文書]
**島津忠宗覆勘状
  警固役の事、六月より七月に至り、勤仕せられをはんぬ。仍って執達件の如し。
    永仁二七月三十日        忠宗(花押)
  新田宮執印殿代
 

8月2日 [禰寝文書]
**北條時直覆勘状
  大隅国役所今津後濱警固役の事、当国御家人伊佐敷阿古次郎代二郎三郎勤仕せられ候
  いをはんぬ。仍って状件の如し。
    永仁二年八月二日        平(花押)
 

10月10日 [大和尊勝寺文書]
**北條實政施工状案
  造東大寺大勧進艮観上人申す、周防国諸郷保所務の事、今年七月二十七日の関東御教
  書此の如し。早くその旨を存じ知らるべきなり。仍って執達件の如し。
    永仁二年十月十日        前上総介(在御判)
  安田保地頭代
 

12月15日 [岡本文書]
**関東御教書
  東大寺鎮守八幡宮神輿の事、綸旨謹んで承り候いをはんぬ。訴訟の條々急ぎ御沙汰有
  って、神輿帰座を勧めらるべきの由、申しべくの旨候。この趣を以て、披露せしめ給
  うべく候。恐惶謹言。
    十二月十五日          陸奥守平宣時(裏花押)