1295年(永仁3年 乙未)
 

閏2月20日 [東寺百合文書]
**六波羅施行状案
   東寺領丹波国大山庄雑掌祐厳申す、年貢員数を募り、田を分けるべき由の事、
  右、永仁二年十月二十三日関東の御下知状に任せ、その沙汰を致すべきの状件の如し。
    永仁三年閏二月二十日      刑部少輔平朝臣(久時在判)
                    丹波守平朝臣(盛房在判)
 

4月16日 [薩摩新田神社文書]
**島津忠宗覆勘状
  警固番役の事、今年春分、代官を以て勤仕せられをはんぬ。仍って執達件の如し。
    四月十六日           忠宗(花押)
  新田宮執印殿
 

5月2日 [極楽寺文書]
**関東下知状
  信濃の国大田庄雑掌道念と大倉、石村両郷地頭尼代能信と相論年貢の事
  右、訴陳状を召し調べ、その沙汰有らんと欲するの処に、道念の去る三月二十五日の
  和與状の如きは、見絹を以て検納すべきの由、訴訟を経ると雖も、和與の義を以て、
  元の如く両郷分毎年、銭貮拾貫を請け取るべしと云々。この上は異儀に及ばず。早く
  彼の状に任せ沙汰を致すべきの状、鎌倉殿の仰せに依って、下知件の如し。
    永仁三年五月二日        陸奥の守平朝臣(宣時花押)
                    相模の守平朝臣(貞時花押)
 

6月29日
  評に云く、弘安合戦の事、賞罰共に以てその沙汰有るべからず。
 

7月7日
  鷺鳥御所の西御侍に入る。

7月8日 [東大寺文書]
**六波羅御教書
  東大寺衆徒等申す、先の雑掌繁昌の語りを得て、当寺領播磨国大部庄に乱入し、追鋪
  狼藉を致す由の事、重ねて訴状此の如し。先度尋ね下すの処、散状に及ざずと云々。
  何様の事や。今月中参洛せしめ、明らかに申さるべく候なり。仍って執達件の如し。
    永仁三年七月八日        刑部少輔(在判)
                    丹波守(在判)
  久留美庄地頭殿

7月10日
  御所尾張の前司時兼の亭に入御す。

7月19日 [東京大学法学部資料室所蔵]
**東大寺別当御教書
  当寺僧坊衆申す周防国与田の保地頭光朝非法狼藉の間の事、季預快玄の書状此の如し。
  数輩の学侶資縁を失い、□学の窓を凝らし候の条、誠に不便の次第に候、急ぎ道理に
  任せ、御成敗有るべく候の由、東大寺別当前の大僧正御房申すべきの旨、候所なり。
  恐々謹言。
    七月十九日           法印定快
  謹上 相模守殿

7月29日 [白河本東寺文書]
**二階堂行藤寄進状
  寄進奉る
   地一所の事(八条以南八条面廿丈、町以東針小路面廿二丈四尺)
  右、東寺造営用途の為、奉寄件の如し。
    永仁三年七月二十九日      前の出羽守行藤(花押)

7月30日 [筑前中村文書]
**少貳盛経覆勘定
  異国警固博多番役の事、今月一日より同晦日迄、勤仕せられ候いをはんぬ。仍って状
  件の如し。
    永仁三七月三十日        盛経(花押)
  中村彌二郎殿
 

8月2日 [彌寝文書]
**北條時直覆勘状
  大隅国役所今津後濱警固番役の事、当国御家人伊佐敷阿古次郎代二郎三郎を以て勤仕
  せられ候いをはんぬ。仍って状件の如し。
    永仁三年八月二日        平(花押)

8月6日 [彌寝文書]
**為清書状
  佐多彌九郎殿事、おほせかふりて候しかひた、今津に便宜時申て候へハ、さやうにた
  かいめ候事、あさましく候、今年の番役をハ、御めん候へきよし、しそくの御かたに
  申へきよし仰せ下され候、このよしを御つたへ候へく候、恐々謹言。
    八月六日            為清(花押)
  田所殿

8月25日
  連署の起請文を召さる。
 

10月24日
  五方の引付を始める。重事に於いては猶直に聴断す。
 

11月5日
  勝長寿院炎上。

11月14日 [皇年代略記]
  醍醐寺合戦焼亡。

11月18日
  筥根山焼失。

11月30日 [越後中條町役場文書]
**三浦和田氏文書目録
  奥山庄領家御年貢散用状 りやうけのもんしやう
       続加文書目六
  地頭道円の時
  散用状は、一庄勘定使多々良次郎入道々願朱黒自筆状なり、
  一 宝治合戦の時、捨免御教書(案文)、正文は元よりこれ無し、
  一 建治三年四月二十八日道円自筆目録
    この状は、先年和田次郎右衛門の尉殿番の時、口ノ判形ヲ切らるる状なり、
    向後は、用立すべからず候と雖も、道円自筆御状タル間、同じくこれを続加す、
  一 永仁三年十一月三十日公文所勘判茂貞請文(惣領職所見なり)
 

12月7日 [周防国阿弥陀寺文書]
**関東御教書
  周防国阿弥陀寺住侶等申す四至内狼藉の事、甲乙人等の乱入濫妨を停止せらるべきの
  由、去る月九日の綸旨、披露しをはんぬ。仍って執達件の如し。
    永仁三年十二月七日       陸奥守(判)
                    相模守(判)
  良観上人御房

12月19日 [鎌倉大日記]
  東大寺、八幡帰座。

12月27日
  将軍家御嫁娶の儀有り。入道将軍(惟康親王)の御娘。