1297年(永仁5年 丁酉)
 

2月19日
  戌の刻に彗星出現、芒気五六尺。
 

3月1日 [東寺百合文書]
**源泰長請文案
  東寺領大和国平野殿庄雑掌申す當庄土民の事、寺家の下知に背き、寺用を抑留する由
  の事、仰せ下さるるの旨に任せ、下司並びに惣追捕使相触れ候の処、請文此の如く候。
  この旨を以て、洩れ御披露有るべく候。恐惶謹言。
    永仁五三月一日         源泰長(請文裏判)

3月5日 [東寺百合文書]
**伏見天皇綸旨
  東寺造国の事、佐渡・下野両国辞し申す上は、先の如く安藝国を寄附せらるる所なり。
  大小の国役を免除し、急速の造営を致さるべし。てえれば、天気此の如し。これを悉
  せ。以て状す。
    永仁五年三月五日        左衛門権の佐(花押)
  覺一上人御房

3月6日
  評に云く、越訴を止めらる。但し本所の事一ヶ度これを許さる。質券売買地は本主に
  返さるべし。凡下買地は年紀に依らず、利銭出挙沙汰に及ばずと云々。
 

4月18日 [武家年代記]
  未の刻、内裏焼亡(富小路殿)
 

6月12日
  中御所御産。

6月16日
  新誕の若宮薨ず。

6月22日 [肥前青方文書]
**肥前守護代平岡為尚書下案
  肥前国要害所石築地・乱杭・切立破損の事、本役に任せ、来七月中修固を加え、覆勘
  を申さるべく候。仍って執達件の如し。
    永仁五年六月二十二日      右衛門の尉為尚(花押影)
  青方太郎入道殿

6月23日 [武家年代記]
  宗方上洛。
 

7月20日 [武家年代記]
  宗宣入洛。

7月22日 [摂津勝尾寺文書]
**関東御教書
  越訴並びに質券売買地、利銭出挙の事、事書一通これを遣わす。この旨を守り、沙汰
  を致さるべきの状、仰せに依って執達件の如し。
    永仁五年七月二十二日      陸奥守(宣時在御判)
                    相模守(貞時在御判)
  上野前司(宗宣)殿
  相模右近大夫将監(宗方)殿

7月25日 [皇年代略記]
  花園院誕生。
 

8月1日 [早稲田大学所蔵]
**島津忠宗覆勘状案
  警固番役の事、勤仕せられをはんぬ。仍って執達件の如し。
    永仁五八月一日         忠宗(在判)
  原田四郎殿

8月4日 [禰寝文書]
**大隅守護北条時直覆勘状
  大隅国役所今津後濱警固番の事、当国御家人佐多阿古二郎勤仕せられをはんぬ。仍っ
  て状件の如し。
    永仁五年八月四日        時直(花押)

8月26日
  丑の刻に客星東方に見ゆ。その体粉絮の如し。

8月27日 [出雲鰐淵文書]
**関東御教書
  日吉社領出雲国漆治郷雑掌申す所務の事、重ねて訴状此の如し。状の如きは、平賀蔵
  人三郎入道妻平氏、御下知に背き、下地を抑留し、国衙使を相語らい、狼藉を致しを
  はんぬ。事実ならば、その咎を招くものか。早く尋ね沙汰せらるべきの状、仰せに依
  って執達件の如し。
    永仁五年八月二十七日      陸奥守(花押)
                    相模守(花押)
  上野前司殿
  相模右近大夫将監殿
 

9月29日
  評定、逢懸越訴の事、奉行人として出仕の引付沙汰すべきの由これを仰せ出さる。
  一時村、二師時、三道西、四恵日、五蓮瑜
 

10月5日 [近江菅浦文書]
**六波羅下知状案
  近江国菅浦供御人等申す、守護使勝浄、馬太郎、籐二郎等、大浦庄住人等の語を得て、
  供御人を搦め取り、銭貨以下の物を奪い取る由の事、重ねて訴状此の如し。早速論人
  等を召し進さらるべく候なり。仍って執達件の如し。
    永仁五年十月五日        右近将監(判)
                    上野介(判)
  佐々木備中前司殿
 

12月10日 [薩摩二階堂文書]
**関東御教書
  懐島隠岐入道後家申す、子息三郎左衛門の尉泰行暫く関東に参るべき由の事、御免有
  る所なり。その旨を存ぜらるべきの状、仰せに依って執達件の如し。
    永仁五年十二月十日       陸奥守(花押)
                    相模守(花押)

12月17日 [鎌倉大日記]
  親王式部卿。

12月24日 [筑前雷山文書]
**少貳盛経請取
  関東御祈祷並びに異賊降伏の御為の事、当山に於いて大般若経・最勝王経を転読せら
  れ、不動供養法を勤修せられ、巻数一枝を給い候いをはんぬ。注進すべく候。仍って
  執達件の如し。
    永仁五年十二月二十四日     前筑後守(花押)
  雷山院主御房(御返事)