1306年(嘉元4年、12月24日改元 徳治元年 丙午)
 

3月21日 [鎌倉大日記]
  最勝園寺殿移徙。

3月28日 [鎌倉大日記]
  評定始め。
 

4月7日 [白河本東寺文書]
**六波羅御教書
  大和の国平野庄雑掌重舜申す河内の国御家人高安太郎濫妨狼藉の事、領家の状(訴状
  具書を副う)此のの如し。子細を相尋ねんが為、早く参洛すべき旨相触れらるべし。
  仍って執達件の如し。
    嘉元四年四月七日        越後守(貞顕在判)
                    遠江守(時範在判)
  大内弥三郎入道殿
  酒匂左衛門八郎殿

4月25日
  将軍二所御参詣。御代官長井兵庫の頭貞秀。
 

5月13日
  竹園に和歌の御会有り。題、月前郭公、寄竹祝。
 

7月19日
  御息所(惟康親王御娘)卒す。仍って将軍家山内最勝園寺殿に入御す。その後民部入
  道の宿所に入御す。
 

10月9日
  潮音院禅尼逝去す。

[武家年代記]
  松岡殿御卒(潮音院殿の御事なり。最勝園寺殿母儀なり)。