1307年(徳治2年 丁未)
 

1月28日
  引付頭、一熈時、二国時、三基時、四時高、五維貞、六顕実、七道雄
 

2月29日 [金沢文庫文書]
**金沢貞顕書状
  第候、兼ねてまた関東代官として、近日賀島左衛門の尉季實を下し進し候、その間聞
  こし食さるる事候は、委細注し給い候は悦び入り候、諸事季實下向の時申すべく候、
  また京都当時殊なる事無く候、恐々謹言。
    二月二十九日          越後守(花押)
  明忍御房(御返事)
 

3月23日 [肥後武雄神社文書]
**平岡為政覆勘状案
  異賊警固、肥前の国嘉元四年博多在津番役の事、一ヶ年内、二百六十日勤仕せられ候
  いをはんぬ。仍って執達件の如し。
    徳治二年三月二十三日      為政(在判)
  武雄大宮司入道殿

3月25日 [前田家所蔵文書]
**関東御教書
  西国並びに熊野の浦々海賊の事、近日蜂起するの由その聞こえ有り。早く警固致し、
  搦め進すべきの状、仰せに依って執達件の如し。
    徳治二年三月二十五日      陸奥守(宗宣花押)
                    相模守(師時花押)
  河野六郎殿
 

5月9日 [三浦家文書]
**関東御教書
  平子如円と弟彦六郎重有と相論す、周防の国仁保・多々良庄等の内田畠の事、下知状
  両通(両方和与状を副う)此の如し。早く彼の輩に給うべきなりてえり。仰せに依っ
  て執達件の如し。
    徳治二年五月九日        陸奥守(花押)
                    相模守(花押)
  武蔵右近大夫将監殿
 

7月26日 [皇年代略記]
  後宇多院出家。
 

10月2日 [武家年代記]
  春日の神木入洛し法成寺に有り。これに依って伊地知右近将監、齋藤新兵衛の尉同二
  十二日に京を立ち東に下る。