1309年(延慶2年 己酉) [武家年代記]
 

1月14日 [金澤文庫文書]
**順覺書状
  せられて候しかとも、皆返され候いをはんぬ。若宮殿より、さ様事ゆめゆめ有るべか
  らず候よし申され候の間、これらの如く候なり。また昨日六波羅殿御下向候、目出思
  い給い候、定めて御悦びも候らんと察し奉り候、恐惶謹言。
    正月十四日           順覺(花押)
  称名寺御侍者

1月17日 [金沢文庫文書]
**金澤貞顕書状
  昨日参拝殊に悦び入り候、且つ寺中御修造、喜悦の外他事無く候、兼ねてまた彼の事
  申し合うの処に、御元服以後申さしむべきの由、計らい申され候の間、その旨を存じ
  しめ候なり。また御元服(高時)御劔役の事、仰せ下され候の際、面目極まり無く候、
  恐々謹言。
    正月十七日           貞顕
  称名寺長老

1月21日 [金澤文庫文書]
**高時元服献上品注文
  御むま     おし   の
          ゑとうのまこ大
    殿之御ふん
  御たち     なかさきの四郎さへもん
  かね      なかさきのしんひゃうへ
  御むま     なかさきのまこ四郎さゑもん
          いたやのいや五郎
    ゑんきゃう二年正月二十一日
 

2月26日 [肥前実相院文書]
**肥前守護北條政顕書下案
  異賊の事、襲い来るべきの由その聞こえ有り。殊に丹誠を抽んで、懇祈を致すべきの
  旨、肥前の国宗たる寺社惣官に相触れ、早速請文を執進せらるべきの状件の如し。
    延慶二年二月二十六日      前の上総介(御判)
  守護代

[長門一宮住吉神社文書]
**某書下案
  唐船帰朝し、異賊蜂起候の間、御判の御書下加様に候、随って寺社を修理せしめ、御
  祈祷の忠を致さるべく候、その為御判の御書下、具に遣わし候、恐々謹言。
    延慶二年二月二十六日      判(これ在り)
  一宮神官供僧中

2月27日 [肥前実相院文書]
**肥前守護代長門左衛門入道施行状案
  異賊降伏御祈祷の事、今月二十六日の御教書此の如し。早く仰せ下さるるの旨に任せ、
  殊に丹誠を抽んぜらるべく候、仍って執達件の如し。
    延慶二年二月二十七日      沙彌(在判)
  河上社大宮司殿

2月29日 [皇年代略記]
  東大寺八幡の神輿入洛。
[神明鏡]
  熊野より凶徒起て権現の神輿を船に乗奉り、伊勢島を回り、安濃津に付たりしを鎮ら
  れけり。
 

3月15日
  引付頭、一熈時、二国時、三貞時、四基時、五斎時、六維貞、七顕実
[金澤文庫文書]
**金澤貞顕書状
  昨日夕方、城の介御使いとして、評定出仕並びに三番引付管領の事、仰せ下され候の
  間、面目極まり無く候、また座次の事、相違無く候、悦び入り候、諸事この程ニ参り
  申すべく候、恐々謹言。
    三月十五日           貞顕
 

5月27日
  評に云く、安堵の御下文を成さる所領の事、右御下文有りと恣に押領するの条、太だ
  以て奸濫なり。然る所領に至ては、御下文の外題に任せ沙汰を付すべし。相論に至り
  ては、理非に就いて成敗せらるべし。自今以後、もしこの制法に背かば、所領を収公
  せらるべし。所帯無きは流刑に処せるべし。
 

6月8日
  美作左−周時逝去す。

6月29日 [尊経閣所蔵文書]
**関東御教書
  西海並びに熊野浦の海賊の事、警固致すべきの由、先日仰せ下されをはんぬ。而るに
  鎮西に居住すと云々。早く伊豫の国に帰り、賊徒を誅伐せしむべきの状、仰せに依っ
  て執達件の如し。
    延慶二年六月二十九日      陸奥守(花押)
                    相模守(花押)
  河野対馬守殿
 

7月
  引付六方と成す。一番頭駿河守国時、二、越後の守貞顕、三、讃岐の守基時、四、尾
  張の守斉時、五、右馬権助維貞、六、兵部大輔顕実。

7月3日
  若宮の別当前の大僧正道瑜入滅す。

7月16日
  江馬遠江政俊卒す。

7月19日
  民部少輔公貞卒す。

7月23日
  名越備前の前司宗長法師(法名定証)逝去す。

7月28日 [皇年代略記]
  日吉の神輿入洛。
 

8月
  熈時頭を止む。

8月18日 [三浦家文書]
**周防守護平時仲施行状
   周防の国多々良庄内法興寺並びに仁保庄内極楽院免田以下の事
  右、徳治二年四月七日の関東の御下知に任せ、平子如圓領掌せしむべきの状、件の如
  し。
    延慶二年八月十八日       前近江守平(花押)

8月20日
  将軍御馬始め。

8月24日 [宇都宮文書]
**将軍家政所下文
  将軍家政所下す
   早く三浦の介時明法師(法名道朝)領知せしむべき村並びに小次郎知貞跡の事
  右、出雲の国金澤郷田地替えとして、充て行わるる所なり。てえれば、早く先例を守
  り、沙汰致すべきの状、仰せの所件の如し。以て下す。
    延慶二年八月二十四日      案主菅野
   令左衛門少尉藤原         知家事
   別当相模守平朝臣(花押)
     陸奥守平朝臣(花押)
 

9月5日 [皇年代略記]
  東大寺の神輿帰座。
 

12月5日 [皇年代略記]
  日吉の神輿帰座。