2月18日
引付頭、一熈時、二国時、三基時、四斎時、五維貞、六顕実
2月29日 [若狭明通寺文書]
**関東御教書
異国降伏御祈りの事、駿河・伊豆・武蔵・上野・若狭等の国の寺社に於いて、精誠を
致すべきの由、厳密に別当・神主に相触るべきの旨、守護代に下知せしめ給うべきの
由、仰せ下され候なり。仍って執啓件の如し。
延慶三年二月二十九日 陸奥守(在御判)
相模守(在御判)
謹上 最勝園寺入道殿
[肥前実相院文書]
**関東御教書
異国降伏御祈りの事、肥前・肥後・豊前三ヶ国の寺社に於いて、精誠を致すべきの由、
厳密に別当・神主に相触るべきの状、仰せに依って執達件の如し。
延慶三年二月二十九日 陸奥守(御判)
相模守(御判)
上総前司殿
[薩摩旧記]
**関東御教書
異国降伏御祈りの事、薩摩の国寺社に於いて精誠を致すべきの由、厳密に別当・神主
に相触るべきの状、仰せに依って執達件の如し。
延慶三年二月二十九日 陸奥守(御判)
相模守(御判)
嶋津下野入道殿
3月24日
大洪水。
4月29日 [摂津国古文書]
**関東御教書案
摂津の国経嶋升米・置石等の事、永代東大寺八幡宮に寄附せらるる所なり。嶋修固に
於いては、寺家その沙汰を致し、余剰を以て顕密御願の料所たるべしと云々。早く去
々年十二月二十七日の院宣に任せ、沙汰を致さしむべきの状、仰せに依って執達件の
如し。
延慶三年四月二十九日 陸奥守(判)
相模守(判)
7月
両国司並びに評定衆以下自筆の起請文を召さる。
[班目文書]
**関東引付衆結番交名注文案
一番引付
武蔵守 安藝守 掃部頭入道 宮内権大輔
因幡民部大夫入道 伊勢前司 筑前権守 齊藤十郎左衛門尉
下郷中務丞 雑賀孫二郎 南條四郎左衛門尉 越中左近蔵人
延慶三年七月二十一日、引付に於いて問答を遂げ、同二十八日事書取り捨てられ
をはんぬ。
同八月二日、御評定ニ合両国司以下の評定衆大略皆参ると云々。蓮性・重秀等遅
参するの間、内談有って、観聖所持の譲り状並びに蓮性承伏の類書を以て御下知
等ばかり披露しをはんぬ。次いで沙汰の最中、蓮性参上せしめ、再度庭中せしむ
と雖も許容無し。仍って則ち退出しをはんぬ。
8月23日 [摂津国古文書]
**六波羅御教書案
摂津の国経嶋升米・置石の事、永代東大寺八幡宮に寄附せらるる所なり。嶋修固に於
いては、寺家その沙汰を致し、余剰を以て顕密御願料所たるべしと云々。早く今年四
月二十九日の関東御教書の旨に任せ、その沙汰を致すべきなり。仍って執達件の如し。
延慶三年八月二十三日 越前守(貞房判)
左馬権頭(判)
11月6日
安養院より失火す。焼失の所々、勝長寿院、法花堂、神宮寺、浄光明寺、多寶寺、理
智光院、椙本、田代、二階堂の大門、荏柄社、その外の堂社その数を知らず。将軍の
御所、最勝園寺禅閤の舘、当国司以下の大名、小名の宿館等大略焼失しをはんぬ。前
代未聞の由その沙汰有り。
[甘糟文書]
**関東御教書
去る延慶三年十一月十六日炎上の時、鶴岡八幡宮東門に於いて、燭を撲消せしむの條、
御感有る所なり。てえれば、仰せに依って執達件の如し。
正和二年六月八日 相模の守(熈時花押)
美作権の守
11月15日 丁亥 [花薗天皇宸記]
関東所貢の砂金等種々の物例の如し。