1311年(延慶4年、4月28日改元 応長元年 辛亥)
 

1月16日 [武家年代記]
  踏歌節会の時、北方(武州貞顕)祇候人鵜沼孫左衛門の尉等勝事を引き出すの刻、滝
  口平有世、装束使出納代行氏、掃部寮藤井安国失命しをはんぬ。狼藉人の内孫左衛門
  の尉、左兵衛の陣(富小路西棟門)に於いて打ち留められをはんぬ。今一人同八郎紫
  宸殿に於いて自害す。この事に依って飯尾兵衛大夫為定、沼田三郎為尚関東に進せら
  れをはんぬ。

1月23日 [廣義門院御産記]
**関東御教書
  廣義門院御産御祈りの事、急速に沙汰進すべきの由、西園寺前の左大臣家へ申し入る
  べきの状、仰せに依って執達件の如し。
    延慶四年正月二十三日      陸奥守(判)
                    相模守(判)
  右馬権頭殿
  越後守(時敦)殿
 

3月16日 [東大寺文書]
**六波羅御教書案
  東大寺衆徒等申す、山城の国賀茂庄悪党源佛以下の輩、夜討ち強盗を致す由の事、重
  ねて訴状具書、度々触れ遣わすの処、道行せずと云々。使節緩怠の致す所か。所詮、
  不日に彼の所に莅み、法に任せその身を召し進すべし。且つは起請の詞に載せ、子細
  を申さるべきなり。仍って執達件の如し。
    延慶四年三月十六日       越後守(御判)
  春近馬允殿
  服部平三殿

* 三月以後五月の比に至り、三日病流布す。
[武家年代記]
  三月中旬以後五月中、三日病平均なり。鎮西より京都に至り、関東より奥州に至る。
  都鄙の甲乙人脱がる人少なし。病多々と云々。これに依って改元、京都は四月二十八
  日これを書き始めらる。関東は五月八日吉書始めと云々。
 

閏6月9日 [金沢文庫文書]
**金沢貞顕書状
  愚身御恩の事、康幹を以て去年より申し入れ候いをはんぬ。御沙汰無きに依って、今
  に遅々候の処、近日御沙汰有るべく候由、承り及び候、而るに或る方より不思議の事
  申いたされて候なり。その故は、今度注進の事、愚身罪科のかれかたく候へとも、無
  為に落居候いをはんぬ。愚身か悦喜これにすくへからす候、この上は、御恩有るべか
  らざるの旨申され候なる、歎き入り候、今度の事ハ、子細有り候、条々委しく示し給
  い候、ことに恐悦に候、この状憚り存じ候、御一見の後は、早々火中に入れしめ給う
  べく候、恐々謹言。
    後六月九日           前の越後の守貞顕
  謹上 称名寺方丈(御報)
 

7月28日 [東寺百合文書]
**六波羅御教書案
  東寺領安藝の国勅旨雑掌頼有申す、大甞會米神部の語りを得て、年貢を奪い取る由の
  事、一和尚の状(訴状具書を副う)此の如し。早く参決せらるべきなり。仍って執達
  件の如し。
    応長元年七月二十八日      越後守(時敦在御判)
                    前越後守(貞顕在御判)
 

8月7日 [山城離宮八幡宮文書]
**六波羅御教書
  八幡宮大山崎神人等申す、淀・河尻・神崎・渡辺・兵庫以下の諸関津料の事、子細有
  尚・頼成を以て言上候、この旨を以て、御披露有るべく候、恐惶謹言。
    八月七日            越後守平時敦(裏花押)
                    前越後守平貞顕(裏花押)
  謹上 左京権大夫入道殿

8月10日 [山城離宮八幡宮文書]
**某挙状
  八幡宮大山崎神人等申す、淀・河尻・神崎・渡辺・兵庫以下の諸国津料の事、武家並
  びに使者の申す詞此の如し。奏聞せしめ給うべきの状件の如し。
    八月十日            (花押)
  頭宮内入道殿

8月24日 [鎌倉市立図書館所蔵]
**関東御教書
  安房の国群房西の庄の雑掌申す、宗正検注の事、重ねて訴状これを遣わし、下知の御
  教書叙用せずと云々。甚だ謂われ無し。不日にその節を遂ぐべきの状、仰せに依って
  執達件の如し。
    応長元年八月二十四日      陸奥の守(大佛宗宣花押)
                    相模の守(熈時花押)
  山城源太殿
 

9月22日
  従四位下行相模の守平の朝臣師時卒す。
 

10月25日
  引付頭、一国時、二基時、三斎時、四維貞、五顕実

10月26日
  最勝園寺入道卒す。
[保暦間記]
  最勝園寺入道死去。息男高時(時に左馬権頭)、彼の跡を継ぐ。今年九歳なりける。
  宗宣、熈時等将軍の執権をしけり。
 

11月3日 庚子 天晴 [花薗天皇宸記]
  相模の守貞時法師死去の由、仙洞に奏聞せしむと云々。仍って天下触穢儀なり。然れ
  ども毎日の石灰壇拝これを停止せず。諸社の祭延引せしめ、春日の臨時の祭、穢限以
  後行わるべきなり。新嘗祭三十日たるべしと云々。

11月26日 癸亥 天晴 [花薗天皇宸記]
  今日関東の事三十日を過ぎをはんぬ。仍って今日より笛を吹さしむ。

11月27日 甲子 天晴 [花薗天皇宸記]
  今日大原野の祭なり。内侍参向す。兼季卿参り申して云く、関東の事三十日を過ぐと
  雖も笛を吹くべからず。先例、飛脚京着奏聞の後、三十日過ぎ後、奏時評定等有るべ
  し。仍ってなお笛を吹くべからざるの由、院の仰せ有りと云々。
 

12月5日 壬申 天晴 [花薗天皇宸記]
  明日臨時の祭御馬御覧なり。清涼殿東庭に於いてこれを覧る。関東の事に依ってこれ
  に乗らず。ただ引き廻し退出す。