1314年(正和3年 甲寅)
 

2月14日 [皇年代略記]
  河東の辺焼亡。
 

3月12日 丙申 天晴 [花薗天皇宸記]
  春日の神木金堂に遷座すと云々。これ多武峯合戦の事に依って、関東南都の張本を召
  すの故なり。近日諸社嗷々、恐懼極まり無し。これ併しながら朕の不徳に依るか。

3月14日 戊戌 天晴 [花薗天皇宸記]
  去る夜子の刻に神木木津に遷座すと云々。驚歎極まり無きものなり。

3月15日 己亥 天晴 [花薗天皇宸記]
  この暁神木宇治平等院に遷座すと云々。未の刻に世間騒動す。子細を相尋ぬるの処、
  神木只今入洛す、仍って此の如しと云々。この説虚説なり。神木今日入洛有るべから
  ずと云々。明暁寅の刻に入洛すべきの由風聞有り。但し未だ必定を知らざるものなり。

3月17日 [武家年代記]
  神木法城寺に入洛す。神木の事に依って、松田平内左衛門の尉頼秀、飯尾玄番左衛門
  の尉時清等東に下る。閏三月十三日京を立ちをはんぬ。

[花薗天皇宸記]
  酉の刻ばかりに神木すでに入洛するの由風聞す。諸門番衆群集す。戌の一点に神木す
  でに三條の辺と云々。仍って朕直衣を着し庭上に下る。忠兼朝臣劔を取り候。侍臣等
  脂燭を指す。神木法城寺に着御の後朕入内す。
 

閏3月4日 [武家年代記]
  男山八幡宮の神輿入洛す。東寺、これに依って高木六郎並びに官人章右等遠流せらる
  べきの由、御沙汰有るの処に、或いは逐電或いは遁世と云々。

[東寺雑抄]
**伏見上皇院宣
  八幡の神輿入洛。東寺に安置せらるべく、急ぎ下知せしめ給うべきの由、新院御気色
  候所なり。仍って執達件の如し。
    後三月四日           兵部卿定資
  長者僧正御房
   追って申す
    今間還御有るべく、時刻を廻らさず、下知せられ給うべく候なり。
 

4月6日 [東寺雑抄]
**東寺長者御教書
  当寺南大門並びに八幡宮東北の両門等、石清水の神人すでに閉門しをはんぬるか。以
  ての外の次第の旨、馳せ申し入れ候、この旨を以て、計らい御沙汰せしめべく候や。
    卯月六日            権大僧都
  別当法印御房

4月8日 [東寺雑抄]
**東寺長者御教書
  石清水八幡宮神輿当寺に御座すの間、今日稲荷祭礼延引すべきの由、五社神官等申せ
  られ候、何様たるべく候や。且つは去る永仁五年東大寺八幡宮神輿御座有りと雖も、
  当寺稲荷祭礼式日曽って延引及ばず候上は、先規無きに非ずか。神供すでに調え儲く
  と云々。今日もし延引候は、重ねて調進するの條、非儀たるべく候由、当寺の寺官・
  神人等言上し候。急ぎこの旨を以て、御披露せしむべく候や。
    卯月八日            権大僧都
  別当法印御房

**伏見上皇院宣案
  当寺閉門の事申し候の処、八幡宮神輿帰坐の事沙汰し候。今日御帰座候は、開門候か
  の由、仰せ下され候なり。謹言。
    四月八日            治部卿俊光

4月13日 [武家年代記]
  午の刻に帰座。源氏の上臈並びに在京人等御供奉。在京人は甲冑を着す。
 

5月の比
  神々異賊に対し合戦有るの由、鎮西よりこれを注進す。

5月1日
  京都に於いて新日吉の神人と六波羅(北方)の使向山刑部左衛門の尉と闘乱を致すと
  云々。
[花薗天皇宸記]
  今日聞く、新日吉社に於いて、武士と日吉の神人等と喧嘩の事有りと云々。武士三人
  殺され、神人多く武士の為に殺さると云々。また武士新日吉社宝殿を破却すと云々。
  希代の珍事か。

5月3日、6日 [武家年代記]
  山門の大衆六波羅に発向すべきの由、その聞こえ有って、武士六波羅に馳せ集まりを
  はんぬ。

5月7日 庚申 朝間天晴、晩に及んで雨降る [花薗天皇宸記]
  今日山門の衆徒、貞顕(六波羅北方なり)と合戦の為押し寄すべきの由風聞す。仍っ
  て京中騒動し、武士多く六波羅に馳せ向かうと云々。

5月8日 辛酉 天晴 [花薗天皇宸記]
  夜に入って比叡山上に火有り。五六町を連ぬ。これを見て武士騒動し六波羅に馳せ向
  かうと云々。暁天に及んで退散すと云々。
 

6月1日 癸未 天晴 [花薗天皇宸記]
  今日関東の使長崎四郎左衛門(実名を知らず)京に着くと云々。

6月3日 乙酉 天晴 [花薗天皇宸記]
  今日聞く、昨日東使入道左府を以て申す。座主公什僧正所職を改められ、所領悉く召
  さるべし。また新日吉喧嘩人の張本、三門跡に仰せられ召さるべしと云々。

6月4日 丙戌 天晴 [花薗天皇宸記]
  東大寺八幡神輿入洛有るべきの由風聞す。

6月29日 [萩藩関閲録]
**六波羅御教書案
  海賊人右衛門五郎の事、伊豫の国高市郷代官景房搦め渡さしめ候由、守護代信重注し
  申すの條、殊に神妙なり。仍って執達件の如し。
    正和三年六月二十九日      越後守
                    武蔵守
  兒玉小四郎殿
 

7月21日 [小早川家文書]
**六波羅御教書
  海賊人雅楽左衛門次郎の事、伊豫の国高市郷代官景房搦め渡さしむの由、守護代信重
  注し申すの條、殊に神妙なり。仍って執達件の如し。
    正和三年七月二十一日      越後守(花押影)
                    武蔵守(花押影)

7月28日 [武家年代記]
  地頭を南都に補せらるべきの由、御下文等公人及び在京人等に下し給いをはんぬ。仍
  って八月十六日神木帰座す。籐氏の上臈行幸の儀式を以て二条京極迄供奉す。
 

9月23日 [松平文書]
**関東御教書
  筑前の国宗像社造営の事、執り進せらるる所の損色注文の如きは、壱万千六百拾弐貫
  百二十文と云々。以て嘉元二年より応長元年に至つ已上八箇年、兵粮旧米の内壱千石、
  且つは下し行わるべきの條、仰せに依って執達件の如し。
    正和三年九月二十三日      相模守(熙時花押)
 

10月4日 [公衡公記]
  景繁示し送りて云く、東使行暁(二階堂行貞)俄に明日下向するの由その説有りと云
  々。予この告げに驚く。即ち景繁を以て行暁の許に遣わし(知音の故なり)、下向の
  子細を問う。また馬一疋(黒栗毛、日来厩に立て置く所の秘蔵の馬なり)同じくこれ
  を引き遣わす。今夜返事を聞かず。

10月5日 [公衡公記]
  伝聞、行暁今日進発と云々。景繁今日帰り来たりて云く、今度奏聞すべき事無きに依
  って遂に来たらず。尤も以て恐恨す。山門の張本等皆出対するを以て、糺明以下すで
  に終功するの間、貢馬の事子息貞衡の奉行未練の間不審有り。仍って途中に於いて罷
  逢うと雖も、今一日も大切の間、鞭を揚げ下向する所なり。馬殊に以て自愛すと云々。
  予これを案ずるに、率爾の下向猶子細有るか。逐ってまた奏聞無き事、尤も以て不審。

10月6日 [公衡公記]
  今夕春衡を以て時明(三浦)の許に遣わし、馬一疋(黒毛、各々対面せざると雖も、
  両使共に馬を引き送るの間、下向の時またこれを引き遣わす。流例なり)を引き遣わ
  す。後聞、行暁昨日延引す。今日一定下向と云々。

10月7日 [公衡公記]
  春衡来たり。去る夜時明(三浦安藝の前司、故椙本宗明の子と云々)の許に向かい対
  面す。馬これを請け取り、明暁(八日)一定下向すべきの由これを申すと云々。

10月8日 [公衡公記]
  時明今日下向と云々。

10月10日 [山城離宮八幡宮文書]
**関東御教書
  八幡宮大山崎神人等申す内殿御燈油料・荏胡麻等、諸関所津料の事、去々年四月十二
  日の注進状並びに事書披露しをはんぬ。所詮、代々の勅裁に任せ、向後その煩いを停
  止すべきの由、院宣を下さるるの上は、子細に及ばず。仰せ下さるるの旨に任せ、下
  知を加えらるべきの状、仰せに依って執達件の如し。
    正和三年十月十日        相模守(花押)
  武蔵守殿
  越後守殿