1316年(正和5年 丙辰)
 

1月3日 [武家年代記]
  入道大納言為兼六波羅に召し置かる。同二月土佐に配流。召し捕りの御使は安東左衛
  門入道父子と云々。

正月
  入道大納言為兼卿土佐の国に配流さる。
 

2月12日 [伏見宮蔵]
**後伏見上皇書状
  大納言入道(京極為兼)今度遠行の事、偏に愚身の凶害に依って、関東厳密の沙汰に
  及ぶの由、謳歌を成す輩候と云々。且つはその趣分明の支證候の由、承り及び候、こ
  の條、殊に驚き存じ候。これに就いて、定めて御不審残られ候か。叡慮の趣、恐痛の
  外他に無く候。この事支證分明候は、尤も説に就いては尋ね御沙汰有るべく候か。且
  つは支證を召し給い、糺明すべきの由存じ候。不実に依って御不審を蒙るは、生涯の
  愁訴に候。仍って殊に尋ね究めらるべきの由存じ候。この條凶害の所存を以て、偽ら
  ず申し入るの條、祖神を以て證奉り候。御不審を散ぜられんが為、左右無く、誓状の
  詞に載せ、且つはその恐れ候。委細猶参り申し入るべく候。胤人恐惶謹言。
    二月十二日           胤人

2月13日 [浄智寺文書]
**後伏見上皇院宣
  常陸の国石岡村三會寺、勅願寺として、八□村寺領たるべきの由、聞こし食され候い
  をはんぬ。宜しく華洛、柳営の安全を祈り奉るべし。てえれば、御下知圓如に有るべ
  きの旨、新院御気色候処なり。この旨を以て、申し入れしめ給い候。仍って執達件の
  如し。
    正和五年二月十三日       按察使(葉室頼藤花押)
  治部卿殿
 

6月20日 [武家年代記]
  未の刻に地震。

6月21日 [武家年代記]
  辰の刻に地震。

6月27日 [武家年代記]
  午の刻に地震。

6月28日 [武家年代記]
  申の刻に地震。南方維貞所労、これに依って御教書を成されず。同七月中旬よりこれ
  を成さる。
 

7月4日 [武家年代記]
  辰の刻に大地震。

7月10日 [武家年代記]
  左馬権の頭殿判始め。相州辞退。武州元の如く上判。

7月23日 [武家年代記]
  戌の刻に大地震。
 

8月
  放生会延引(別当房海僧正入滅に依ってなり)。
 

9月
  放生会これを行う(別当勧修寺前の大僧正)。
 

* 五月より九月の比迄、三日病流布す。
 

閏10月5日 [相模相承院文書]
**関東御教書
  下総国葛餝八幡宮別當職の事、大輔僧正上智の跡を以て、補任せらるる所なりてえり。
  仰せの旨此の如し。仍って執達件の如し。
    正和五年閏十月五日       左馬権頭(高時花押)
                    武蔵守(貞顕花押)
  大輔法印御房
 

12月1日 [金沢文庫文書]
**金沢貞顕書状
  先日参入、悦び存じ候き、抑も南殿御佛事、三日勤仕すべきの由、去る月申し候いを
  はんぬ。然れども五日典厩御所御わたまし、七日評定始め、同じく御行始め以下計会
  事等候の間、三日参り候事も難治候の間、十三日に取り行うべく候。御意を得る為、
  先ず申さしめ候。委細の事は、追って申し入れべく候。導師は御勤仕有るべく候なり。
  只今物騒の事等、千万候の間、省略し候。恐惶謹言。
    極月一日            貞顕
  方丈これを進し候

12月
  八幡宮遷宮。同五日、左典厩の舘へ移徙。