1318年(文保2年 戊午)
 

2月17日
  相州二所、三嶋へ参詣。
 

3月9日 [皇年代略記]
  後二條院第一皇子邦良親王を以て太子に立つ(十九)。

3月29日 [皇年代略記]
  後醍醐院即位(太政官廰)。

*[保暦間記]
  御政も目出度て、記録所を置て、直に政断を聞食す。賢王の聞え渡せ給ければ、関東
  の政道は正体なかりければ、哀れ公家の御世にや帰らんずらんなど諸人申けり。
 

4月25日 [皇年代略記]
  山門衆徒発向し園城寺を焼く。
 

5月22日 [円覚寺文書]
**北條高時書下(折紙)
     (花押)
  山内地(昭西堂跡)の事、薩摩掃部大夫成綱先例を守り、領知せしむべきの状件の如
  し。
    文保二年五月二十二日
 

7月13日 [皇年代略記]
  春日の神木金堂の前に遷座す。

7月15日 [皇年代略記]
  日吉大宮以下火事。
 

10月27日 [増鏡]
  大甞會、清暑堂の御神楽の拍子のために、綾小路宰相有時といふ人、大内へまゐるを、
  車よりおるゝほどに、いとすくよかなる田舎侍めく者、太刀を抜きてはしりよるまゝ
  に、あやなくうちてけり。
 

11月22日 [武家年代記]
  大甞會。

11月24日 [武家年代記]
  夜、綾小路宰相有時内野に於いて害せられをはんぬ。神楽末拍子の事に依って、紙屋
  河三位の所行と云々。
 

12月
  引付頭、一貞規、二守時、三顕実、四貞宣、五貞将、六時顕