1320年(元応2年 庚申)
 

3月24日
  大御堂上棟。将軍家御出で。
 

4月19日 [増鏡]
  当代もまた、敷島の道もてなさせ給へば、いつしかと、勅撰の事おほせらる。前の権
  大納言為世うけたまはる。続千載集といふなり。新後撰集とおなじ撰者の事なれば、
  多くはかの集にかはらざるべし。
 

5月24日 [武家年代記]
  南方時敦他界(関東より訪う早馬原新左衛門の尉と云々)。
 

7月20日 丁酉 [花薗天皇宸記]
  伝聞、五霊神輿と篝屋と喧嘩の事有り。仍って神輿を路次に降り棄て奉ると云々。尤
  も珍事たり。

7月23日 庚子 晴 [花薗天皇宸記]
  卯の刻ばかりに八幡の神輿入洛す。藍小路大宮大路に振り棄て奉り、神人少々殺害せ
  らる。武家相防ぐの間刃傷に及ぶと云々。珍事極まり無し。
 

8月4日 庚戌 晴 [花薗天皇宸記]
  伝聞、新勅撰集(続千載集と号す)すでに披露す。但し猶遍さず。暫く秘さるべきの
  由仙洞に申すと云々。去年一巻ばかりを以て中書奏覧す。今年功を終え披露か。未だ
  先例を聞かず。

8月10日 丙辰 [花薗天皇宸記]
  今日八幡の神輿帰座の由沙汰有り。而るに今暁神人千余人社頭に閉籠す。守護の武士
  等喧嘩刃傷せらると云々。仍って帰座また延引か。この間帰座の日次治定後度々延引
  す。神人承諾せざるが故か。
 

9月2日
  評定、六箇国を六波羅に返さる。
 

10月5日 [円覚寺文書]
**北條高時執事奉書案
  「執事奉書案]
  丹波国成松保の事、当庵門徒の計らいとして、公用料足に宛らるべきなり。向後と雖
  も一人自専の儀有るべからざるの由、その沙汰候なり。仍って執達件の如し。
    元応二年十月五日        左衛門の尉高資判
  正続庵坊主

10月7日 [覺園寺文書]
**六波羅施行状
   覺園寺領伊豫の国新居西條庄殺生禁断の事
  右、今年七月十六日の関東御下知の旨に任せ、その沙汰を致すべきの状件の如し。
    元応二年十月七日        陸奥の守平朝臣(大佛維貞花押)

10月28日 癸酉 陰雨降る [花薗天皇宸記]
  今日入道相国関東の御返事を執り進す。去る比立坊践祚の事、仰せ遣わさるるの旨こ
  れ有り。仍って御返事を申す所なり。
 

11月14日 己丑 陰雨下る [花薗天皇宸記]
  伝聞、今日八幡の神輿帰座すと云々。