1323年(元享3年 癸亥) [武家年代記]
 

5月3日
  未の刻に大地震。
 

6月晦日
  大仏殿他界。
 

7月8日
  関東の早馬京に着く。今日より御沙汰を止む。

7月13日 癸卯 晴 [花薗天皇宸記]
  関東の宣時法師去る比死去すと云々。これに依ってこの間公家の奏事、議定等を止め
  らると云々。訪ね仰すべきかの由六條殿に申し合わす。然るべきの由仰せ有り。仍っ
  て定資に仰せ院宣を遣わすなり。
    入道宣時朝臣の事、殊に驚き思し食さるるの由、関東に申さるべきの由、新院気
    色候処なり。 .........
      七月            定資
    謹上 右衛門の督

7月25日
  御沙汰始め。但し北方一人の判形。
 

9月3日 壬辰 終日雨降る [花薗天皇宸記]
  今日室町院御遺領の事、勅使を以て仰せらるべきなり。その間暫く沙汰を閣るべきの
  由、院宣を以て関東に仰す。飛脚を以て遣わすべきの由、別して右大將に仰すなり。

9月4日 癸巳 晴 [花薗天皇宸記]
  隆有を召し條々を仰す。室町院御遺領の事、永嘉門院より関東に仰せらるるの由、そ
  の説有るの間、隆有卿を以て仰せ遣わすなり。

9月30日 己未 晴 [花薗天皇宸記]
  今日憲守、この院より直に関東に下向すと云々。これ貞時入道十三年の仏事唱導の為、
  また八講の故と云々。先の御影堂に於いて憲守を召され、下向の旨これを申し入る。
 

10月1日 庚申 晴 [花薗天皇宸記]
  侍従三位(宗緒)参り、四日関東に下向すと云々。仍って俄に蹴鞠会有り。
 

11月5日 癸巳 晴 [花薗天皇宸記]
  伝聞、別当勅使として関東に下向すべしと云々。明暁進発すと云々。
 

12月28日 丙戌 晴 [花薗天皇宸記]
  夜に入って前の右大臣参る。対面。また増基僧正参る。昨日関東より上洛するの由こ
  れを申す。関東の事等やや久しく雑談す。上皇また御対面有り。