藤里毘沙門堂  (江刺市藤里)
 
水沢からは、国道397を大船渡・種山高原方面に向う。
立花毘沙門堂からは、国道107を遠野市へ向かい、途中県道179に入り藤里を目指す
広々とした丘陵地帯を走り、雪の晴間は特に気持ちが良い。
藤里近辺から毘沙門堂へはやや分かりづらい。注意して道標を探すと、「兜抜毘沙門堂o.okm」の看板を随所に見つけることができる。写真の位置が参道の入口。 小高い山上の愛宕神社に毘沙門堂がある。町から離れているので、山への登り道は雪が新しいまま残っている。駐車場も展望東屋もあるが、当日は雪が覆っていた。右前方上に、兜抜毘沙門天の収蔵庫がある。
参道を登りつめた所に鐘楼がある。
眼下の藤里の素朴な景色が美しい。
回廊つきの古びた毘沙門堂。人の気配は全くない。
わずかに野兎の足跡がある。時間も押し迫っていたことと、神社の方に雪道を登ってきて貰うのを遠慮して、後日出直すことにする。
 
えさし郷土文化館は「えさし藤原の郷」と向かいあったモダンな建物である。藤里毘沙門天のレプリカがある。冬の平日に訪れる人は少ない。著名な黒石寺の薬師如来や正法寺の如意輪観音坐像もレプリカで展示されており、江戸時代に気仙沼稲子沢の長者鈴木重恒とその子孫4代で造った百観音と本尊一体の現物が仏像展示コーナー(奥の院)にある。学芸員の方に兜抜毘沙門天はじめ展示物の克明な説明をしてもらった。藤里毘沙門天は現物はトチ材の一木造りでナタ彫りである。平安中期の作。像高182cmで、坂上田村麻呂の原寸生写しはこれだと云われている。藤里は胆沢城の真東に位置し、鬼門の守り神の役割を担ったという。

一冬を越した秋(9月8日)、兜跋毘沙門天像の実物を確認すために、再び藤里を訪れた。

雪景色に変わって長閑な田園風景の中に毘沙門堂はあったが、やはり人気はない。神社への登り口にある管理者のお宅で毘沙門天の拝観をお願いした。
女性の方が山を登り収蔵庫を開いてくださった。当家の娘さんで「子供の頃は毘沙門天を祀った毘沙門堂の前でドッジボールなどして遊んだ。当時は祖父、父が管理していて、現在の収蔵庫に移ってからは兄が管理しています・・」とのこと。

幾体かの仏像とともに毘沙門天の実物があった。トチの木の一木造りで、丸ノミの跡がくっきりと浮かぶまさにナタ彫りの暖かみを感じさせる。一度来た道なのに、近くまで来て道に迷った。来たかいのある仏像群だった。
収蔵庫に入ると、正面には鎌倉期の木造毘沙門天立像が目に付く。右に吉祥天、左に善賦師童子を従えている。
右壁に沿って入口側から、平安後期の木造十一面観音立像、目的の兜跋毘沙門天(重文)、平安後期の木造僧形坐像(神像に近い)が並ぶ。兜跋毘沙門天外は、国の重要文化財で、他の二体は岩手県指定文化財である。痛みの激しい像もあるが、収蔵庫内の仏像群はそれぞれに歴史を感じさせ、見応えがある。

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