松本市立考古博物館 (長野県)
  長野県松本市中山3738の1


塩尻市(駅南)には、平出遺跡(縄文~平安時代の大集落)がある。
 
松本市立考古博物館は、松本平の東端に位置する中山地区にある。この附近は、縄文~平安時代の遺跡が多い。考古館の西側に中山丘陵があり、その北端には、古墳時代の早くに築かれた弘法山古墳(前方後方墳、墳長66m)がある。
弘法山古墳の年代は、最新の土器研究によると3世紀中頃とされ、日本列島に古墳が出現した当初の大古墳とされる。礫槨からの出土品には、半三角縁四獣鏡、ガラス小玉や美濃の廻間Ⅱ式の土器を含み、美濃地方と関係深い松本平の首長が埋葬されていたことを物語っている。

松本市に隣接する塩尻市には、平出遺跡、岡谷市には梨久保遺跡、さらに諏訪市以東の八ヶ岳南山麓には著名な縄文遺跡が多い。国道20号線に沿って、山梨から松本への道すがら各地域の考古館や資料館を巡ることにより、縄文時代での各地域の変遷を学ぶことが出来る。縄文前期から、八ヶ岳南麓、塩尻・諏訪、伊那谷に拠点集落が作られ、中期に全盛期を迎える頃には、松本平と伊那谷一帯にも多くのムラが出現し、後期・晩期になってムラ数は減少せず増大し、弥生時代に突入したようだ。

松本市立考古館では、以下の展示に注目した。
1.曽利式土器と対比する松本平特有の縄文土器である唐草文土器。
2.縄文後期・晩期のエリ穴遺跡の大量の耳飾りや祭祀器具。
3.弘法山古墳周辺の弥生末期から古墳初期のムラ遺跡。
4.弘法山古墳以後の当地の古墳群のあり方。

エリ穴遺跡  松本市内田   縄文時代後期~晩期のムラ遺跡
国重文・馬場家住宅の西側に位置し、ほ場整備事業により消失した。それに先立ち発掘調査した平易な報告書(松本市文化財調査報告書No.127 「エリ穴遺跡」、1997、松本市教育委員会)がある。考古館の中央には、出土品が整理され展示されている。 
中央に、エリ穴遺跡のムラの様子がジオラマで示され、出土品が円形のケースに区分けして展示されている。左の区に、大量の土製耳飾が見える。耳飾は、1~10cmと多種に亘る。大量の土製耳飾出土遺跡としては、八ヶ岳南西麓の縄文終焉遺跡(大花遺跡)などがある。 多くの土偶が壊された状態で出土した。土偶の表情は多岐に亘り、右上の頭部は遮光器土偶(亀ヶ岡)の形態のもの。
縄文晩期の祭祀用器具
(左)異形台付土器と(右)完全な形の人面付土板(15.8cm×8.6cm)
(左)配石遺構の模型展示  (右)珍しい土板埋納の模型展示
”まつり”の形態が想像される。土版は意識的に二つに壊して埋められた。

二体の美しい土偶
 
縄文晩期遺跡・女鳥羽川遺跡出土
(めとばがわ)松本市内
縄文中期中頃の遺跡・坪ノ内遺跡出土
考古館近く

縄文から弥生、古墳時代
縄文時代中期の土器 松本平に特有の唐草文系土器(縄文中期後半)
          弥生時代の土器 (針塚遺跡・百瀬遺跡)
針塚遺跡出土土器には、遠賀川式土器を含み、九州・東海の弥生文化が流入していたことを示す。針塚遺跡では、大型土器を収めた再葬墓が見つかっており、縄文末期から弥生時代への移行期での松本平の状況を物語る。松本平では水田跡は見つけられていないが、銅鐸片が宮淵本村遺跡(松本市の19号沿い)で出土している。百瀬遺跡(寿豊丘)は、弥生中期~後期のムラ遺跡。
             古墳時代の松本平 (土器と馬具)
松本平の古墳は、前期早々の弘法山・棺護山の古墳と、中期後半以降の古墳群に分かれる。前者は首長墓、後者は馬飼育と関連するようだ。

弘法山古墳と中山36号墳
弘法山古墳は、3世紀中ー末に中山丘陵先端部に築かれた前方後方墳(墳丘長66m)で、中山36号墳は、引続いて棺護山(現在の開成中学内)に築かれた方墳または前方後方墳(規模不明)。山梨県の小平沢古墳(4世紀初)、長野市篠ノ井の姫塚古墳(4世紀初)などとともに、前方後円墳に先行する前方後方墳として興味深い。
(左)弘法山古墳出土の鏡、ガラス古玉、(右)中山36号墳出土の土器と鏡 弘法山古墳の礫槨内の見取り図と出土品
   
(左)弘法山古墳出土の半三角縁四獣鏡、(右)中山36号墳出土の鏡
弘法山出土鏡は、面径11.65cmの舶載鏡で、「上方作竟・・」の銘文がある。
    パレススタイル壺(右)と手焙形土器《左前)、
      加飾壺(右後)

パレススタイル壺は、S字甕とともに、美濃地方の土器で、古墳出現期での松本平が、その影響を受けている事を示す

桜ヶ丘古墳  浅間温泉にある5世紀後半の古墳 向畑遺跡  考古博物館のすぐ近くの縄文~中世遺跡
竪穴式石室から甲冑・武具・装身具など一式が出土した。古墳中期前半の甲冑などに混じり、後期の鉄鏃や出土例の少ない天冠が含まれていることより、5世紀後半の古墳とされる。           向畑遺跡の各時代の遺構と出土品
(右)縄文時代の遺構説明と出土品、(中)古墳時代前期・中期、
(左)古墳時代後期~中世

考古博物館の西側には、中山丘陵が北に伸び、中山霊園の北端の鍬形原砦跡から遊歩道が中山北尾根・弘法山へと続いている。中山霊園内に古墳・古窯跡群が点在する。鍬形原古墳(中山15号墳)は、整備・公開している。
鍬形原古墳(中山15号墳)  7世紀後半築造と推定される方墳(一辺20m・高さ5m)。 周溝がある
復原された古墳 古墳から南側を見る。
石室は南に開口する無袖式で前庭部がある。玄室は長さ4.8m、幅1.8mで前後2室に区分される。羨道は、長さ2.6m、壁高は1.6~1.8m、石材の平らな面をそろえて5段から6段に積まれている。早くから盗掘を受け、僅かな須恵器片から年代が推定された。(松本市教育委員会)