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春夏秋冬 (15)
14/08/14 虎渓山永保寺 (多治見市)
愛知県尾張平野を流れる庄内川は、その上流の岐阜県では土岐川と呼ばれる。岐阜県恵那市夕立山に源を発した土岐川は山地を流れ、瑞浪・土岐・多治見盆地を貫通し、玉野渓谷を通過して高蔵寺で尾張平野に出る。多治見市の「臨済宗南禅寺派永保寺」付近では山地岩塊地盤上を流れていて、永保寺(えいほうじ)の山号「虎渓山(こけいざん)」はこの自然地形に負っている。永保寺は土岐川が多治見盆地内で大きく流れを変える山間の川岸にあり、境内の庭園では自然の岩山が配される。「虎渓山」は、開祖の夢窓疎石(1275−1351)が中國の廬山の景観との類似から、廬山にまつわる故事に擬して付けたとも言われている。
虎渓山永保寺は、1313年(正和2年)に土岐氏に招かれた夢窓疎石を開祖とし、伴に修行した仏徳禅師により開山された。夢窓疎石は庭園設計に優れ、”国の名勝指定”を受けている当永保寺はもとより、国特別名勝の京都上桂・西芳寺(苔寺)、京都嵐山・天龍寺、国名勝の甲斐塩山・恵林寺、相模鎌倉・瑞泉寺などの名庭園を生み出している。京都の二寺は世界遺産でもある。
虎渓山永保寺は、禅宗僧侶を養成する修行道場(専門道場)であり、檀家を持たない。したがって、本質的には雲水(禅の修行者)の為の寺院であり、瞑想と座禅の空間である。しかしながら、名勝の庭園は一部を除いては一般に公開され、座禅会や写経会を催して禅の心を伝えている。
多治見市街の外れ、県道381号線虎渓山町3丁目から標識にしたがって永保寺に向かう。中央本線北側にある拝観者用駐車場から踏切を渡り、永保寺塔頭(たっちゅう)の一寺・続芳院角から黒門に下る。黒門を過ぎると、左に鐘楼を見る。背後に塀で仕切られた一角があり、その内側は座禅堂など雲水の修行の世界である。一般見学者は立ち入れない。そのまま真直ぐに進むと、右手に天厨院(庫裡)・大方玄関・華蔵庵(方丈)の建物が軒を並べる。2003年(平成15)に出火・焼失したが、現在は新しく立派に再建されている。方丈の屋根は檜皮葺きで美しい。庫裡(くり)の玄関には「八方にらみの虎」の屏風が置かれ、「雲納輻輳(うんのうふくそう)」の看板が掲げられていた。”雲水の入門を許す”または”入門受付中”(受付外の時は「止掛搭」)ということらしい。全国行脚してきた雲水はここで受付を済ませ、永保寺専門道場に入門する。
永保寺の本尊は聖観世音菩薩座像であり、観音堂(水月場;すいげつじょう)に祀られる。他宗派での”本堂”に相当するが禅宗では”仏殿”と呼び、方丈・庫裡などとは独立して庭園の一部を占めている。本尊を収める岩窟式厨子は珍しく、毎年3月には公開されるようなので、是非ご本尊ともども拝観したい。
開祖・夢窓疎石と開山・仏徳禅師を祀った開山堂(僊壺堂;せんこどう)は、観音堂の奥にある。観音堂と開山堂は国宝に指定されている。
梵音岩・観音堂・無際橋と開山堂 | 龍浮淵と川淵の苔むす庭園 | |
虎渓公園に虎渓山1号墳 | 片袖式横穴石室 |
庭園の中心は臥龍池(がりゅうち)で、土岐川沿いの庭園側から観音堂(水月場)へは無際橋(むさいきょう)という反橋が懸かる。池面に映る伽藍の影が美しい。土岐川沿いの苔むした庭園から、観音堂を正面に見て左に岩山(梵音巌;ぼんのんがん)があり、頂上には願掛けされた多くの地蔵を収めた六角堂(霊擁殿;れいようでん)が立つ。岩山に設えた石仏群の間をぬって一条の滝が落ちる。
土岐川を望んだ苔むす庭園にはベンチが設置されていて、川の流れが涼しい。
土岐川は永保寺庭園の東端を南に流れ、丘陵にぶつかり、一転して東に方向を変える。この流れの変化が庭園の一つの景観をなしていて、「龍浮淵(りょうふえん)」と呼ぶパワースポットとなっている。
土岐川の流れを遮る丘陵上へは、開山堂から裏参道が通じている。丘上は虎渓公園となっていて、桜の季節にはお花見所となる。
公園内には片袖型の横穴石室を持つ虎渓山1号古墳がある。古墳時代後期(6世紀)の古墳である。古墳はフェンスで囲まれているが施錠はない。、石室は近づいて覆屋越しに見ることが出来る。石室構造と武具出土を伝える説明版が立つ。
近くの茶屋の老夫婦の話では、この丘陵上には他にも幾つか古墳があるが、草に覆われていて近づくことも出来ないらしい。永保寺が火事で焼失した時には、御茶屋の高さ以上に火炎が昇ったとも、老夫婦は話してくれた。
虎渓山永保寺を訪れる人は多い。仕事の合間に訪れる勤め人、境内の写生に余念のない老人、観光に選んだ家族づれ、夕方になってお寺に遊びに来た近隣の子供達など全ての人に優しいお寺であった。
14/07/14 初夏の風物詩 (春日井市、瀬戸市)
7月上旬に日本列島を襲った台風8号では「これまでに経験したことがない台風」という”特別警報”が出された。中部地方では南木曽町の山津波などの被害が出たが、「これまでに・・・」という文言は何かなじめないものだった。この台風の勢力範囲は列島の1/3の大きさで、鹿児島に上陸し日本列島を縦断したが、台風の眼が関東を過ぎる辺りで温帯性低気圧に弱まった。
天満社境内に春日野部屋の稽古場がある。宿舎・チャンコ場も併設されている。栃乃若がフアンに取囲まれた。力士たちも愛想が良い。 |
とりあえずは台風一過して、大相撲7月場所が名古屋にやってきた。春日井市柏井町天満社境内に春日野部屋の宿舎があり、名古屋場所初日の朝稽古を見に行った。天満社はこの地の鎮守として、祭神として応神天皇、景行天皇、スサノオの命、アマテラス大神を祀っている。春日野部屋は、西関脇栃煌山、東前頭筆頭蒼山、西前頭10枚目栃乃若、西幕下6枚目栃ノ心、東幕下3枚目栃飛龍(5月場所番付け)をはじめとする30名ほどの大所帯だ。部屋の看板となる力士達がいずれも昭和62年前後の生まれなので、若々しい雰囲気の稽古風景だった。部屋の親方衆にもテレビで見覚えのある方々をお見受けした。
相撲はもっぱらテレビ観戦で、東京在住の時は、両国などでお相撲さんの姿を見かけたことはあっても、練習風景を見るのは初めてである。朝8時頃に八幡社に到着したが、すでに練習は始まっていた。先輩力士が胸をかしてのぶつかり稽古など迫力満点だが、「今朝の稽古は緩いね。今日怪我をすると元も子も無くなってしまうからね」と通らしき紳士が話しかけてきた。
稽古見学の人も多い。稽古後に、若い女性フアンが力士と一緒に写真を撮ってもらっている。赤ん坊を連れてきて力士に抱っこしてもらっている。優しそうな風貌の栃乃若が人気だ。ブルガリア出身の蒼山やグルジア出身の栃ノ心も外国人だと思えないほど神社境内の土俵に溶け込んでいる。
関脇栃煌山は怪我をしているらしく、土俵外でストレッチを入念に行っていたが、ぶつかり稽古が終わった後の土俵で独り黙々と四股・摺足を繰り返していた。その日の取組では魁聖を一瞬の間に突き落とし勝利した。
岩屋堂(岩屋山薬師堂)の左奥の石段を上ると、毘沙門天を祀るお堂がある。岩屋近くに暁明ケ滝がある。 | 鳥原川に沿って遊歩道があり、清らかな流れと瀬戸大滝に巡り会う。 | |
岩屋堂マップ 南側遊歩道は森林・展望・渓谷コースに別れ、体力・脚力に合せて選択できる 北側に岩巣山展望台から白岩への東海自然歩道 (地図上でMouse-Over)東海自然歩道通行止・迂回コース |
瀬戸市・岩屋堂公園を流れる鳥原川沿いの鳥原渓谷は、秋には紅葉の名所となるが、夏には川の流れを堰きとめた天然プールが子供達の水遊び場所となる(HPカット写真)。鳥原川は瀬戸市の北東を流れている。陶磁器の町としての瀬戸の街並みはしっとりして、店舗一軒一軒が好ましい佇まいのなかにある。街はずれの岩屋堂公園付近は山深くなり、いっそう落ち着いた風情となる。
公園内には、奈良時代の名僧・行基が聖武天皇の病気快癒を願って三体の仏像を刻み籠ったと伝わる岩窟(岩屋)があり、鳥原川沿いに大小の滝がある。岩屋を形造る大岩には鉄の鎖が巻かれ岩窟内も広い。渓谷沿いに、更に渓谷から離れて遊歩道が幾つかあり、東海自然歩道にも通じている。東海自然歩道は、定光寺ー(約17.5km)−岩屋堂ー(約8.8km)−猿投山山頂の経由地となっている。
14/06/12 東之宮古墳 (犬山市)
白山平山山頂(写真正面)へは、山頂駐車場右奥にある山道を登る。駐車場の西下には伊木山を背景に犬山城、木曽川が望める。 帰路は、リハビリを兼ねて、山頂から南に延びる東之宮神社参拝道(航空写真参照)を下る。途中廃線となったモンキーセンターから登って来るモノレール線に出会う。山麓まで降り、ぐるっと大回りして成田山新勝寺に戻り、再び駐車場へと歩いて登る。 |
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東之宮(ひがしのみや)古墳は、木曽川に面する犬山扇状地の突端に位置し、白山平山(はくさんびらやま:標高145m)の山頂にある。西南山麓には千葉県成田山新勝寺別院である成田山大聖寺をはじめ、臨済宗瑞泉寺、善光寺など多くの寺院・霊園が広がり、東山麓にはモンキーパーク・センターの広大な施設がある。成田山の南側から新勝寺を右に見て山を登りモンキーパーク側に下る道があり、頂上駐車場の一つから山道を少し登ると古墳に到達する。中央道小牧東ICを起点とすると、県道49と県道461(尾張パークウエイ)を走り、モンキーパークを抜けて25分程度で山頂駐車場に到着する。
濃尾平野は木曽川を境にして美濃側(岐阜県)と尾張側(愛知県)に分かれる。2010年に、美濃側の幾つかの古墳について、以前住んでいた東京近郊から夜駆けで訪ね歩いたことがある。その際にも、木曽川流域の東之宮古墳には立ち寄った。その時に訪れた古墳の中で、山上に築かれた有名な古墳が幾つかあった。現在のリハビリ状態では、山上の茂みに踏込む鎧塚古墳(岐阜市・眉山)や野猿が徘徊していた円満寺山古墳(海津市南濃町)はまだ避ける方が良さそうだが、歩行できる林道が完備し史跡公園化した象鼻山古墳群(養老町)や山登り距離の短い東之宮古墳は大丈夫と見ている。今回はその確認に出かけた。
東之宮古墳は、古墳時代前期・3世紀末〜4世紀初の前方後方墳で、墳丘全長78m、前方部幅43m、後方部一辺47m(高さ8m)、前方部高さ6mの規模をもつ。前方部を西北に向ける。1973年の発掘調査により、墳頂部に竪穴式石室(4.8m×0.96m)が確認されている。内部壁全面はベンガラで赤色塗装されていた。2012年に発掘再調査され石郭、粘土床、蓋石の設置状況が確認され、その際の現地説明会の様子はネットで見ることが出来る。
当初の発掘調査で、三角縁神獣鏡5面、方格規矩鏡1面、禽獣鏡4面を含む青銅鏡11面、鍬形石、車輪石、石剣、石製合子、鉄製品など多くの副葬品が出土した。青銅鏡は破損することなく良好な状態で出土し、現品は京都国立博物館に保管されている。出土鏡のレプリカは、犬山市・青塚古墳のガイダンス施設や大口町歴史民俗資料館で見ることが出来る。三角縁「天・王・日・月」唐草文帯二神二獣鏡は、大垣市の矢道長塚古墳(前方後円墳)出土のものと同範関係にあることが注目される。
東之宮神社は古墳の前方部左を外して墳丘外に鎮座する。近隣の古墳で墳丘上にどっかりと腰を下ろした神社が多いのに比べてスマートだ。墳丘上を、前方部から後方部へと歩く。 | 裏(北)側に周って、後方部を見上げ、前方部側へと歩く。ブルーシートが後方部と前方部のつなぎ目辺りから前方部にかけて点在し、発掘調査がまだ続いていることを示していた。 |
今年(2014.1.29)に、京都国立博物館・村上隆学芸部長により「”3dプリンター”を用いて東之宮古墳出土三角縁神獣鏡の精巧な復元」が新聞発表された。三角縁神獣鏡背面模様の正確なデジタル測定をベースとして、当該青銅鏡と同組成の焼結微粒子紛を用いての”3dプリンター”積層技術で復元したという。復元された鏡面を丁寧に磨き光を当てると、背面の三角縁神獣鏡特有の複雑な模様に応じた影が現れ、いわゆる”魔鏡現象”が見られるとの発表もあった。
発表者は、三角縁神獣の複雑多様な模様とそれに伴い鏡厚が1mm未満から2cm厚さと大きな巾を持つことを述べ、それを鏡の背面として使う古代の鏡製造技術の確かさを強調するが、新聞各紙は、”三角縁神獣鏡=卑弥呼が魏の皇帝から下賜された銅鏡100枚(魏志倭人伝)”、”卑弥呼=鏡を使う霊能者”の図式で”魔鏡”であることのニュース性を前面に出す。
”三角縁神獣鏡、卑弥呼”についての解釈は別としても、最新のデジタル化した製造技術が考古学の一分野探索の有力なツールとして使用されたことは画期的であろう。
14/05/09 築水池周回 (春日井市)
西高森山(黄)と築水池散策コース(赤) (少年自然の家で配布される地図上で) |
弥勒山・大谷山の西山麓には、「春日井市緑化植物園」、県道を挟んで「春日井市少年自然の家」がある。一帯は鬱蒼とした森林に覆われ、内津川・庄内川の一つの水源となる築水池や小高い丘(西高森山)など変化に富む地形を提供している。
「少年自然の家」では、手書きの弥勒山・道樹山コース案内図と西高森山コース案内図が一般に配布されている。これらは道に迷わないように散策者の身になって作られていて、他所者にとっては心強い。前者の山コースの方がやや険しいが見通しが良く景色が開けている。後者は全体としての高低差はないが、こまめな登り下りがあり、森林浴・バードウオッチングの場である。いずれもリハビリ歩きのコースとして最適である。
西高森山コースについては、岩船神社・狭間1号墳から狭間7号墳を経由して築水池への林道歩き、さらには西高森山へのハイキングなどを何度か行った。築水池周回については、堰堤工事や水量変化による周回道の変化・安全性を見定めていた。度々この地帯に足を運んでいると、この一帯の森林地帯が良く管理されていることが確認できた。そこで今回は日没近くの時間帯に、初めて築水池周辺に踏み込んだ。日没時を選んだのは、野鳥の住処であるこの一帯は、早朝・日没時に鳥の鳴き声が賑やかになり楽しいからである。
岩船神社から築水池への林道を歩いて行くと、狭間7号墳を過ぎた辺りで、鳥のさえずりが激しくなる所がある。野鳥のねぐらがあるのだろうか。築水休憩所には”野鳥観察コーナーが設けられているが、この近くには野鳥は見つけられなかった。池面を左に見て周遊すると、築水池畔南側は県道に近く駐車場もあるせいか、野鳥の気配は少ない。
築水池の北側に回り込むと、2ヶ所ほど野鳥のさえずりの激しい地帯があった。右図に鳥のマーク(薄緑)で示した。築水池の北半分には谷間に築かれた堰堤が7つある。堰堤近くは急な坂道の登り下りになるが、歩き甲斐を感じる程度である。築水池に沿った片流れの斜面や堰堤近くの湿地帯には木道が設けられ、自然の地形・環境が保護されている。時には、飛び石状に配した木柱上を、片足ずつ探りながら歩を進め通過する。バランス感覚が試される。休日であっても人の気配は少ない。築水池一周に約1時間ほどかけて、「野鳥のさえずり」をデジカメで動画録音しながら散策した。
狭間7号墳を過ぎ築水池に近づくと、野鳥のさえずりが激しくなる。築水池の南側を起点に、水面を左に見て周回する。 | 多目的広場を過ぎ、築水池の更に奥にある大谷北池からの流れを木橋で渡り、坂を登りT字路に向かう。「野鳥のさえずり」が楽しい。 | 築水池の北畔に出る。フラットな歩道。池畔の片流れの斜面を木道で進む。地崩れを防ぎ環境に優しい。 | ||
「野鳥のさえずり」 例:築水池北側T字路への登り NikonImageSpace(cloud) サイズ:640×424 12.9MB MOVファイル (49秒) |
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築水池最北端へ向かう木道から築水池南畔をふり返る。流路の谷間を登り下りする。野鳥のさえずりが賑やかだ。 | 最後に、急な谷間からの斜面を登り切ると、間もなく周回始めの築水休憩所に出る。ここで周回は終わり。 |
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