富山県ー若宮古墳ほか (富山県)
  1.小矢部市ー若宮古墳倶利伽羅源平の郷ふるさと歴史館  

各項の詳細地図は北信濃・富山・飛騨の遺跡・古墳を参照

小矢部市(おやべし)               
小矢部市の中央部・石動(いするぎ)駅周辺

今回訪れた埴生(はにゅう)地域は、JR石動(いするぎ)駅の南東にある。北陸自動車道・小矢部ICからは、埴生護国八幡宮へ向って真北に、水田の中に残る散村(屋敷林に囲まれた農家)を景色として見ながらドライブする。

埴生口は、源平盛衰記に於いて、木曾義仲が角に松明をつけた牛を用いて平家軍を奇襲した砺波(となみ)・倶利伽羅峠の富山側の登り口である。旧北陸道が峠まで”ふるさと歩道”として散策できる。

国道8号線沿いには、縄文遺跡として貴重な”桜町遺跡がある。また、越中国守・大伴家持、俳人・松尾芭蕉などの史跡も多い。
若宮古墳公園には、小矢部(おやべ)の古墳についての説明板があり、他所から来た者にとっても理解しやすい。すぐ近くの”ふるさと歴史館”には、小矢部の古墳の出土品が展示されている。

説明板によると、小矢部市は、三つの丘陵に囲まれ、夫々の丘陵・裾部に数多くの古墳の存在が知られている。北部丘陵には、オオノントウ古墳、南部丘陵にはズンデ山古墳、興法寺古墳群などがあり、若宮古墳のある埴生(はにゅう)地区は、西部丘陵の古墳密集地である。

埴生地区には、若宮古墳、谷内(やち)古墳群、関野(せきの)古墳があり、谷内16号墳(3世紀後半)→関野1号墳(4世紀中頃)→谷内21号墳(5世紀前半)→関野2号墳→若宮古墳(6世紀初頭)という首長墓の変遷があったとされる。さらに、谷内21号墳以降では、首長の武人的様相が副葬品から明らかにされつつある。説明板には、埴生地区の古墳群が簡潔に説明されている。

関野古墳群は、丘陵先端から裾に7基の古墳が築かれている。関野1号墳は、全長約65m・前方後円墳。関野2号墳は、径約30mの円墳・副葬品は鉄刀、鉄剣、鉄鉾、鉄鏃と滑石製の小玉多数。
谷内古墳群は、丘陵尾根上に23基の古墳が築かれている。谷内16号墳は、全長約47m・前方後円墳・後円部中央に埋葬施設(割竹形木棺直葬)・副葬品は鉄鍬先、鉄鉋。谷内21号墳は、径約30mの円墳・埋葬施設2基(1基を調査ー棺床がU字形の木棺直葬ー約9.9m×約0.8m)・副葬品は竪櫛、三角板皮綴短甲、長方板皮綴短甲、頸甲、草摺、盾、鉄刀、鉄剣、矢じり、滑石製小玉、凝灰岩製管玉などで全国的にも珍しいものが多い。
若宮古墳 小矢部市埴生
説明板によると、昭和34年に発見以来、基礎的資料の集積が成され、昭和60年に墳丘範囲確定のための発掘調査が行なわれ、平成10-11年に古墳公園整備事業伴う発掘調査が行なわれた。
6世紀初頭に築造された前方後円墳で、全長約50m、後円部径約28m、前方部幅約19m、くびれ部約11mとされる。墳丘は殆どが盛土による。後円部中央に埋葬施設(クリ材使用、棺形などは不明)が1基確認され、大刀などの副葬品がある。出土した須恵器、埴輪から築造時期が決められた。須恵器(TK47形式の壺、器台、甕など)は前方部より出土し、墓上祭祀に使用されたと見られる。
後世には、護国八幡宮(北1km)の関連施設として再利用され、古墳上に鳥居を描いた絵図が八幡宮に残されている。後円部中央から鏡(宋代の湖州鏡、12世紀後半~13世紀前半)が出土し、若宮山医王院の鋳造阿弥陀如来も若宮古墳から出土したと伝えられる。
古墳周囲には弥生後期の遺構が確認され、弥生集落の上に古墳が築かれたと見られる。墳丘盛土からも弥生土器が出土している。、
若宮古墳についての説明板。ほかに、前方後円墳についての解説板も設置されている。説明板には、整備前の若宮古墳、昭和59年頃の水田の中の若宮古墳、大地震による断層写真など過去の歴史が示され、右半分には、埋葬施設、出土遺物の写真(大刀、三輪玉5点、須恵器と埴輪、円筒埴輪、鏡、仏像)が掲載されてる。    若宮古墳の東側・八幡宮参道にある若宮山医王院から登る。
平安中期ー末期のの銅像阿弥陀如来像、木造僧形八幡神座像(明治の神仏分離令の際に八幡宮より遷座)を収納している。
小丘陵上に説明板の完備した若宮古墳公園がある。 後円部側面より前方部を見る
後円部墳頂(前方部方向に) 中央に埋葬施設の範囲が示される。 前方部より後円部 右側は医王院の墓地
南側に駐車場のある公園入口がある。 中央の茂みが谷内21号墳。その後方左の丘陵に谷内16号墳がある。
埴生口くりから源平の郷   埴生護国八幡宮 小矢部市埴生2992
埴生護国八幡宮の参道。八幡宮へは急勾配の石段を登る。バス道ともなっているこの道は、鳥居の前で直角に右に曲がる。道沿いに旧家が立並ぶ。土壁に板を張付けた様が懐かしい。 八幡宮脇に”倶利伽羅源平の郷埴生口”なる郷土館がある。倶利伽羅峠についての資料が展示されている。館の方に、土地のお話、中世・江戸時代のの砺波平野の事、八幡宮の事など色々教えて貰い、八幡宮を案内して頂いた。
八幡宮の入口には、日本最大の義仲像の”源義仲騎馬像”がある。名水「鳩清水」が御手洗石鉢に注いでいる。名水の郷らしく、街中には酒造所(現在は廃業)が残っている。 護国八幡宮(埴生八幡宮)は、源義仲(木曾義仲)の祈願所として知られる古社。養老年間に宇佐八幡宮の御分霊を勧請したのに始まり、天平年間に大伴家持の祈願所であったとされる。祭神は、八幡大神で、神明宮・住吉社・春日社・諏訪社・東照宮・天満宮などを合祀する。社殿は、桃山から江戸初期の建物で、本殿は慶長5年(1600)に、前田利長の寄進。
小矢部ふるさと歴史館 小矢部市埴生274
小矢部市内の古墳および桜町遺跡の出土品がパネル写真とともに整理・展示してある。桜町遺跡整理棟と近接してあり、最新の情報が得られる。小矢部市教育委員会・桜町遺跡発掘調査団発行の「さくらまちNews]が用意されている。館員の応対も適切、写真撮影も自由で、考古学フアンにとって一番有難い施設である。
古墳に関しては、
谷内16号墳、関野1号墳(竹倉島遺跡)、関野2号墳、谷内21号墳、若宮古墳の説明、パネル写真と出土品。

桜町遺跡(縄文早期~晩期)に関しては、
巨大木柱根中期~後期初頭)、水場遺構切取り(後期末~晩期)、縄文土器、建築部材(柱材、貫穴のある材、Y字材、環状木柱列の柱根)、木材加工(石斧、楔、漆塗り鉢など)、食料獲得(弓、縄、イノシシ下顎骨)、装身具、祭祀具(土偶、石冠など)、交流(中津式土器など)、と整理して展示。

以下には、その一端を写真で示す。
小矢部市の古墳についての展示
    
若宮古墳 後円部墳頂出土の出土鉄剣 埴輪と三輪玉5点
谷内16号墳のパネルと出土品 関野1号墳と竹倉島遺跡(関野1号墳と同時期の集落遺跡) 
右下の土師器は関野1号墳出土
関野2号墳からは武器多数出土 谷内21号墳の出土品は多い。武具が目立つ。
桜町遺跡(富山県小矢部市桜町)についての展示
縄文時代早期(約8000年前)から晩期(約2300年前)に至る遺跡。昭和63年(1988)以来の発掘調査によると、遺跡は内の谷間に川跡があり、湿潤な環境に恵まれた多量の木製道具、柱、動物の骨などが発見されている。縄文中期末~後期初頭の高床式建物の存在、謎めいたY字材、環状木柱列など、縄文時代に新しいイメージを与える遺物が多数ある。現場は、国道8号線にあるが、”ふるさと歴史棺”に遺物が展示・解説されている。
特に、「貫穴(ぬきあな)」「桟穴(えつりあな)」など現在に通じる加工技術が注目される。弥生・古墳時代からと思われていた建築技術が縄文に遡れるかも知れない点が重要。
  

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