実際、少年の言ったことは正しかった。もう居ない友人の登録をそのままに、十年以上も放っておいたのは、反町の感傷以外の何ものでもなかったからだ。
 政府支給のこのフラットに、反町は十代の頃から暮している。一、二年の遠地への赴任を挟んでも、この部屋だけは気に入って動かさないのは、少し親しい友人なら皆が知るところだった。下のエントランスが角膜・眼底毛細血管チェック式だと、この少年が知っていたのもおかしくはない。若島津と一緒に何度か訪れたことがある、その時の記憶に残ってでもいたのだろう。
「反町さん、誤解しないで下さい」
 ひょっとしたら『感傷的な』目付きで、反町は彼を眺めやったのかもしれない。遮るように彼は顔を上げた。
「僕は、僕のオリジナルのことを知ってます。写真だって、ディスクだって別に禁止されてやしないんです。そのこと自体に特別な感傷も持ちようが無い。確かに彼は短か過ぎる生涯だったと思うけど、気の毒になって、その程度のことです。遠い、他人なんです。だって会ったことも無い人なんですよ?」
 そんなものかも知れない。反町は頷いてみせた。
 あいつも、そして若島津も自分も遺伝子操作ベビーだった。政府機関直属の幼年学校で、周り中そんな子供だらけで育った。そんな中、養父母に対しては今でも情が沸きこそすれ、見も知らない遺伝子上の『両親』なんてものに対して、自分たちが何か想うことがあっただろうか?
 答えはノーだ。そんな余裕は無かった。友人、学校生活、初めて好きになった少女。オレ達は目の前の世界でいつも手一杯だったじゃないか。それが日常だったのだから。
 僕は、と言葉を探すように目の前の少年は唇を湿らせた。
「僕は、ごく普通の子供がする育ち方をしたと思います。そりゃ、…そりゃ養父母が亡くなった時は悲しかったけど、まだ幼年学校を出る歳ですら無かったけど、それでも一緒に暮らそうって言ってくれた人までいた。二親が居ないのは問題だなんて、そんなの馬鹿な大人の言い分でしょう? 僕は愛されてた。オリジナルがいるってことすら、僕にとっては自信だったんです。だって、必要とされてるから僕の再生権が認められたってことじゃないですか。生まれる前から、必要だって言われてたんだ。…それは他者と比較したって、幸福なことじゃないんでしょうか?」
 反町は黙って彼のグラスに二杯目を注いでやった。ああそうだな、君は正しい。そう納得しながら、懐かしい、懐かしいと繰り返すのをやめられなかった。おそらく数年ぶりに会う彼の容姿が、以前に会った時より遥かに大人びた目をするこの少年が、反町に忘れることを許さないせいだった。
 もう居ない友人。『彼』の個性は強烈だった。そして十年、十五年たった今でも鮮明だ。鮮やかな過去の影。
「反町さんは、──僕が若島津の家に引き取られるのを最後まで反対してたって聞きました」
「……。そうだよ」
 責められたとしても、この少年相手に物事をごまかす気は起きなかった。
 まだ八歳だったか、九歳だったか。養父母の突然の事故死で、養育権の浮いてしまった子供。引きとることにしたよ、と若島津はこともなげに言ったのだ。何の引き合わせだか、丁度、初めて会った頃と同じ年齢なんだ。だから僕が引きとって育てることにしたよ、と。
 妻帯もしていなかったまだ若年の彼が、どんな手を回して申請を許可されたのかは判らない。反町はその家を滅多に訪れなくなった。時間の流れが、全てを解決することをただ祈った。
「酷な言い方かもしれんが、あいつに何かを育てるってのが適役だとは思えなかったのさ。犬だろうが猫だろうが、植物だろうが人間だろうが。今でもそうだ。もっとも、…君を見てるとその信念も揺らぎそうだが」
 軽い調子の科白に、少年は困ったように笑ってみせた。
「僕だって思いますよ。そりゃ、あの人の生活ぶりを知ってたら、誰だってそう言って止めただろうな。よく認可が下りたなって本気で感心してるんです。きっとお偉い人が思うより、僕らの生活は楽しいもんだったけど。でも…───」
 そんなことが理由じゃ、なかった気がして。
 少年はじっと、反町の顔を正面から見つめた。


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