何秒くらい、そうして彼と向き合っていただろうか。ほんの5秒、いや2秒程度の時間だったようにも思う。だが怪我人の方を伺っていた城山が、よっしゃ、と横で唸って若島津の肩を叩かなかったら、笛が鳴っても動けなかったかもしれなかった。
 慌てて若島津は我に返って、向き直り大声で前のラインへ指示を飛ばした。
 な、何なんだ。今のは何が起きていたんだ。
 カードが出て、やはり思った通りさっき転倒した選手と日向の交代が告げられる。反町が身振りつきで日向に叫んでいたが、その声までは聞こえなかった。おい、頼むよ、自分。集中してくれ。ここでコーナー取られたら俺はホントにアホの見本だ。
 日向のマークにつく城山の背中を見ながら、若島津は必死に自分に言い含めた。
 その甲斐あってか、とにかく前半は0-0で試合が折り返した。ハーフタイム、若島津は向こうチームさんの方は見ないよう努力した。10代のぼっちゃんに迫力負けとは情けないが、ちょっと今あの視線とぶつかるのは勇気がいるのだ。
 くそ、あの野郎くわせモンだ。何が真面目で素直だよ。国際試合でだって俺をここまでびびらせた奴はそうはいねぇぞ。
 胸の中で唸っている内、よし、腹立たしさの方が勝ってきた。きりきりと戦闘態勢に意識が高まる。その証拠に独り言まで口が悪い。実はこの辺りが性格豹変と言われる由縁なのだが、本人に自覚は今一つない。
「サイドから先につぶしてかないと。センタリング前にこっちディフェンスに空きが出てる、これじゃ駄目だ」
「分かってんだけど、中盤堅いんだ」
「だから正面からなら何とかなるって。脇が怖いんですよ、パウロも足早いし」
 正面からなら多分、止められる。DF陣らと今更なような打ち合わせもして、監督が通訳つきで(イタリア人なもんですから)最後の指示を皆に出す。
 うちはディフェンスばかり特徴だてて評価されがちなチームだが、ラインを上げればまだ勝算はこっちにある。ボール支配率は勝っているんだ、落ち着いて行けば充分いける。
 おっしゃあ、と気合いを入れ直して、若島津は今度は自分から日向を睨んでやった。と、フィールドで動き回っていた日向が面を上げた。さすがに勘が鋭い、若島津の視線に気付いたらしい。しかし、またすぐぷいっと顔を逸らして予備の練習ボールを足元でじゃらす。
 何なんだっ
 お前の反応は全然読めんぞ。マジで嫌だ、こんなFW。
 笛が鳴り、後半戦が開始される。日向にばかり気を取られている訳にも当然いかず、あちらさんもロングパスで隙あらば上がって来ようと攻撃に変化を持たせる。途中、反町は何やったんだかフリーキックを取られていた。大した場所での反則でもなかったが、両手を挙げてさかんに審判に抗議し、ついにイエローまで追加でくらった。
 あいつも相当切れてんなと若島津は思う。高校の時もそうでした、熱くなると短気に輪がかかって見境なくなる。同じチームでやってた頃は、お前どーしてそういらんことまでするんだよ?!、と後ろから怒鳴りつけたくなったものだ。(実際、何度も怒鳴りましたとも)
 ところが「大した場所でも」というのは大ハズレだったようで、ここからうまく転んで若島津のチームはつるっと拍子抜けしそうに綺麗に一点を挙げた。味方サポーターは大騒ぎだ、緊迫した接戦なだけにゲットしたMFが皆にもみくちゃにされている。
 こーいう時、一人後方GKはちょっと寂しいですかねと。それに背中が向こうチームのサポーター席で、野次がぎゃんぎゃん飛んでくる。
 しかし、ふふ、これが燃えるんだよ。ゴールキック、あ、畜生そこでスペース塞げっててのにスカりやがって、馬鹿どこ見てんだ橋本のヤロー、うわ来たぞ、怖いんだパウロのロングパス……。
 前に出るかどうか一瞬悩んだが、目の隅で確認して城山に任せた。日向が突っ込んで来るが間に合わず、味方DFに弾かれたボールが左のコーナーに大きく流れる。相手方の足下に転がり、そこからもう一度素早くシュート。いや違う。ボールが高い。これはクロス狙いで出してんのか──…。
 若島津は飛び出し、高い位置にあるボールめがけてジャンプした。
 したはいいが。
 ───ばっか野郎!
 無理に決まってるのに、なぜか再び日向が突っ込んで来ていて──いや、ヘディングで競り合いたかったんだろうが、手が出せる分どう見てもこっちの方が早かったんだ──とどのつまり、若島津に体当りをくらわせる形になった。後ろにカバーに入っていたDFまで派手に巻き込み、三つ巴に芝生の上に倒れ込む。
 だってかわせるもんじゃない、50センチ以上も俺は宙に飛んでたんだ。
 受け身も取れず、若島津の後頭部は運悪く後ろに転がるDFの左膝に激突した。冗談抜きで視界には星が散らばる、そして暗転──。
 何秒かは完璧に意識を失ったと思われる。
 顔を覗きこまれて、名前を呼ばれて、ようやく若島津は腹に抱え続けていたボールから手を離した。隣りでやっぱり膝を抱えてうんうん唸っていたDF氏も、大丈夫、大丈夫と立ち上がる。
 うわお、視界がぐらぐら揺れている。見ると、ベンチからコーチが駆けつけていて、おまけに担架まで出動していた。イエローは出されておらず、取り敢えず日向も周囲に手を引っ張られて立ち上がる。
 もういけますからと、若島津は無理に笑って起き上がった。うん、オーケー。俺もいけます、大丈夫。…と、思う。
 ───まったく日向てめぇこのヤロー、何が歳に似合わぬ冷静な状況判断だよ。その煽り文句は返上しろ。今のでイエロー取られん方がおかしいんだぞ。
 本音としては、そう思い切り怒鳴りつけてやりたいところではあった。うちのルーキーが練習試合でこんな真似をしようもんなら、実際、俺はただじゃおかないよ。
 視線でだけでもその辺りは伝えてやろうと、キッと若島津は顔を上げた。後頭部をさすりながらのガン飛ばしなので、いささかポーズとしては迫力に欠けるかもしれないが。
「………。」
 日向は。
 なのに日向は、途方に暮れたような、なんつーか子供みたいな顔でそこに突っ立っていた。若島津の顔を見て口を開きかけ、だが言葉を失くしたようにうつむいてしまう。
「……。わかった」
 見かねて、若島津はつい口走っていた。自分でも何が「わかった」なのか理解に苦しんだが、言葉としては他に単語が出なかった。え、という風に日向が瞬きを繰り返す。
「わかったよ! …いいから行け!」
 だって、こんなとこにいつまでも居られたら試合が再開出来ないじゃないか。ほらほら、審判も笛を口元にくわえて待ってるよ。
 それでも、ちょっとの間だけ日向は動かなかった。
 そうしてやっぱり無言で、ペこりと頭を一つ若島津に下げてみせると、前線目がけて駆け戻って行った。
 
 
 
「こぶ出来てるなあ」
「こぶ程度なら恩の字ですって」
 ロッカールームでチームドクターに頭をひねくり回され、若島津は半分泣き言のように叫びを上げた。
「先生、俺服着かけなんです、見ての通り! 手ェ離してもらわないとシャツが着れませんよ」
「うーん。一応、明日にでもレントゲン撮っときなさい。病院の方には連絡しとくから」
 レントゲン。うえー、とうんざりして思わず唸ると、頭は怖いんだからねとしみじみ怒られてしまった。膝を打ったDF氏と若島津を交互に覗き込み、城山さんは本気で薄ら寒そうに首をすくめる。
「カンベンしろよォ、お前らこの時期に二人してコケてんじゃねえぞー。カップ戦これからが大詰めじゃねえか」
「好きでコケてんと違いますよ。あの暴走青年に言ってやって下さい」

  

 


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