「せえっかく若島津が重い腰上げて来たのになあ。まとまり的には去年の方が良かったかもよ、今年やたらと怪我人多いし。あ、でもアイツいいね、左サイドの…」
「7番? MFの水島だろ?」
「そんな名前か? よく知ってんな」
「ああ。あの子、ウチのチームに決まってんだってさ」
 ベンチ際のフィールドで、ボールを持ったまま監督と必死の形相で話しているユニフォームを顎で示す。
「えー、お前んトコぉ? 俺のチームにはどうなってんの。なあなあ、東邦からはいねえのかな」
「知らないさ、そこまでは。俺だって小泉さんからたまたまそれだけ聞いて……」
 台詞の途中で若島津は口をつぐんだ。前屈みでぼそぼそ会話していたのだが、その前の席に座る女の子二人が、くるりと後ろを振り返ったからだった。内の一人とはかなりの至近距離で視線がぶつかる。
「きゃ、…」
 反射的にだろうが、女の子は持っていたカメラをバッとこちらに向け直した。多分ね、本気で撮るつもりじゃなかったとは思う。そんなまさか、この距離で。望遠レンズも付いたままで。
「…反町ッ」
 とっさに、若島津は反町の腕を鷲掴んで立ち上がった。
 ええ?!、と叫んで段差につまづきながら、反町は階段通路へと引きずり出される。
「何なんだよ、どこ行くんだ!」
「いいからっ ああくそ、喚くな、目立つ!」
 観客席外の、売店側まで引っ張って来られてから、反町はやっと若島津の手を振り払った。そりゃ有名人でなくたってこのパフォーマンスは結構目立つさ。
「若島津、お前なあ…! いいじゃねえかよ、写真くらい! にっこり笑って握手の一つでもしてやりゃいいだろう?!  ファンサービスも出来ないプロなんているかよ!」
「サービスデーにはやってるよ! 構えてなかったんだよ、今のは!」
 あのままでいたら、二秒後には硬直していた自信がある。テレビカメラがいるなとか、あっちに向かって愛想ふるぞとか、意識してればまだなんとかなるんだか。
「ホンットに、今時珍しいヤツ……」
 やかましいわいとは思いつつ、ま悪かったよという意思表示に、若島津は反町に自分の革の財布を突き出した。別に全部をあげようってんじゃありません。目線だけで売店の方へ反町を促す。やれやれと反町は肩をすくめ、受け取った財布を振り振り歩いて行った。
 トイレ横の人目につく位置から少し場所を移動し、若島津もため息で背後のコンクリート壁にもたれかかる。
 …やれやれ。
 反町はジュースの缶だけど、しまった、俺はスナック菓子の袋を食べかけで置いてきちゃったよ。ゴミになるってのも申し訳ないが、あの子たち、ひょっとして持って帰ったりしやしないだろうな。ファンはファンでも若い女の子の複数形が一番苦手だ。時々、女の子パワーって常軌を逸してることがあってえらく怖い……。
 途中、遅いなと目をやると、反町は売店の混雑の手前辺りで、女の子のパーカーの背中にサインを書き入れてあげていた。マ、マメなヤツ。確かに俺には真似出来ん。だいたいそのマジックは一体どこから現われたんだ。
 視界を何度か人影が通りすぎる。もうすぐハーフタイムも終わるだろうしで、皆心無しか急ぎ足になっている。ジャージ姿の高校生らしき人影も多い。どっかのFCの団体さんなのか、小学生の集団がコーチらしき大人に連れられて騒いでいる。
 おや、とそこで思う。さっきから目の前数メートルをうろうろしている人影が、同じ人物らしいのに気付いたからだ。誰かを探しているというより、目的があってそこを何往復かしてるとでもいう印象だった。メイアイ・ヘルプユーとはいかないが、端的に言えば不審人物。
 視線を落とし気味にしていた若島津は、この人物のほぼ下半身しか見ていなかった。何やってんだと、そのまま顔を上げて人物の全景を視界に捕える。
 ジーンズにスタジャン、野球帽。かなりデカいけど大学生…?
「──…え?」
 若島津と視線がぶつかった青年は、心からほっとしたような、またはバツが悪そうな複雑な表情を一瞬よぎらせ、タタタッとこっちに駆け寄って来た。いやさ、そのサイズからしたら「タタタ」なんて可愛いもんじゃなかったかもしれませんが。
「ひゅう、が…? お前、なんでここに」
「どうも。───お久し…振りです」
 ええとお久し振り、か?
 割とどうでもいいことを真面目に考えかけて、若島津は日向の背中越しに反町に合図を送った。場所をずれた若島津を探し、きょろきょろ辺りを見回していた反町は、若島津の前に立ち塞がる人影に怪訝そうに首をかしげる。  
「お、日向ぁ? なーにやってんだ、てめえ!」
「何って、観戦しに来てたんですけど。見たまんまっすよ」
 少々会話が雑なのは、この二人が現在同じJチームの先輩後輩のせいだろう。明快でお調子者の反町と、一見無愛想な日向とは、どうも罵詈雑言でコミュニケートを計るらしい。若島津にはあまり見せない日向の一面だが、これはこれで反町にはなついてる方なので何だか不思議だ。
「なーに、若島津こいつが来んの知ってたの? ああ、それで今日ね、デートならもっと静かな場所選びなさいよ」
「アホか、言うにことかいて何ぬかしてんだ。知らなかったよ、今グーゼン。───な、日向」
 なあ?、と振った言葉はしかし宙に浮いた。日向は右左と視線を動かせたあと、それでもまた数秒置いて、はあ、と間の抜けた返事をした。
「…誰かと来てんのか?」
「いえ、…違います」
「あ、デートか。何だよ、だったら早く戻んないと」
「違いますっ」
 色が黒いんで判断しにくいが、日向は「多分」「おそらく」赤くなって吐き捨てた。あやや、もしかして悪いこと訊いちゃったかな。だけど、ハハ、かわいーヤツだなー。
 自分のことは棚上げ式で思いながら、若島津は反町からコーヒーの缶を受け取った。
 

 

 


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