「うわ、アチッ」
「あそれ、熱いから気ィ付けてな」
「遅えよ、お前…」
 持ちましょうか、と手を出しかけた日向に、いや飲むからと断って口をつけると、そりゃそうっすよねと日向は余った手で野球帽のつばをいじくった。その背中からのしかかるようにして反町が腕を回し、ぐりぐりと頭を押さえつける。
「なーんだよー、ぼっちゃん女連れなんかよー。オラ見せなさいよ、取りゃしねえから」
「だから違いますって! カズさん、やめて下さいよっ」
 ふっ飛ばしたいのを懸命にこらえる素振りで、日向は屈み気味に反町から身体をもぎ離した。
「小次郎くーん、俺と君の仲でしょぉ」
「しつっこいなッ ホラ怪しいじゃないですか、俺らムチャクチャ!」
 そ、そうね、これは凄く怪しいことになってるね。言われて、笑って見ていた若島津も我に返る。だって隅っことは言え、身長一八○以上は優にある男三人で、子供みたいにじゃれてんだから。
「おい、反町その辺にしとけ。それにそろそろ俺らも場所探さないと」
「え、…って今まで立って見てたんですか?」
 粘る反町を肘でブロックしつつ、顔だけこちらに向けて日向が尋ねる。
「まさか。東邦の応援席に混じって見てんだけどね。なんか、……居づらくなってきちゃってさ」
「お前が勝手に出て来たんだよ。ちくしょう、人を巻添えにしやがって!」
 だーから悪かったという意思表示はしたでしょおっ
 じゃあ反町、お前が今食ってるチップスとそのポケットの缶コーヒーは誰の出資なんだよと、若島津は低次元の喧嘩をふっかけようとして───思い出した。
「てめえ反町、財布ッ ちゃっかり自分の懐に入れてんじゃねえぞ!」
「あらあ、気が付いたの」
「ったり前だろッ、いいか三秒だ、三秒以内に出せ! 俺は本気で、…」
 はっとして若島津は握り拳のままで横を窺った。
 果たして、固まった日向が、目を点にして若島津を見ていた。
「わ、かしまづさんて、……けっこーワイルド…?」
「日向、お前何言ってんだ、試合中のこいつ見てないのかよ! 暴言キングだぞ、口の悪さでイエローもらえる数少ない奴だぞ!」
「手ェ出してレッド取られる浅はかさに比べりゃマシだろうが! 日向、いいか誤解するなよ、こいつ相手だからこうなるんだ! お前、俺の財布拾って、返す前にカードで支払い済ませたことあっただろっ」
「聞こえわりーぞ!、一緒に呑んでた時じゃねえかよ。俺もかなり酔ってたっしょ!」
 こりゃもう低次元も低次元、地を這うほど低次元に落ちた言い争いに、日向が口を挟みかねて困惑している。その内、困惑したまま日向は肘を振り上げ、反町の頭を擬音付きでどついた。それにはさすがに若島津もびっくりした。
「きさまーッ」
「えっと、───オチがつくかと思って。ここ公共の場っすからマズイですよ、やっぱ」
「それで先輩殴るか、第一どーして俺だけっ」 
「若島津さんのカード代」
 よく判んない論旨で、頭を抱える反町のポケットから、日向は財布を二つ引っ張り出した。
「これカズさんのだから…、こっちか」 
 中を確認して、はいと若島津に一つを差し出す。残った方は反町に戻し、パンパンと上着の上から叩いてみせた。
「ほら、戻しときましたから。で、どうします?、俺も荷物とか置いて確保してるわけじゃないんですけど、こっちのゴール裏ならかなり席空いてましたよ」
 いい根性してるよ、お前、と反町はぶつぶつ呟いて、結局日向のあとに続いて歩き出す。必然的に若島津も一緒に移動しながら、日向の背中を指して小声で尋ねる。
「こいつ、もしかしてちょっと変わってる…?」
「ええ? どーかな、…変わってるかな…。なに、お前の方が最近よく喋ってんじゃないの?」
 よくってほどじゃ、無い。と思う。
 去年のリーグ戦のラスト辺りで、なし崩しに顔見知りにはなり申した。反町と飯食うついでに、誘えば嬉しそうに着いて来る。初回含め、二度は差し向かいで呑みにも行った。
「そういや未成年だったよなあ…。俺、こないだ呑みに連れてっちゃったよ」
「今さら言うな。ま、時々俺も忘れてるけど」
 とは言え、大学生辺りなら大手を振って呑みまくってるお年頃だ。あんまり本気で気にかけてもいなかったが、若島津がそれをまともに意識したのは、去年、彼等のチームがリーグ戦優勝を飾った時だった。(ちなみに若島津のチームは三位でした。くそ、いいんだよ、カップ戦で優勝してたから)
 最後の一試合まで優勝争い激戦のリーグだった。面白くない気分で、それでも夜のスポーツニュース・祝賀会会場中継を若島津は見ていた。派手にビールかけだのホテルのプールにコーチ投げ込みだのをやっていて、その合間合間にレポーターが選手を捕まえてコメントを取る。ありがちな大混乱の情景の中、カメラが何人目かで日向を捕まえた。
 マイクを突き出された途端に慇懃無礼になる日向だったが、この時ばかりは全開で嬉しそうに笑っていた。
 おめでとうございます、で始まるインタビューに、ども、と馬鹿丁寧に頭を下げる。率先してコーチと先輩をプールに投げ入れたのはどうやら彼らしくて、その辺りのことをひとしきり突っ込まれたあと、
 ───そう、日向選手はこの間まで高校生だったわけですから、こういう場はまったく始めての経験ってことになりますよね?
 ───そう、ですね。なんか、もうムチャクチャですけど。
 ───じゃ、未成年ですからビールはやっぱり…、
 その瞬間、日向はうっと唾を飲み込み、うろたえたように視線を動かした。思うに、言葉に詰まった時のこれはこの坊やの癖なのだ。バカ、なんか言えよと画面のこっちで若島津までうろたえていると、ささっとどこからか素早く反町が割り込んできた。
 ───ジュースですよ、こいつはさっきから一人で。かわいそうでしょ、酒は全部被るだけって、もー正しい酒呑みにはなれないっすねー!
 わははー、とビールを豪快に日向とカメラマンにぶっかけ、反町はインタビューを無理やり自分にかっさらった。
 反町、お前いい先輩だ。凄く行動は怪しかったけど。
 リビングのソファに半分沈んで、若島津は笑い涙をこらえたものだ。
 

 

 


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