「健康、なあ。俺がその量食ってたら、逆にベスト体重オーバーするね、間違いなく」
「お前は酒やめろ、酒」
 若島津の言葉に、反町は恨めしそうにコーヒーをすすった。先ほど危うくワインを(しかもデキャンタで)頼もうとして、運転手の若島津に「お前だけか?!」的視線で睨まれ、彼は渋々それを諦めたのだった。
「しかしだな、『食えそうだったら取り敢えず食う』っての、それで日向のセーカクのかなりの部分表わしてると俺は思うぜ」
 え?、と日向が飲んでいたジンジャーエールから顔を上げる。さっきから細いストローが邪魔そうだ。一人だったらコップに直接口をつけて飲んでるだろうなと、若島津は想像して可笑しくなる。
「ふうん。ライバルチームのFWとして、こちらも一応は研究させて頂いてますが。さすがに普段の性格まではねえ、まだまだ俺も把握しちゃいないわな」
「いやあ、プレー中も含めて。こいつ、その場の勢いが多過ぎんだよ」
「そうなんだ? 日向って、冷静な判断力が売りの一つじゃなかったっけ」
「───他が言うほどっ、自分でそうは思ってないです」
 コップを置いて、うつむき加減に日向は吐き捨てた。
「とっさに行くかハタくか結構迷うし。プロとしてコントロールが悪過ぎんのも判ってます。…カズさんが言うほど、その場の勢いってだけじゃねえ…ないとは思いますけど」
「ウソだねッ」
 アルコール入ってないくせに、反町は周囲を無視した大声で叫び返した。それにまた反論を返そうとする日向を押さえ、若島津に向き直って唾を飛ばす。
「こいつはな、こいつは試合中に気分で己を試すワケよ! 覚えてるか、お前んトコとのその次のアウェーのステージ!」
「あ、あーと、大阪だったか?」
「そう! なんかやけにサイドから曲がるシュートにこだわりやがんの。そいでお立ち台でぬかした台詞が『やってみたかったから』って、ナメてんのか、てめえ!って感じよ。あれ、…何だっけバイエルンだっけ?、あの辺の選手の真似したかったんだと」
「それがイメージしたかったって、ちょっと言っただけじゃないすか! 最初一回やってみたら、あ惜しいな、でもイケるなって。だったらも一回って、思っちゃうもんでしょ。だいたいバイエルンじゃないスよ、インテルだって! 一緒にカズさんがプレスルームでビデオ見てて、あれ狙うくらいで行けよって言うから…」
「何も試合でいきなり試せとは言ってねえよ」
 どっちが悪いとかいう問題では無さそうだが、確かにそれはそれで怖い話だ。
 若島津は自軍のDF・城山氏が、日向をして「セットプレーが読めない」と評したのを思い出した。どうも新人で試合数が少ないからだけではないらしい。
「インテルの誰だって? 俺もあそこのチーム好きなんだよね」
「いいっすよね!」
 よほどお気に入りのチームなのか、途端にパッと日向は表情を輝かせた。
「シュナイダーが、いえタイプ的には全然オレと違うのかもしれないけど。コントロールだけじゃなくって、スーッ、スーッと上がってきたら、そっから一瞬がすっげー早いんですよね。ただあんまり動かないのが…、あ、でもアレ動かないのがいいのかなあ。パーッて動いてコントロールきいてて。真似すんの、高校ン時の先生にはまだ早いってしかられたんです、ホントは。そん時のワールドカップ、衛星入ってる視聴覚室でこっそり皆んなで見てて。…まだ駄目だなー、シュナイダーだから出来るのかな」
 珍しい「若島津に向かっての」長台詞だったので、若島津は少し驚きながら感心して聞いていた。日向自身もやがてそれに気付いて、最後の方は濁しつつ言葉を飲み込んだ。
「だから、…だから、まだまだです、オレ」
 当り前だよ、と反町が笑って横から頭をはたく。その彼が、どれだけ新人として日向を買っているか、若島津はもちろん知っている。
 ───見てる人は見てるってことよ。
 ええ、そうですねと、今なら小泉さんに頷き返せる。 
 今だったら。
 日向、お前は恵まれてる立場だと言えるだろう? 雑誌ひっくり返して調べちまったよ。お前の獲得には13チームが動いたって。俺の時も、全チームが交渉に、なんてうるさく書かれたりはしたけどさ。でもまだ12チームしか無かったから、お前の方が1チーム多いって単純計算になるんだぞ。初スタメンで初優勝で、ユース代表までやってんだから。
「な、…なんかオレ、…スイマセン」
 微苦笑でじっと自分を見ている若島津に、日向はうろたえながら目を逸らした。
 どうしてだろうね、若島津は無償に何かをしてやりたくなる。でっかい秋田犬みたいな、雛からやっと翼の生え揃った鷹みたいな、自分の大きさをまだ把握しきっていないであろうこの坊やに。
 取り敢えず日向、走ってくれ。『取り敢えず』と迷った瞬間に走り出していてくれ。それがお前にはとても似合うよ。
 コケたらコケたでその時だ、また起き上がって走ればいいから。
 
 
 店を出て車に乗っても、車が町中を走り出しても、反町はしつこく禁酒に不服を申し立てていた。ハンドル握る限り俺は呑まないからなと、断固とした調子で若島津が繰り返すと、じゃあハンドル離せる場所に行こうぜと明るく笑う。
「どこだよ、それは」
「まあいーから、いーから」
 首をかしげながらも、指示通り右に左にとハンドルを切る。そうして二○分後、それが自宅マンションへ辿る道だと、若島津が気付いた時はもう遅かった。
「───まさか、おい俺んトコか?!」
「ここまで来て。ニブいな、お前も」
 う。自分でもそう思う。
 反町一人だったらそこらに放り出してやるくらいしても良かったが、日向もご同乗となるとそうはいかない。なんのかんの言って面倒見のいい反町と違い、どちらかと言えば人見知りする自分が珍しくこの子を気に入っているのが判っていたし(自チームの後輩は別。あれは損得感情も混じってるから)、出来れば気のいい先輩のスタンスを崩したくなかった。

 

 

 


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