「だからさ、俺や反町や、しんどくない人間だっているわけだろ。そうだよ、最初は俺だってお前が読めなくて参ってたぜ。生意気なやつだなって、第一印象がそこだったんだし」
「あんたは違うよ」
 青年は身体を起こして、きっぱりと言い切った。
 あんたは、違う。
「あのさ…オレのこと、分かろうと思ってくれる奴だっていっぱい居て、オレ、ホントにそのことは感謝してる。カズさんだって本気で怒るし本気で心配してくれるし、聞いてくれる。チームメイトもみんな好きだよ。そういうの、オレ甘えてんのかもしんねぇけど…」
 でも、と日向は若島津の膝に手を置いて、下から覗き込むように目を合わせた。
「あんたは違うんだ。オレあんたにしか、こんなこと言いたくないよ」
「───…」
 何秒か、その日向の真剣な目を見下ろしていた。
 やがて若島津は、カーッと頬に血が昇ってくるのが自分で分かった。絨毯に直接腰を下ろして片膝立てて(その膝には日向の右手が乗せられている)、ぼーっと気を抜きまくった姿勢でいたはずなのに、叩かれたら音がするんじゃないかと思うくらい固まってしまった。
 視線は突き通しそうにまっすぐだ。こんなに言葉以上を語る真摯な目もそうは無い。鷲掴まれて逃げられない。どこまでだって追ってきそうだ、火の中、水の中、例えそこが大気圏外だとしたって。まっすぐまっすぐまっすぐまっすぐ……、
 う。
 ───わぁっ
 状況を打破しようとした勢い余って、若島津はとっさに日向の頭を殴り倒していた。
「いてェッ!」
 はぁはぁ言いながら床に両手をつき、思わず数なんかを数えてしまう。いち、に、さん、ご、じゃない、よん…。
「なんで殴るんだよっ」
「やかましい!」
 この人間凶器が。お前、もう少しで俺を殺すとこだったのを知らないだろう。
 本気で本気で本気で死ぬかと思った。しかも死因は心臓発作だ。あの、なんですかね、キ、キスする時は大抵なんとなく目はつぶるわけだよ(どもるな)。また、向こうにその意図が無かったのが今の状況では分かるわけ。あったらこっちだって身構える。少しはそちら方面に思考回路も切り替えている。
 でもこんなふうに迫ってくるのは───反則でしょう! 一人だけ突き落とされるのは納得がいかーん。
「ひとごろしー、ざけんなてめー」
「えっ?、何が? ねえ、オレ、なんかマズイこと言ったわけ?!」
 わーん。若島津は時計を指し示して「帰れッ」と叫んだ。
「門限ッ 時間見ろよ、もうギリギリなんだぞ! 反町に厭味くらうの俺なんだからな!」
「オレだって言われるよ、罰則だってつくんだぜ! こないだなんか風呂場掃除一週間も!」
 そーいうレベルで今は言い争ってんじゃなーいっ
 顔を見られるのがもう嫌で嫌で、若島津は視線を逸らしまくったまま、その日は日向をマンションから追い出した。
 
 
 
 話がやたらと前後して申し訳ないが、ここでぐるっとストーリーは冒頭へ戻る。
 
 さすがに若島津だって「悪いことしたかな」と、あの日、追い返した後は反省した。だってあれは日向のせいじゃない。いや、厳密に追及すれば日向のせいはせいなんだろうが、若島津自身の問題の方にバランス的には傾いている。
 それでまあ、ご機嫌取っとこうかな、なんて殊勝にも思ったんだよ。さり気なく連絡取るとか。こっちから誘って食事に行くとか。
 この時、若島津の頭に浮かんだのが、カール・ハインツ・シュナイダー氏の存在だった。まだシーズン始まる前に、キャンプだのマンション決めたりなんだので彼は来日していた。国際試合で面識もあったので、若島津から声をかけやすかったってのももちろんある。
 先日、たまたまフロントが施設設備説明を兼ね、クラブを案内しているのに行き合った。
 おォー、シュナイダーだ。オォー、本物だ。そんな感じに若手連が覗き込んでる中、ベテランのDF城山氏と若島津がちょいちょいと呼ばれ、通訳さん挟んでご紹介の段を預かった。
 実はユース国際試合で当たった大昔、彼と若島津はモメまくったことがある。彼のPKを若島津が完璧に止めた直後、無茶な飛び出しからイエロー取られてうっかり累積退場くらい、その背中にシュナイダーが嘲笑めいた罵声を投げた。振り返って凄い形相で戻りかけた若島津を(ドイツ語だったんで正確な意味は分かんなかった。だが失礼な罵声だってことは万国共通、おそらく誰にだって通じた)味方チームメイトが必死になって取り押えるも、胸元ド突き合い小乱闘。煽りでもちろんシュナイダーも一発レッド、これは痛み分けとでも言う結果に落ちた。いや、お互い十代で若かったんだ……。
 次はなんだっけな、オリンピック本戦か。あれはわざとじゃ無かったろうが、ゴール前での混戦の中、シュナイダーのスパイクが若島津の頬から耳許に入って、流血沙汰の惨事になった。そのまま血止めをして試合は続行したが、なんとこれはカルーく骨折していた。さすがに若島津も自分でびびった。
 ちゃんと後から詫びも入ったので、それらは遺恨を残してはいなかった。敢えて言うならマスコミ連中が盛り上がってた。
 直に話してみると(や、お互い不自由な英語だけども)おやまぁ、皇帝陛下ったら意外といい奴。──と、いうのが若島津の出した結論だった。
 すこーし自意識強いタイプだな、というのはあるが、その辺りも「パツキンの外人さんだし!」と一歩間違えれば大偏見めいたオチで納得する。何より、ヨーロッパチームを渡り歩いて磨いたそのテクニックは、やはり素晴らしいものだった。ウチのチームも張り込んだもんだ、契約金は一体なんぼであろうか。
 そうして、最近は若島津にとって、シュナイダー氏はもうひとつの付加価値が加わっていた。
 日向がね。ふんふん、日向がこの人のファンなんだよね。
 サイン貰ってやろうかってのは冗談にしても、お食事・呑み会のセッティングぐらいはやってもいいぞ。世界的に知られたFWと会談すんのも、日向にとっていい経験になるかもしれないし。
 反町に相談すると、いい案だと手を打って、しっかり自分もメンバーに組み込んできた。正直言ってそれは助かる。外人さんが喜びそうな店なんかも詳しそうだし、会話は嫌がう上にも盛り上がりそうだし。(なんたって坊っちゃん、喋らんからね…)
 シュナイダー氏は快く引き受けてくれた。来日したばっかりで、本人寂しいのもあったかもしれない。
 ───チョット日本語、ヒヤリング、オッケー。
 そうにこやかに通訳さん連れずに待ち合わせの駐車場に現われて、そりゃもー楽しそうに若島津のイタ車に乗り込んでいた。
 途中の駅で日向も拾って、反町指定の場所へと向かった。日向は少しばかり赤い顔で、いつにも増して無口だった。
 派手なイタリア車は当然のように左ハンドル(俺の趣味で買った車じゃない!・若島津さん談。第一話参照)。途中、助手席に居たシュナイダー氏が、何かの拍子に若島津の右横顔をまじまじと覗き込み、ソーリー、と小さく謝った。

 

 


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