「───アッ、」
 身体の奥に滑り込まされた指を感じ、その時ばかりは反射的に肩が竦む。膝がもがいて、バスタブの中の湯を跳ね上げる。
 仰け反った若島津の顎先に舌を這わせながら、日向が少し意地悪く笑ったのが目に入った。
「な、んだよ…?」
「いや…。どこがニブくなってんのかなって」
「なってる、さ。どこもかしこも…、止まらな……っ」
 声も。恋心も。欲情も。押さえ付けるものが今の自分には何もない。
 焦らすような動きに、鼻にかかった吐息でその先をねだる。頬をすり寄せ合い、耳許にかかる日向の息が熱くなったのを知って、若島津は羞恥と安堵のないまぜな複雑な気分を味わった。
 日向の愛撫は意外と細やかで丹念で、最初の一回を抜かせばひどい無茶をされたという記憶は薄い。そして多分、自分も慣れた。確実に互いが互いをうまく揺らすコツを覚えつつあるという事実が、自覚する度に若島津をたまらなくさせる。
 なのに、10代の頃にはまだ青臭かった彼の身体が、次第に肩幅も肉付きも増して、時折、見知らぬ男のように思えたりもする。こうやって、しばらく期間を間に置いて抱き合う時は尚更だった。抱かれる感覚だけは身体で覚えている、この目の前の見知らぬ男。掠れた声で囁かれる自分の名前。
 泣き出しそうな響きで彼の名前を呼び返す、この甘ったるい声音は信じられないことに自分の口から漏れたもの。
「も、……イイッ」
「どこが? ここが、いい…?」
「そう、じゃなくてっ もういい加減…」
 本当に目尻から溢れ出してしまった滴を、日向のザラついた舌が舐めとっていく。
「そんな泣かないで。俺が虐めてるみたいで余計に止まんなくなる…」
 虐めてるじゃないか、と精一杯睨みつけると、「じゃあ罰だよ、これは」と日向は真顔で切り返した。
「俺を振り回した罰、俺の気持ち知っててからかった罰。ひでェよ、弄ばれてるよ、俺」
 だから、こんな時くらいは主導権握んないとさ。
 どこまで本気なのだかそんな言葉と一緒に、日向は若島津の深いところまで指先だけで暴こうとする。もし本気で言っているなら、こいつ間違いナシに馬鹿だなと、若島津はクラクラする頭のどこかで考えた。主導権をいつも握られっぱなしでいるからこそだ。こっちだって、たまには彼に意趣返しをしないと気が済まない。
 ───言葉や素振りだけじゃ信じられない。彼の激情の中でしか安心出来ない。
 百万回くり返される言葉より、抱き締めてくる腕や熱い視線の方が、彼の奥底を雄弁に語るだろうから。
 肘を必死にバスタブの縁に引っ掛けて上半身を支えているのが、若島津もだんだん億劫になってきた。逆に下半身の力は抜かないと自分がツラい。そのアンバランスさがもどかしい。
 いっそ協力した方が姿勢で言えばラクじゃないかと思いながら、でもそうすると腰がズリ落ちて湯の中に頭まで突っ込みそうで、迂闊な動きが取れないことにますます気持ちが焦れていく。息を詰めて、日向の感触だけ追おうとするのに、見計らったようにまた日向が引いたりするので始末に悪い。
「お、い…お前、いつ、まで遊ぶ気…」
「もうちょっと。…我慢出来なくなるまで…」
 どっちの我慢だ、というのは訊かなくても分かった。
 堅く閉じてしまっていた目を、懸命にこじ開けて窺い見た日向の顔は、まださほど溺れきってはいなかった。さっきの申告通り、確かにいつもより駆け上がるのが遅い若島津の快楽に、今日はゆっくり付き合うつもりになったらしい。
 ヘンに余裕のある表情なのが憎たらしかった。なるほど、もう思春期は卒業ということか、とそれとは関係のないところで感心もしている自分に結構笑える。
 だが、言いたくもないが、最終的な快感に繋がりにくいというだけで、その手前でずっと揺らされ続けているのはかなりしんどい。
 フルゲーム出場直後からアルコール摂取、更に風呂場の熱気の中で生殺しみたいに続く長い愛撫。スポーツ選手でなかったら、とっくに心臓かどこかがイカれてそうだ。
 片手で若島津の身体の奥を探り続け、片手で湯の中の腰や胸をさすり続けていた日向の唇が、ふっと、耳朶を柔らかく噛んでくる。嫌がって頭を振ると、笑って首筋に場所を移された。
「ここはキレイ…。さすがに傷ないよな」
「───痕、付けるな、って!」
「ハイネック着なよ。冬だし」
「……ンッ」
 歯の感触が強く喰い込んできて、冗談だと分かっていても思わず真剣に身体が竦む。必然で締め付けてしまった日向の指が、そのタイミングを狙っていたように激しく内部を擦り上げた。
「ヤ、…ほんとに、ひゅうが…ッ」
 勘弁してくれと、これには完全に泣き声になって制止を入れる。案外すぐに日向は歯を離し、唇と舌に換えて寄せ直した。あれだけ痕を付けるなと念を押していたのに、その穏やかな感触に若島津は内心でほっとした。
「このぐらい、俺の痕があってもいいと思う。……あんたのせいじゃなくっても、あっちこっち、他人に残された傷だらけのあんた見てるとさ」
「何、馬鹿言って」
「…どうせこんなの、すぐに消える。けど俺は、俺があんたに残せるものが本気で欲しい」
 我侭者め。
 罵りかけて、それは日向の熱情しか信じられないと思う自分と、どこか似ているのに気が付いた。我侭だ。自分たち二人とも。それともこれが世に言うレンアイってやつ。
 どれだけの傷が自分にあっても、どれだけの痛みを背負うことがあっても、本当の意味で自分を傷付けられるのは彼だけだ。なのに彼はちっともそれを分かっていない。胸に刻まれたこの痛みは彼だけのためだと、日向は一つも知ろうとしない。
「…この、バカ……」
 苦しさに、日向の頭を胸にかき抱く。姿勢はつらかったが、そうでもしないと気持ちが破裂しそうになっていた。腰をズラせない代わりに、膝の力をもう少し抜く。日向の身体をもっと手前に引き寄せやすくするために。
「なあ、もう我慢、できない…。もうムリ。…ゲンカイ」

 

 


前頁 ■ ■ ■ 次頁


NOVELS TOP