「…お前なぁ。こないだの選抜ん時の体力測定値を考えろよ。瞬発力と持久力、両方ベスト5に入ってたのお前だけだっただろうが…」
 頭を日向の方に向けて若島津が言うと、そーだったっけ?、と日向は真顔で首をかしげてみせた。呆れてしまう。つくづく、彼は恵まれた己という存在に無頓着だ。
「鍛えてはいるよ、確かに」
「バカ野郎。俺だって鍛えてるさ」
 でも違うんだよね。それは努力とか鍛練とかいう言葉だけでは片付けられない。日向の資質は彼が生まれ持った財産だ。どんな逆境も、どんな困難も、ねじ伏せていくであろう強靱さ。全てが彼の身の内から溢れ出る希有な才能。
 もちろん、若島津だって自身の能力評価を過小も過大もしていない。曲がりなりにも日本の頂点に立つキーパーとしての自負もある。それでも、日向のその闇雲さや強靱さには、いつも勝てない気がどこかでしている。
 ───だからこそ、今現在こんなことになっちゃってんだけどさ。
「どしたの…?」
 目を開けているのに無言でいたのが良くなかったらしい。覗き込むようにして日向が不安気に尋ねてくる。別に、と短く応えたら喉が絡んだ。一度湿らせてからでないと舌が動かしづらい。それをとっさに忘れて声を出そうとしたためだった。
 こんなことだけは察しがよく、日向も素早く頭を回した。
「なんか飲み物持ってこよっか?」
 酔い醒めの後のせいもあるし、サウナで運動状態だったせいもある。今の内に水分補給をしないと朝になってからがヤバそうではあった。
「んー…。じゃあ冷蔵庫のポカリ頼む…。扉の方にボトルがあるから」
 うん、と言い置いて日向はベッドルームを出て行った。
 裸の背中を見送って、パジャマ着りゃいいのにとまだ思う。無駄のない筋肉、しなやかな動き。試合後の自分と比べるのは当然お門違いにしても、何であいつ全然疲れてないんだと、やっぱり呆れる気持ちで吐息が漏れる。
 ドアを開けっ放しで行かれたおかげで、キッチンの方の物音が微かに聞こえる。おや時間がかかってるなと、若島津が不審に思い始めたちょうどその時、バタバタと足音高く日向は戻って来た。手には青いラベルの500ミリ・ペットボトルが握られている。
「なー、アクエリアスしかねぇんだけど! これで良かったの?」
「ああ。そうだ、…悪い、俺が間違えてた。それでいいんだ、貸し……」
 言いかけて若島津は途中でやめた。
 ははは。───ハハハ。
 腰が動かん!
 さっきもそうだったが肩を引き上げるのが精一杯で、手を伸ばすのも身体を起こすのも不可能だった。何がどうなっちゃったんだと青冷めるほど、力が入らない上に感覚も鈍い。だるいのは眠いのと体力使い果たしたためだと思っていたが、もしかして一番の要因はこの腰の感覚からきているのでは。
「だ…だいじょぶ?! どっか痛い?!」
「いや、痛いんじゃなくて…」
 そう、恐ろしいことに痛みは無かった。おそらく傷も負ってはいない。じゃあ何が恐ろしいって、あれだけ先にいじられてりゃな、と納得しそうになる自分が恐ろしいってゆーか。
 な、慣れか。これは。
 そして単に、やり過ぎで腰が抜けてるのか。
「──…肩、起こすの手伝え」
 ちょっと目付きと声が座ってしまった若島津に、日向はびくびくしながら手を貸した。一緒に差し出されたボトルを受け取ろうとしたら、今度は指の関節にも力が入らないのに改めて気付く。ボトルはつるりと落ちて絨毯を転がった。
「ご、ごめん!」
 なぜか日向が謝り、屈んでボトルを拾い上げる。その間も片手では若島津の背中を支えている。でないと若島津が姿勢を保てないのを、彼も掌にかかる重さで分かっている。
「……お前」
「う、……うん」
「何をどこまでしたら、俺をこんなに出来るんだよ…?」
「あ、やっぱ……そっちの限界?」
 息を止めそうになって、若島津は深呼吸を繰り返した。マジでマジでマジで今こいつを殴り飛ばしたい衝動が駆け巡る。なのに殴りたい原因のせいでそれも出来ないッ
「だからオレ謝ったんじゃねえかよーっ! すいません、ごめんなさいッ 凄かったよ、すんげーオレは楽しかった! こんなん一生にいっぺんかな、ぐらいは楽しかった! だってあんた、口で言うばっかで、全然──テイコーしねぇんだもん…」
「ああ、一生に一度だろうとも! 文句ナシになッ!」
 怒鳴るために腹筋使うのもいっぱいいっぱい。こりゃどういうことだ。
 何回やったんだと低くドスをきかせて呟くと、おそるおそる日向は指を立てて突き出した。
「あ、風呂場の入れたら…も一本」
 数はご想像にお任せします。若島津はぐらりと比喩でなく身体を揺らした。
「……俺の今日のスケジュールなんてものは考えなしにか…?」
「途中で訊いたよ、ちゃんと! 完オフなんだろ? 明日も午後からの予定しか入ってねえって」
 自分で言ったよ、あんた。
 拗ねた口調も混じりながらの日向の言葉に、その時に若島津が考えたのは、しばらく禁酒しようとかそういう次元の問題だった。アルコールに人より弱いわけでもないハズなのに、なんでだか久しぶりに飲む度に失敗談が増えていく。(普段飲まないからこそ、飲んだ時に羽目を外し過ぎてコケるとも言う)
 中でもこれはサイアクだ。いくら本日の予定が完オフだったとしても、足腰立たなくなるまでセックスなんて、いい歳こいた大人のやることじゃない。
「最悪だ……」
 自己嫌悪で2度目は声に出して呻いていると、ムッとしたように日向が言い返した。
「なんだよ、ズリィな。オレだけ楽しんだみたいな言い方しなくたって」
 ───ええい、こっちも楽しんじゃったようだから言ってるのだ、馬鹿め。
 とは若島津は口にせずに飲み込んだ。これ以上、日向を喜ばせてやるのもシャクだった。代わりに吐き捨てたのは、
「着ろ。パジャマ!」
 音量は小さいながら、その迫力に、今度はすごすごと日向も従った。ついでにベッド脇の椅子にかけてあった若島津のパジャマも取って、袖を通すのをかいがいしく手伝った。
「上だけでいい。…本気で動けないんだ」
「でもその方がなんか逆にエッチくさ…──ごめん! ウソです!」
 じろりと睨んだ若島津の視線に、日向は慌てて横を向く。こいつ、口は災いの元っていう古来の格言を知らんのかい。
「でっ、これ飲むんだろ?」
 話題を逸らせるように、日向の手がさっきのペットボトルに伸ばされる。軽くキャップをひねって突き出しておいて、それから彼は「あ、」という顔をしてこちらを窺い見た。
 どうしようか若島津だって悩んだが、自分で持てないのではしょうがない。日向に再び肩を抱き起こさせて、やっとのことで口を付ける。
 唇が湿って、どれだけ自分が乾いていたかを改めて認識した。喉を鳴らし、ほとんど一息で飲み干す若島津を横で眺めていて、日向がどんなアホなことを考えているのかも想像がついた。

 

 


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