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「相手にも門限があったりする場合もあっからさ。さり気なーく、自宅までどのくらいかかるか訊いとくのは重要だよな。まず映画が終わるだろ、そこいらで茶ァすっだろ。適当に歩きながら喋ったりもして、で、ホテルになんとか入るとするだろ。そこにきていきなりコトに及ぶのもアレだから、またなんか部屋でベッドに並んで座ったりして、だらだらっと喋るだろ。その間中、頭ん中にこーいう、」
 と、反町は両手で丸を作ってみせた。
「…時計がずっと回ってるわけよ、密着度を高めながら喋りながら、それとなーく相手のボタンをいじったりなんかもしながら、……」
 ふざけて、自分の横に若島津を座らせ、肩に腕を回してくる。ふんふん、と若島津はこれは半分冗談、半分興味で、反町の指が自分の襟元に遊ぶのに任せておいた。
「じわじわーっと脱がせる準備にかかろうかな、あ、もちっとムード盛り上げた方がいいのかなー、なんて思いながら、でも時計がチッチッチッチッて回ってんだよな。…彼女の自宅まで一時間ちょい、ホテル入ってから今そろそろ二○分、えー、一回に正味一時間をかけるとして、…うわヤベェ!、いい加減一回目に突入しねーと時間が無い!」
「ああ! そーいうタイムテーブルな!」
「そー。な、これは最初からある程度は自分で配分わかってねーと、本番になって慌てますよォ」
 下らないことは下らないが、なるほど。…真理だ。
 やっと納得して若島津が感心してると、いきなり前にぬっと日向が立ち塞がった。
「反町、アホなレクチャーすんなよ、お前は!」
 島野も、下級生もげらげら笑って周囲で見ていた。まだ肩になついている反町を、若島津はついでに肘鉄かまして払いのけ、いつの間にか外されていた第二ボタンをかけ直した。うーん、この辺りはさすが反町、器用なもん。
 日向はそれをちらっと見て、何か言いたげな曰く不可解な顔を一瞬した。が、すぐに逸らして、脇にあった自分のロッカーを足で器用に蹴り開けた。(ちなみにこれは本人にしか出来ない。なんかよく判らんがコツがあるらしい)
 こいつもタイムテーブル切ってんのかな?、とふとその背中を眺めながら若島津は考えた。
 淡白だの枯れちゃってるだのと、評判をとる若島津と違い(どうせ俺は他人よりセーヨク薄いよ、ちくしょう悪いかっ)日向は『それなりに』やるこたやっているのを若島津だって知っている。相手の顔まで知っているのはさすがに最初のOL一人っきりだが、噂ではまあ色々と耳に入ってきたりもする。
 ───女の趣味は…さほど悪くはないハズなんだけどなー。
 ああ、不可解。
 まだ靴下を履いてなかった裸足の踵で、若島津は悪戯に日向の膝後ろに蹴りを入れた。「いてッ」とロッカーに片手をついてこけかけながら、日向は後ろを振り向いて罵声を投げる。
「っんだよッ このタコ!」
「やー、なんとなく。蹴りたくなる位置にある膝だなーと」
 我ながらこりゃすげー理屈だ。若島津だってそう思う。
 なのに日向は、やっぱり次の罵声も報復も呑み込んでしまい、ぷいっと顔を逸らせて終わりにした。隣りから回ってきたAVビデオに、どうでもいいような難癖をつけて、笑って表裏とパッケージをひっくり返す。
 ───どっちがタコだよ、この馬鹿野郎。
 そんな日向の横顔に、若島津はため息まじりの悪態をついた。
 
 
 
 前回、つまり時間の経過的に言うならここでは数週間ほど前、日向は若島津に迫ってうやむやにされた過去がある。正確に表現すれば、うやむやにしたのは二人の共同作業だったと言えなくもないが、とりあえずはコトがうやむやになったという点においては日向の敗北で事態はオちた。
 ま、一言で片づけりゃ、萎えちゃったと。
 下半身事情もだが、おそらくは気分的に。
 あの時の日向の顔は、一生忘れらんないだろうなと若島津は思う。本気で言葉を失い、唖然としている日向なんてのは、それまで一っぺんだってお目にかかったことが無かったもので。
 それで気が付いたのだが、どうも若島津が本気で嫌がると向こうも本気に歯止めが効かなくなって、逆にこっちが『積極的』に茶化すと、日向は拍子抜けがするらしい。ぐったりして萎えちゃうらしい。
 真理だ。真理ではあるが、じゃあ本気で俺が迫った時と、茶化してる時の区別は日向にはつくのだろうか。多分、きっと、つかないんじゃないか。あいつは頭っから無理矢理こますことしか考えてねーんじゃねえのか。
 そんなことまで危ぶんで、若島津は一人でふるふると首を振る。つかんでいい、つかんで。この仮定はあまりに無意味だ。なぜなら、そんな事態は、ぜっったいに!、やって来ないに決まってるから。
 段々、日向に感化されていきそーで若島津はコワい。なんたってあれだけ影響力のある男だからして。ああ恐ろしい。
 ───しかし泣き顔見られた割には、俺も大概強気だなぁ。
 そこらは呑気に若島津も疑問に思う。こいつもある意味、危機感とゆーか緊張感に欠けている。
 強気でいられるのは、多分に日向が弱気になっているせいだった。日向の方が先に「負けた」と思っちゃっているらしいので、例えばシーソーゲームのように、ヤジロベエの左右の腕のように、気付けば漠然と若島津が「勝った」とでもいう位置に押し上げられただけだった。
 バランスがいいんだか悪いんだか。差し当たっては自分に都合がいいので、若島津もそこは敢えて指摘しないで済ませている。実はここいら辺りの性格が反町をして「意外と行き当たりばったり」と言わせる所以であった。
 
 
 そんなこんな、既に日常と化した夜も深まる。
 ふんふんふん、と今日も気軽に鼻歌なんぞを鳴らしながら、若島津は風呂から自室に引き上げてきた。途中でテレビのある談話室を覗きかけたが、明日の小テストを思い出して踏み止まった。
 部屋のドアを開けると、電気をつけっ放しに、日向は二段ベッドの上段で眠っているようだった。顔に雑誌がかかっているのと、立てた片膝が寝巻きのスエットでなくジーンズなことから、そのつもりでなくうっかり寝てしまったらしいことが窺える。梯子の下三段だけ登って見てみると、確かに布団も何もかけていない。
 雑誌をズラし、悪戯心でわざわざ寝顔を覗き込む。それでも気付かないくらいに日向は熟睡している。ぷっと、若島津はつい吹き出しそうになった。
 なんだか子供みたいな顔だと思ったからだ。起きている時の日向は、とてもじゃないがそんな形容とはしごく無縁だ。いつからか、それはもしかして十代の最初から。
 少し横向き加減の顔に、パサついた前髪が乱れて落ちて、いっそ無防備なほどの穏やかさだった。
 ───こーいう顔、見たら一発で年上の女なんか落とされんだろーな。
 自分でもアホな連想だとは思いつつ考える。そのあとでまた気付くが、「ヤっちゃった」女じゃないと見れないんだから、やっぱり順序としては理屈が逆だ。見たから落ちたのではなく、落とされたから見れるのだとゆー…。
 あ、くそムカついた。何でだか、何にだかはさっぱり判んないながら、ムカついた。
 なので、低い柵越しに無理に上半身を乗れ入れ、肘を寝ている日向の腹めがけてトウッと落とす。
「──グッ ゥえっ!」
 カエルみたいな声、もとい、呻きを上げて、日向は両目をばっと見開いた。

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