back to top pageback to 読後メモ

1991年の感想

1992


斜影はるかな国(逢坂剛)
魔術はささやく/我らが隣人の犯罪/レベル7(宮部みゆき)
翼ある闇(麻耶雄嵩)
倒錯のロンド(折原一)
時計館の殺人(綾辻行人)
水晶のピラミッド(島田荘司)
匣の中の失楽(竹本健治)

逢坂剛『斜影はるかな国』朝日新聞社 1991

*内容紹介/感想
日本とスペイン、章が変わると場所も変わる。2つの場所で同時進行する、一見関係のない事件。それが、とある必然性をもってそれぞれの場所の人物が出会い、関わっていく。

『スペイン灼熱の午後』よりも穏やかな感じがしました。話の運びも似たようなもの。2つの国の人物が関わっていくわけですが、主人公にとって事件の 解明=自分のルーツ探しでもあるんです。となると、必然的に、物語も過去へと遡り、またまた知らない人物が登場します。で、すべての人物が出そろったとこ ろで(伏線を張り巡らせたあとで)次第に形が見えてくるのです。

「スペイン内戦」や今のスペインの状態など、結構難しいのですが、話が面白いから読めます。

91/7/18


宮部みゆき『魔術はささやく』新潮社 1990

宮部みゆき『我らが隣人の犯罪』文藝春秋 1990

宮部みゆき『レベル7』新潮社 1991

*内容紹介/感想
とりあえず、と思って読んだ『魔術はささやく』、えー? こんな方法を使うのぉ? と思ってしまったこともあり、いまいちつまらないな、という感想を持ちました。でも、登場人物の描き方に暖かいものを感じましたし、全然血生臭くない話な のにここまで読ませるというのは、結構すごいことじゃあないかな、と思い『我らが隣人の犯罪』を読んでみることにしたのです。

『我らが隣人の犯罪』は短編集です。「我らが隣人の犯罪」「この子誰の子」「サボテンの花」「祝・殺人」「気分は自殺志願」。
短編集は好きなほうじゃなかったのですが評判にひかれて読みました。ほのぼのとした作品揃いです。これまた、血の臭いがしない。最後に、あー、よかった ね、と思うような作品でした。だから、安易な解決で終わりまでもっていこうとするのではなく、実にさわやかな読後感を与えてくれるのです。生半可な終わり 方とか甘さのみえるミステリは嫌いですから。思いっきりひねりをきかすか、彼女のように暖かい気持ちにさせてくれるかどっちかでないと。不覚にも涙が出そ うになった作品もありました。

さて、そうして『レベル7』を読むことになったのですが。

ある日、目覚めると腕に「Level7 M-175-a」などと書かれており、おまけに自分の名思い出せない記憶喪失に陥った男女。そして、もう一人行方不明になった少女がいる。行方不明の少女 を探していくうちに、過去の事件の存在が明らかになってゆく。その事件と記憶喪失の男女とのつながりとは何か? 男女に味方する(ように見える)謎の男 は、信用していいのか? この人を信じていいのか、ダメなのかという点に関しては裏の裏をかかれました。刺激や、大量殺人だけが、ミステリを面白くしているんじゃないこと、彼女の 本を読んで良くわかりました。初めは彼女の作品を読む気はなかったのに。やっぱり、読まず嫌いはだめということですね。

91/7/20


麻耶雄嵩『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』講談社 1991

*内容紹介/感想
内容は、ある一家を襲う連続殺人という簡単なものです。で、殺し方に妙な所があったり、犯人がわからなかったり、探偵とその助手というおきまりのパターンが表れているわけです。

やっぱり、「絶句」です、これ。先に読み終わっていた私の友人が、早く早く感想を聞かせてよとせかすので、「そんなにすごいわけ? これ」と聞くと「うーん、独特」と言う。今度は読み終わった私が伝えようとすると「読んだよ〜。何これ〜〜〜?? すごいね!!」と、全然感想にならないわけです。やっぱりこれは読んでもらうしかないでしょう。

21歳の人が書いたとは思えないです。文句を言わせてもらえれば、フェアじゃないというところ。私たち読者の知らない事が後で解明するのは、個人的には、好きじゃない。

91/7/23


折原一『倒錯のロンド』講談社 1989

*内容紹介
月刊推理新人賞への入選をめざしている、山本という男。締切間際に一気に書き上げた作品を、友人、城戸がワープロをしてくれるというので、預けたのだが、 それを城戸は、電車の中へ置き忘れてしまう。激怒する山本。そして、それを拾った永島という男。作品を読んで盗作しようともくろみ作者である山本を消そう とするのだが、勘違いで城戸を殺してしまう。城戸が殺されているところへ、山本が訪ねて行ってしまったので殺人容疑は山本へ。盗作ばかりか、城戸まで殺す とは、と山本は「盗作者」に復讐することを考え始める。「盗作者」は白鳥という名前を語っていた・・・。

*感想
なかなか、手の込んだ仕上がりです。重層構造。丹念に読んでいかないと、わからなくなりそう。でも、文章は読みやすく(軽いという意味ではない)、どんどん読めます。

91/8/21


綾辻行人『時計館の殺人』講談社ノベルス 1991

*内容紹介
設定としては、やはり閉ざされた「館」での殺人です。ちゃんと「見取り図」付き。

目的をもって「時計館」集められた人々が次々に殺されていく。果たして、それはどうしてか? そして、そこには、「時計館」の、幼くして亡くなった美少女の影がちらほらと。殺された大学生たちにはその美少女に関する共通の記憶がある。しかし、それに全く関係のない人まで殺されてしまう。殺人者から逃げようと外に出た「こずえ」が、驚いてしまったのは、なぜか? 一体何を見たのか?

*感想
上記の謎がトリックに関わっているのですが、これって、本当に壮大なトリックでしたね。「館シリーズ」の中では一番好きかな。

91/9/23


島田荘司『水晶のピラミッド』講談社 1991

*あらすじ/感想
前半(御手洗が登場するまで)の話は直接本筋(つまり謎解き)には、関係のあることでもないです。「推理小説」というよりは、まるで論文のようだったな、 という感じです。もちろん、いい意味で。『占星術殺人事件』や『斜め屋敷の犯罪』が、生粋の「推理もの」だったと比べるとですが。「推理」としては、犯人 にしても動機にしても島田荘司らしい感じで、決着のつけ方もやっぱりらしくって。

ただ、彼の作品を初めて読もうとする人には、おすすめしないほうが、いいのかもしれないなあ、なんて。横道話が多くって、「げ〜」なんて思うかもしれないから。

この中の御手洗の言っている事に共鳴したことがあって、(私の言葉で言えば)「客観的なものなんてない」ってこと。私たちは、全て、ものを「として 見ている」というか。例えば、科学にしても、集められたデータをこちらの理論に合わせていろいろひねっているうちに「客観」と言われるものが導き出された とは言えないかと。

本の中で、例として挙げられてますが、

「ある人がピラミッドの高さは、月までの距離の何乗分の一ではあるまいかと見当をつけ、試算してみる。ところがうまくない。(中略) では、火星まではどうか?(中略)とやって、うまくいったのが太陽までの距離のひとつだけだった、(後略)。」(p.368)

こういう事なんじゃないかな、って。

とにかく、印象に残ったのは、「推理」部分よりも、「横道」部分でした〜。前半に出てくる古代エジプトの王子とミクルという女の子の身分違いの恋話 が好きだったりする。これとて、本筋には何の関係もなくて。ただ、王子がミクルに与えた指輪があるんですけど、それをなんと! 石岡が拾うんです。御手洗と共にエジプトに行った際にピラミッド付近で。こういうところが何と言われようとも好きですね。全く本筋には関係なくても。

91/11/30


竹本健治『匣の中の失楽』講談社ノベルス 1991(1978)

*内容紹介
推理小説好きの大学生たち、15歳の双子、そしてやはり15歳の少女。彼らは、「ファミリー」と称して、グループを形成していた。双子の片割れである「ナ イルズ」こと片城成は、推理小説談義だけにあきたらず、グループのメンバーを登場させた推理小説を書くことを宣言。題名は、「いかにして密室はつくられた か」。ところが、グループの一員が密室の中で殺されるという事件が起き、メンバーたちが集まり、事件について話し合う。と、いうような内容の第一章をナイ ルズが書いた頃、別のメンバーが、やはり密室の中で忽然と姿を消すという事件が発生。メンバーは、それぞれの専門分野を披露しつつ推理談義を展開する。

*感想
知識を披露した推理談義が展開するが、それが、推理に関係あるのかと言えばそうでもない。私はそれが好きだったりするが。本を読み進めるにしたがって、戻 りたくなるような感じだった。終わるのがもったいない、っていうのもあるけど、戻ってしまう戻らずにはいられない、そういう感じ。

密室も、さかさま、動機もさかさま。いや、本当は、「さかさま」に見えているだけなのかも。「さかさま」が「本当」で。

『匣の中の失楽』の中の現実と、小説である「いかにして密室はつくられたか」が、錯綜して、注意して読んでいないと(注意して、読んでいても)迷路 の中に迷いこんだような錯覚に陥る。実際、密室(?)匣(?)の中に次第に閉じ込められていく自分を感じた。『匣の中の失楽』という小説の内容=いかにし て密室(匣?)はつくられていったか、の過程のような気がする。

ん〜、どう表現したらよいのやら。

91/12/17


back to top pageback to 読後メモ

1992