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1998年6月の感想

199805199807


翡翠の城(篠田真由美)
細い赤い糸(飛鳥高)
ヒジュラに会う(大谷幸三)
滝(奥泉光)
灰色の砦(篠田真由美)***!ネタバレ気味!***
ノヴァーリスの引用(奥泉光)
ユリの木の空(丹沢泰)
バナールな現象(奥泉光)
青の回帰(平岩弓枝)
最底辺(G・ヴァルラフ)
コズミック(清涼院流水)
少女達がいた街(柴田よしき)
三月は深き紅の淵を(恩田陸)

篠田真由美『翡翠の城 建築探偵桜井京介の事件簿』講談社ノベルス 1995

*内容紹介(裏表紙より)
明治時代以降、創業者の巨椋一族で固められてきたオグラ・ホテルに内紛が持ち上がった。創業者の娘で95歳になる老女が住む別邸・碧水閣の取り壊しを巡って一族の意見が対立、次期社長の座もからんだ骨肉の争いが勃発したのだ。沼のほとりに建つ異形の館を訪れた桜井京介は、一族の血塗られた歴史に迫っていく。

*感想
細切れに読んだせいか、物語としての印象はあまり強くない。良くも悪くもフツー。個性的な人を出しても、中途半端な出し方というか、よく煮えてない感じというか。

印象に残ったのは、事件うんぬんというよりは、以下の枝葉の二つ。

蒼くん危機一髪の後で、京介がかけた言葉。やけに身にしみた。普段が普段だから効いてくるんだろう。それから、京介が書く論文に関係しての、こんな記述。

(推論の後で)「しかし証拠がない以上、それを論文に書くわけにはいかない。残念ながら現実はミステリみたいに、すべての謎がすっきりと解かれて終わるわけにはいかないのだ。」(p.358)

そうだよね。

98/6/2


飛鳥高『細い赤い糸』双葉文庫(日本推理作家協会賞受賞作全集15) 1995(1961)

*内容紹介(表紙裏より)
汚職摘発の動きが自分に波及するのを防ぐため、戸塚は上司の殺害を決意する。だが、罠にかけた上司はすでに絶命していて、戸塚自身が殺されてしまう。同様に奸計をめぐらせた三人がいずれも成功を目前にして殺されてしまった。一見無関係な四つの死。そこに底通する見えざる手。

*感想
四つの一見関係のない事件が、いったいどうつながるのか。単純にそこに注目して読んでみた。期待しすぎたわけじゃないけど、後味はあまりよろしくない。「それってさあ・・・」と、動機に関して素直にうなづけない、いまいち納得できない。

じゃあいったいどういう動機ならばいいの、なんて聞かれるとちょっと困る。確かに、本人は「やむにやまれぬ」気持ちからなんだろうけど、こっち側もその動機をつい、「ランク付け」してしまう。でも、やっぱり動機は本人側にあるものなのかな。

それはさておき、こういう手法は、この当時はもしかしたら新鮮だったんだろうなあと思う。全体的なトーンはグレー。最終章、最終節に至っては「く、くらい...」と言いたくなるほど、また一段とトーンが下がる。

ただ、題名はうまいと思った。実は題名を書きながら、「ああ、そういう含みだったんだー」と気付いた鈍感さ。

98/6/6


大谷幸三『ヒジュラに会う 知られざるインド・半陰陽の世界』ちくま文庫 1995(1984)

篠田真由美『玄い女神』の中で出てきた本。インドの前では、私って、なんてへなちょこなんだろうと感じてしまう。そのパワーに飲み込まれてしまいそうだ。著者の過去という背景が、内容に重みを加えていると思う。こういう事実は、ただただ静かにかみしめるしかないと感じる。なにか言ったって、私はただのあまちゃん。

98/6/9


奥泉光『滝』集英社 1990

収録作品
「その言葉を」「滝」

これらは、まっっったくタイプの違った内容。「その言葉を」は、簡単に言えば「ぼく」と高校時代の友人「飛楽」の久しぶりの出会いの話。飛楽の過去と現在の対比とか、「ぼく」の飛楽への眼差しなど、淡々としてるものの、それが心地良くせつない感じになってる。ビリーさんという女性がいいんだな〜。とにかく、奥泉光の初々しいところがすごく感じられていいなあと思った。

「滝」は、少年5人の滝を辿る山岳清浄行の話。意気揚々と始まったものの、「罠」の介在と暗い思惑が絡んできて、物語はどんどん暗転していってしまう。それこそ奈落の底へ落ちるような、鈍い暗さがあって、救いのなさったら、もう〜。好きですねえ。読み易いのですいすい読んでいったら、とんでもないことになっていたト。最初のころから、凄いものを書いていたんだなあと感心しきり。

98/6/9


篠田真由美『灰色の砦 建築探偵桜井京介の事件簿』講談社ノベルス 1996

*内容紹介(裏表紙より)
19歳の冬。「輝額荘」という木造下宿で深春と京介が知り合った直後、裏庭で発見された住人の死体。内部犯の仕業なのか、皆の「砦」に暗い翳がしのびよる。帝国ホテルを建てた天才建築家ライトの生涯に深い関心を寄せる京介も捜査に駆り出されて、事態は急展開。

*感想

***以下、ネタバレ気味、注意***

「気の進まない探偵」桜井京介の、事件解明の考え方が強く出ていると感じた。ますます安心して読み進められる気がする。

犯人は誰々だった、トリックはこうだったなど、犯罪側にある「真相」が暴かれることは、当たり前のように思う。だけど、犯罪の基本となった動機についての「真相」を考えてみることは、当たり前のことだったろうかと自問してしまった。

ある動機を抱えて殺人を犯す。つまり、動機が最初にあって犯罪はその後だ。犯罪が起きてしまったならば、動機だけ、あるいは、犯罪だけ、というのは考えられない。一緒にくっついているものだと思う(たいていは)。

動機→犯罪、という流れの中で、動機そのものが揺らいでしまった場合、それは残酷だし、悲劇としか言いようがない。犯罪そのものが無意味になってしまい、残るのは犯した罪の重さ、懺悔の気持ちなど救いのない不幸な結末だ。

京介は、「真相」を知る場合に、犯罪の裏にある動機についても知らなければならないという危険性が嫌だったんじゃないかと思う。犯罪自体、当事者に不幸を与えるものなのに、動機の「真相」を知ることが、新たな不幸を生み出すことだってありえるのだから。

犯人の中に最後に届けられた気持ちは、普通は幸せを感じるものと言えるかもしれないけれど、今回は罪の代償とも思えるほど痛々しく、犯人を打ちのめしたと思う。

98/6/12


奥泉光『ノヴァーリスの引用』新潮社 1993

*内容紹介/感想
かつて学生時代に起きた事件、石塚の死を回想しはじめた、かつての友人たち。話してみると、各人の回想は微妙なズレを生じているようで・・・。「私」の見たものはなんだったのか、その答え「らしきもの」が「私」の前にあらわれた時、それこそが真相だったのか、それともそうじゃないのかなんて、読者の私は実はどうでも良くなってしまう。こっちから物を見ているはずだったのに、いつしか知らないところへ連れて来られてしまった。私の見ていたファインダーは、こんなんじゃなかった。そんな感覚をひたすら味わうのみ。

98/6/12


丹沢秦『ユリの木の空』ベネッセコーポレーション 1996

日常を切りとって物語にするのは、とても難しいことだと思う。他人が日常の中で何を思い、どう行動するのか私は特に知りたいとは思っていないはず。だけど、こういう何気ない物語に、安心を感じて惹かれるのも事実。

98/6/12


奥泉光『バナールな現象』集英社 1994

*感想
いつも右側の道を行く人が、左側の道を行ってしまった時に、あるいは起きそうなズレ。だけどそのズレは、現実っぽいくせにどこかおかしく、辻褄が合わないようでいて、符合がちらほら見えているような。一つの可能性を取ってみたら、どんどん遠くに行ってしまった、という感じ。パラレルワールドは実はすぐ隣に潜んでいるのかも。

個人の歴史? 形容矛盾だな。個人に歴史はない。あるのは Geschichte 物語だけさ。失したからって狼狽えることはないよ。また作ればいいだけの話さ。前後関係? 因果関係? そんなの気にすることない。時間が直線だなんて誰が決めたの? 歴史がないところでは時間は水溜まりの水みたいに溜まっている。終点もなければ出発点もない。(p.242)

人が頭の中で考えていることって、本来とてもとりとめがないはず。一つのことを論理的に、時系列も正しく、一本の線のように考える、ってことはありえない。私がこうして感想を書いている間にも、「今度いつ髪を切りに行こう」「明日も天気悪いのかな」「○○へ連絡取らなきゃいけない」など、全然関係ないことが浮かんできている。時系列も脈絡もバラバラ。そして、もしその中を一つを思いきり展開させてしまったら? 普通はそんなことは書かずに、感想を書くのをストップするのみ。だけど、頭の中のことを全てそのまま文章にしてしまったら、「いったいこれはなんだ」と思われるものが出来上がる。それは「感想」とは呼べないだろう。だけど「小説」という形態だったら? これは、そういうことをやってしまったようにも思える。

01が「出発点」、00が「終点」の小説。今まで読んだ奥泉光の作品の中で、初めて二人称が使われてたと思う(一箇所だけだったけど)。

98/6/22


平岩弓枝『青の回帰』上・下 講談社文庫 1988(1985)

*感想
昭和58年に讀賣新聞の朝刊に連載されていたものとのこと。なにかの本で、「トルコを舞台にしたミステリ」と書かれていたので読んでみたのだけど・・・ (余韻が全てを語ってるって?)。人が死ぬからミステリとみなしたわけじゃないよなあ。要の男女二人が身勝手で、イヤになった。言葉遣いにも疑問が残る。一つ気になると、他にもケチつけちゃったりするなあ。期待していなかった分が、そのまま返ってきた感じ。平岩弓枝は、これが最初で最後かな。

98/6/22


ギュンター・ヴァルラフ マサコ・シェーンエック訳『最底辺 トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ』岩波書店 1987
Gu"nter Wallraff, Ganz unten., 1985

*内容紹介/感想
カツラや色つきコンタクトレンズでトルコ人に変身して、移民労働者と同じ生活をしたジャーナリストのルポ。 ・・・まさか、ここまでとは思わなかった。命の危険さえも感じながらの体験。でも、彼は戻ろうと思えばいつでも戻れる立場。精神的にも肉体的にも極限状態に置かれているトルコ人の「お客様労働者」、彼らはそこにいる限り、ずっとそのままの状態。「死んだほうがマシ」って、こういうことなんだ・・・。出版当時、著者は「内情暴露」をしたため潜入してた会社から告訴された。裁判の結果は知らない。これは10年以上前に書かれているけど、今も実状はあまり変わってないんじゃないかな。しかし、ここに出てくるドイツ(人)の態度を「自分たちは違う」とキッパリ言えるのか、考えてしまった。と、真面目モードにさせられる内容。

98/6/22


清涼院流水『コズミック』講談社ノベルス 1996

*内容紹介(裏表紙より)
『コズミック 世紀末探偵神話』梗概
『今年、一二〇〇個の密室で、一二〇〇人が殺される。誰にも止めることはできない』---一九九四年が始まったまさにその瞬間前代未聞の犯罪予告状が、「密室卿」を名のる正体不明の人物によって送りつけられる。一年間---三六五日で一二〇〇人を殺そうと思えば、一日に最低三人は殺さねばならない。だが、一二〇〇年もの間、誰にも解かれることのなかった密室の秘密を知ると豪語する「密室卿」は、それをいともたやすく敢行し、全国で不可解な密室殺人が続発する。現場はきまって密室。被害者はそこで首を斬られて殺され、その背中には、被害者自身の血で『密室』の文字が記されている・・・・・・。狙っているのは誰か? そして、狙われている者は? 日本国民一億二千万人余の全員が、被害者にも容疑者にもなりうるという未曾有のスケールを備えた密室連続殺人には、警察、そして名探偵集団・JDC(日本探偵倶楽部)の必死の操作も通用しない。日本全土は、恐怖のどん底に叩き落とされた。・・・・・・同じ頃。海を隔てたイギリスでは、前世紀の悪夢が蘇っていた。かの切り裂きジャックの後継者を自称する者によって引き起こされた連続切り裂き殺人---それは、その猟奇性と不可解性において、日本の密室連続殺人に勝るとも劣らぬものだった。JDCきっての天才・九十九十九は、日英両国の怪事件を詳細に検討した結果、千二百年間解かれることのなかった密室の秘密と、一〇六年間謎のままだった切り裂き殺人の秘密は、同一の根を有すると看破する。同一の根---それは、世界の秘密。自らの人生観をも根底から覆しかねない大いなる神秘に、名探偵をも超越したメタ探偵・九十九十九が挑む!

*感想
最初のほうで、密室殺人が19も書かれているでしょ。「あ〜、はしょりたい」と思った。「これじゃあ、まともな解決はないな」と感じたし、こんなにたくさんあるんだから少しぐらいはしょっても後々影響は出ないんだろう、と思って。でも、そこはそれ、ちゃんと丁寧に。

もともと、密室、トリックなどには興味がないので、余計そう思ったのかも。

19の密室で疲れて、たくさん出てくる探偵に疲れて・・・。 全てを遊びに感じ、これの解決はまともじゃないだろうと思いながら読む。覚悟してたのにきつかった。遊び過ぎてる感じに疲れたのかも。「遊び」は嫌いじゃないんだけど、「遊び」と感じさせない「遊び」にして欲しかった。もっと後で「遊び」と気付くような。贅沢? 多分、真面目な顔した不良の方が、私は好きなんだなあ。で、一番のネックは、その「遊び」が私には面白くなかったということ。

私が思う「ここまででやめておけばいいのに」より先に行ってしまった気がする。過剰すぎるのか。面白い考え方もあったように思うけど、それが小さく、その他大勢に埋もれてしまったという印象がある。あるいは好きなものを食べる前に、嫌いなものでお腹をいっぱいにしてしまったような。だからおいしく食べられなかった。

料理の仕方? アプローチの仕方? が良くないのかなぁ。もうちょっと、スマートで、クレバーな感じが欲しかったし。これも贅沢? 最後の過剰、「執筆後記」もいらないな。「男は黙って・・・ 」がいいぞ〜。

今までにも本を読んで頭に来たことは(多分)ないんだけど、これに対しても怒りもないし、そのかわり笑いもない、と。「ああ、そうですか」で終わり。受け入れているのか、鈍感なのか。もっと「だめだ〜」という本が過去にあったので、それよりは・・・。 大きく譲歩して、もう一冊くらい挑戦してみるかぁという気持ち。

98/6/24


柴田よしき『少女達がいた街』角川書店 1997

*内容紹介
1975年。ロックが大好きな女子高生ノンノンは、バンドをやっているチアキと友達だが、友情に不安を感じている。そんな時、ノンノンはロック喫茶で見かけた女の子、ナッキーに強く惹かれ、深く関わってゆく。周りは二人を「似ている」と口々に言う。そして21年後の1996年・・・ 。

*感想
北川歩実の『模造人格』もジャプリゾの『シンデレラの罠』を思い出させるけど、こちらもしっかり思い出させますね。こういうのは好きなくせに、ついてゆけるか不安な部分もあるんです。が、物語の流れを損なうことがない、かつ懇切丁寧な書き方で、ちゃんとついてゆくことができました。パズルのピースが気持ちよくはまっていくような快感でした。すごいっ。

それから、前半のノンノンの気持ち。そうなんだよね〜。女の子独特のものなのかもしれないけど、10代の女の子の友情ってああいう感じがあるよなあ、と感心して読んでました。

気になる部分にもちゃんとフォローが入っているし、せつないスパイスも効いてるし、とにかく良くまとまっているなあ、と思いました。

昨日は結局やめられなくて、2時まで起きてました。ねむねむ。

98/6/25


恩田陸『三月は深き紅の淵を』講談社 1997

*内容紹介
幻の本「三月は深き紅の淵を」をめぐる、4つの物語。

*感想
非常に面白いと噂の本を、自分がまだ読んでないのならばぜひとも読みたくなるのは当然だし、それが、入手困難、 作者不明、 貸りられるのは一晩だけ、 そんないわくつきのものならば、なおのこと読みたくなってしまう。そんな気持ちをそそりつつ、4つの物語は進行する。

最初の方に出てくるおやつ「ソフトサラダ」 「キットカット」 「黒棒」 「厚焼・ごま味」 には笑ったなー。「ソフトサラダ」を選んだ時の反応ったらー。女性二人の出雲行、第二章は作者当ての推理話。第三章は、女子高生二人の死の謎を追う話。どこに「幻の本」との絡みが? なんてことを忘れるくらい魅力的だけど痛々しい事件。第四章は、どうやら作者らしい人の、物語についてのあれやこれやの言及と、物語自体の交錯。

幻の本『三月は深き紅の淵を』が、いかにも「幻の本」らしい描かれ方。その本を縛ったとしても、いつの間にか紐がゆるゆるとほどけていきそうな、つかみどころのない、それ自体が意思を持っているような、物語。

「物語の物語」みたいだった。もうちょっと濃くてもいいなあ、とも思っただけど、楽しんだことは確か。

98/6/29


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