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セバスチアン・ジャプリゾ
望月芳郎訳『新車の中の女』創元推理文庫 1968
Sebastien Japrisot, LA DAME DANS L'AUTO AVEC DES LUNETTES ET UN FUSIL,
1966
*内容紹介(p.153より引用)
<<わたしは社長の車に乗り、見知らぬ男にすべてを奪われ、ここに来てみると、車と死体を見つけました。よく説明できません。でもわたしは無罪です>>
*感想
おとなしい結末だった気がする。登場人物も少ないし、おおかたのあらすじはつかめてしまうだろう。私はジャプリゾの文体がすごく好き(もちろん訳を読んでいるわけだけど)。結局、それを味わいたくて読んでいるようなもの。事件のその後を語る描写がやっぱりいい。それまでの時間の流れ方と速さが違っていて、すーっとなでるように書かれているだけなのに、おさまりがいい。
ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ
夏来健次訳『赤い右手』国書刊行会 1997
Joel Townsley Rogers, THE RED RIGHT HAND, 1945
*内容紹介(表紙折り返しより)
結婚式を挙げに行く途中のカップルが拾ったヒッチハイカーは、赤い眼に裂けた耳、犬のように尖った歯をしていた・・・・・・。やがてコネティカット州山中の脇道で繰り広げられる恐怖の連続殺人劇。狂気の殺人鬼の魔手にかかり、次々に血祭りに上げられていく人々−−悪夢のような夜に果して終りは来るのか? 熱に憑かれたような文体で不可能を可能にした、探偵小説におけるコペルニクス的転回ともいうべきカルト的名作、ついに登場。
*感想
やられた・・・・・・。もちろんだまされたくて読んだんだけど。明らかにあやしいんだよね。しょっぱなから。クリスティの『アクロイド殺人事件』が、いつも頭の片隅にあるような感じなんだ。どこでどうやってだますのだろう、という思いと、物語の複雑さに振り回されてた。
真相にハッとして、それでも、それがどこから来るのかいまいちピンと来ない。それが、解説を読んで「くぅ〜、そうなんだよー。だからなんだよー」とうなづくことしきりだった。この解説はいい。
思うに、『アクロイド〜』を知ってるか知らないかが、分かれ道になるんじゃないかな。知らなければ、もしかしたらだまされる確率は低いかもしれない、と思った。でも、知らなければ、結末の「あっ」には巡り会えないかもしれないし。この矛盾がたまらない。やっぱり、ある意味、スレッカラシ向け。
ミステリ読みにはすすめられるけど、 「じゃない人」 にはあえておすすめできないシロモノだとは確信したっ。
*内容紹介(裏表紙より)
男はその朝、サウジアラビアの砂漠に雪を見た。大晦日の夜、女は手帳に挟み込む緊急連絡先の紙片にどの男の名を記すべきか思い悩む。「今」を生きる彼もしくは彼女たちの、過去も未来も映し出すような、不思議な輝き方を見せる束の間の時・・・・・・。生の「一瞬」の感知に徹して、コラムでもエッセイでも、ノンフィクションでも小説でもなく、それらすべての気配を同時に漂わせる33の物語。
*感想
作者自身が、あとがきに書かれているように「コラムでもなく、エッセイでもなく、ノンフィクションでもなく、小説でもない」が、「同時にそれらすべての気配を漂わせ」ている読み物です。
ありきたりな言い方ですが、さまざまな人たちの生きている姿を、垣間みるような気分。私はこんなに平凡な毎日なのに、この人たちは、、と思うと同時に、他人からみた人の生活・人生というものは、そんなふうに見えてしまうのかもしれない、と思いました。多分、ここに出てきた人たちは、そんなに気負って生きているわけじゃないんだろう、と感じたのです。
それでも、自分だけが知っている、というか、抱えていることは必ずあるはずで、それはある意味、他人は踏み込めない領域なんだと思います。「流儀」が存在するのはそういう領域があるからだろうか、と思ったりもしました。
話がたくさんで、好きじゃない作品はないのですが、あえてあげるとすれば、以下になるでしょうか(掲載順)。
「風の学校」「ミッシング<行方不明>」「手帳」「鉄塔を登る男」「砂漠の雪」「母たち」「娘たち」「理髪師の休日」
あれれ。こうして並べてみると、旅というか、異国の地に関わるものを割に選んでいるようです。気付かなかった「傾向」です。
収録作品
「集団転移」「解放された男」「顔」「壁抜け芸人」「たまご道」「銀鉱」「着地点」「王国への道」「赤い蝶」「顎」「奴隷商人」「氷の女王」
*内容紹介(裏表紙より)
北から南へ、そして南から北へ。突然高度な文明を失った代償として、人びとが超能力を獲得しだした「この世界」で、ひたすら旅を続ける男ラゴス。集団転移、壁抜けなどの体験を繰り返し、二度も奴隷の身に落とされながら、生涯をかけて旅をするラゴスの目的は何か?
異空間と異時間がクロスする不思議な物語世界に人間の一生と分明の消長をかっちりと構築した爽快な連作長編。
*感想
実は、筒井康隆は、『時をかける少女』と「七瀬三部作」しか読んだことがありません。『時をかける少女』のイメージを引きずったまま、七瀬三部作を読んだ時には、えらくショックを受けたものでした。というわけで、「アクが強い」というイメージだけ先行してたんですが、全然そんなこともなくなんだか意外な気がしながら読み終えました。
最初から、魅力的な「集団転移」で惹きつけますね。ラゴスの旅の中に、いろいろなエピソードが入ってきますが、「顔」などのように、「実際はどうだったのか」は最終的に示されず、考えさせるものもありました。「壁抜け芸人」には笑ってしまいましたが、「銀鉱」 では一気にトーンが重くなり、人生の転換期という感じも受けました。「王国への道」は、過ごした時間の長さや濃さからいっても、要のエピソードだったように思います。また、学問の「並び」というのかなぁ(頭の中にはピラミッドがあるのですが)、ラゴスの書物を読む順番が非常に印象的でした。
「氷の女王」の結末を期待してページをめくると、そこにはもう解説が始まっていました。余韻のある終わり方。いいなぁ。
クレイ・レイノルズ 土屋政雄訳『消えた娘』新潮文庫
1989
Clay Reynolds, THE VIRGIL, 1986
*内容紹介(背表紙より)
1940年代のある日、イモジンは18歳の娘コーラを連れ、アガタイトの街に辿りついた。夫に愛想が尽き、家を出てきたのだ。車が故障し、役所前広場のベンチで修理を待つ間、娘は5セント持って向いの店にアイスクリームを買いに行った。そしてそのまま、30分、1時間、1週間・・・・・・。イモジンはひたすら娘の帰りを待ち続ける。
*感想
上記あらすじの最後に、「今までに例のないまったくユニークな心理サスペンス」と続くのですが、「ユニーク」という表現は適切とは思えませんでした。ユニークなんて言ってる場合じゃないくらい、ひたすらな話です。
何かと助けになってくれる保安官エズラに対して、ああいう言い方はないだろう、というラスト近くのイモジンの態度。振り回される格好になったエズラには同情しました。結局、エズラがどうしてイモジンを好きになってしまったのか、どうしても理解不能でした。
私にはイモジンがあまり好きになれなかったのは事実です。待ち続けるという行為があまりに強くて、読んでいる私が同情できる余地などなかったような気がします。だから、第三部ラストでダイナが隣に腰掛け、そこで感じたイモジンの心情には、実際ほっとしました。そうでなきゃ、こっちがつらくなります。
娘の行方も気になりましたが、待つ行為=人生になってしまった彼女の行く末が一番心配でした。イモジンのとった行動は、毎日何年もベンチに腰掛けて待つ、という極端なものでしたが、同じ状況になったら、行動はどうであれ、「待つ」という「呪縛」から逃れられないのかもしれません。
最後は、印象的かつ救われるセリフで終わりましたが、このセリフに込められた気持ちが、難しくて、私には説明できません。充実感と言っていいものかどうか。ただ、イモジンは、「待つという呪縛」から解放されたのかもしれない、と思いました。
*内容紹介
ロジャー・スカーレットの『エンジェル家の殺人』を日本に持ってきた設定です。
*感想
全くおんなじだー。違うのは、図解で詳しいのが加わってるのと、読者への挑戦があるのと、隣の部屋から聞こえる会話が、太字で印刷されてる部分がある、ことくらい?
でも、雰囲気を取るなら、やっぱり乱歩に軍配上げます。「エッ」「さァ」「フン」「ハイ」なんていう、カタカナに意味もなく惹かれるっていうか。
カトリーヌ・アルレー
安堂信也訳『二千万ドルと鰯一匹』創元推理文庫 1974
Catherine Arley, VINGT MILLIONS ET UNE SARDINE, 1971
*内容紹介(とびらより)
夫の事故死によって未亡人には莫大な遺産が約束されていた。しかし遺産相続は義理の息子に有利に条件づけられている。それが不満な未亡人は遺産を独占する千載一遇のチャンスとばかり、足の骨折で動きのとれない息子を墓場へ送り込んでほしいと看護婦のヘルタに依頼に来た。成功の暁には未亡人には亡き夫の全遺産が、そしてヘルタにはその
10%が手にはいるという筋書である。危険を承知でこの大仕事に賭けるヘルタ。欲が欲を呼ぶ二人の女の駆け引きが始まった。
*感想
パチパチパチ。拍手。見事。登場人物紹介で、一番上に書かれているのがヘルタ。依頼主の未亡人、イリーナでないところがミソ。読んでいくと、なんでかわかります。
話は非常に単純で、全編、いかに相手のウラをかくか、の心理・頭脳ゲーム一辺倒。ドキドキしながら読みました。会話が多いので読み易いし、会話は「建前」、地の文は「本音」の構造で、女二人の火花バチバチ感がたっぷり楽しめます。
最後の処理の仕方も見事。ここまでフォローする完全犯罪って。余裕しゃくしゃく。
東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』講談社文庫 1995(1992)
*内容紹介(裏表紙より)
早春の乗鞍高原のペンションに集まったのは、オーディションに合格した男女七名。これから舞台稽古が始まる。豪雪に襲われ孤立した山荘での殺人劇だ。だが、一人また一人と現実に仲間が消えていくにつれ、彼らの間に疑惑が生まれた。はたしてこれは本当に芝居なのか? 驚愕の終幕が読者を待っている!
*感想
綾辻行人の館シリーズで似たようなのがあったような。結局、こういう「いわゆる」な設定は好きなので、すいすい読んでしまいました。
***以下、ネタバレ注意***
三人称部分で記述されてる部分と[久我和幸の独白]と分かれていることで、このへんでひっかけられるんだろうと予想はつきました。が、それに加えて、三重構造の仕掛もだったわけで、良くできていると感心しました。「記述」について、随分用心するようになっちゃたなー。記述でくるものだと分かったら、三人称の部分を「これを書いているのは誰なのか」ひどく気になるようになってしまった。
コーネル・ウールリッチ 高橋豊訳『悪夢』ハヤカワ・ポケット・ミステリ#776
1963
Cornell Woolrich, NIGHTMARE, 1956
収録作品
「悪夢」「形見」「借り」「スクリーンの中の女」「家まで送ろう、キャスリーン」「午後三時」
*内容紹介/感想
やっぱりある程度読んでくると、傾向が見えてきます。が、その雰囲気と見事な幕切れ(たまにオマケが加わるのもいい)を読みたくて、つい手にとってしまうウールリッチ。
「悪夢」、記憶がないのに、殺人の証拠だけが自分に残っている。こんなトリック使われちゃあ、無実を立証するには相当苦労しなくては、という話。
「形見」、先の”見える”どんでん返しの小気味良さ。
「借り」、昔、溺れている娘を助けてもらった男は、殺人犯だった。彼を目の前にした時の、娘の父であり、刑事でもある男の苦悩。逃がすか、捕まえるか。結論はウールリッチらしくないようにも感じたけど、最後の会話は、いかにもでいい。
「家まで送ろう、キャスリーン」、この犯行を行うのなら、こういった性格、と、ちょっと風変わりな聞き込みが行われて。
「午後三時」、妻を殺そうと自宅の地下室に爆薬をしかけた男。ところが、タイミング悪しくやってこられた泥棒によって、逆に自分が地下室に閉じこめられてしまう。刻々とせまる時間のスリルを味わえる。まさに分刻み! 助かるか助からないか?
「らしい」オマケつき。
ヒラリー・ウォー 山本恭子訳『失踪当時の服装は』創元推理文庫
1960
Hillary Waugh, LAST SEEN WEARING, 1952
*内容紹介(裏表紙より)
1950年3月、アメリカ、マサチューセッツ州の女子大学からロウエル・ミッチェルという美貌の女子学生が失踪した。警察署長フォードは若手の巡査部長キャメロンと一緒に、長年の経験をたよりに、この雲をつかむような事件に挑む。捜査の実態をリアルに描き、警察小説に新風を巻きおこした問題作。果たして失踪か?
誘拐か? それとも殺人なのか?
*感想
読んだつもりでいて、読んでなかった作品。彼女の足どりを追う過程が地道に描かれています。フォードとキャメロンのやりとりがなかなか面白く、強い印象はないのですが、好感が持てました。結局、行方不明の彼女も事件の真相も、捜査上でしか表れない話のつくりで、物足りなさが残るのは確かです。でも、適度なサスペンスがあり、楽しめました。今となっては、シンプルすぎて真新しさのない話かもしれませんが、「古典」(のようなもの?)と割り切って読めばいいと思います。
98/3/25