日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0211.htm#20021101
2002年11月
読・観・聴・その他
黒澤明『七人の侍』@池袋新文芸坐
バフマン・ゴバディ『酔っぱらった馬の時間』@ユーロスペース
石川寛『tokyo.sora』@シネセゾン渋谷
キリンジ『Fine』
火浦功『ファイナル・セーラー・クエスト』
アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』@シアター・イメージフォーラム
『ユーリ・ノルシュテイン作品集』@ラピュタ阿佐ヶ谷
小津安二郎『小早川家の秋』@池袋新文芸坐
成瀬巳喜男『浮雲』@池袋新文芸坐
近藤史恵『青葉の頃は終わった』
近藤史恵『ほおずき地獄』
秋月こお『その青き男』
谷川史子『一緒にごはん』
いしいしんじ『ぶらんこ乗り』
崔銀姫(チェ・ウニ)『ミンミョヌリ
-許婚-』
11/30(土)
崔銀姫(チェ・ウニ)『ミンミョヌリ -許婚-』(韓国・1965)@東京国立近代美術館フィルムセンター。
“両班(ヤンバン)の家の年端もいかぬ少年の嫁(ミョヌリ)になることをあらかじめ決められてその家で奉公することになった孝行娘の苦労話”(内容紹介より)。少年と少女かと思ってたら女性はかなり年上という設定で驚きました。少年が10歳くらい、女性のほうが18〜20歳といったところ。
嫁ぎ先の姑が絵に描いたようなイジワルババアなのです。「嫁たるもの、一番目に義父母、二番目に夫、自分は三番目」。熱を出して倒れた嫁に薬を飲ま せて「朝までにこれを繕っておけ」。嫁が法事で帰省するとなれば帰ってくるときのお土産の指定をする。ちなみに、今年はよく採れたらしい栗、名産品の絹、 旦那さまの滋養強壮にニワトリ。持って帰って来てみれば、「こんな小さい栗をよこして!」「なんだいこの青黒い絹は!」「このニワトリはひよこが大きく なっただけじゃないか!」……理不尽ここに極まれり。
舅は優しく、時々姑をたしなめてくれるのが救い。最後は彼の作戦で全てがまるく収まることになる。
自分の娘がいじめられていると知った母親が姑にくってかかる場面があって、きれいごとじゃない作りになっている。病気で返された娘に対してもう戻る必要はないと言うんだけど、かたくなに自分はあの家の嫁だと宣言する娘。娘には嫁ぐ前に好き合った人がいて、その人から逃げようと言われたりもするんだけど、自分のことは忘れるようにと告げる。
夫である少年は娘によくなついていて、好意が裏目に出てときどき彼女を困らせたりするけれど意地悪なことはしない。早く大人になって彼女に絹の服を 買ってあげたりして優しくしたいのだと言う。彼女が熱を出して倒れれば心配で薬を持ってきて飲むまで見届けて、にがかったでしょ、と飴を差し出す。
最初は「こんなちびっこが夫じゃ頼りにならないな。かわいそうに」と村の人たちと同じような視点で少年を見ていたし、母親のことが怖くていざとなる と彼女をかばうこともできない彼にイライラしていたのに、だんだん強くなってゆくのが目に見えてわかってくると、今度はそのけなげさが彼の気持ちは幼いな がらも本気だというのが伝わってきてじーんとする。
夫である少年といるときの笑顔や笑い声が、どんなに意地悪な目に合わされても出て行くことはしないし、したくない理由でもあるんだ、とみているうちに気付いてくる。その気付かせかたがうまい。
日本初公開。上のように書き出すとシビアと思われるかもしれないけれど、ユーモアが効いていて笑いどころも多い。傑作(なんて言うのは久しぶりだなあ)。間違いなく、今年みて良かった映画の一つにあげるでしょう。12/13の19:00にあと一回上映します。
フィルムセンターのある京橋から銀座まで歩いてきて和光の角を曲がると、6Fの和光ホールでショウウィンドウに禅寺を写した写真展をやっているみたい。のぞいてみることにした。デジタルカメラが捉えた曹洞禅のすべて 富山治夫写真展 「禅 修行」。永平寺と総持寺(総持寺といえば、このあいだみた映画『MON-ZEN』の舞台!)をデジタルカメラを使って撮影したもの。デジタルカメラの可能性だねえ。
その後、無印良品 有楽町に行きました。広くて置いてあるものも多いし、カフェまであってとても楽しい。カフェでサンドイッチ(パン3種類と具10種類くらいの中から選べる)とデザートバー(好きなデザート2種類で500円)を。
11/28(木)
2×2の4台に積まれた同じ車が目の前を通ったとき、そこらへんを走っている車よりも“人格”を感じた。人に乗られていない同じ色・形の車のほうが生きているみたい。
京都のおみやげに「阿闍梨餅」をもらった。半分に割ろうとすると、びよーんと軽く抵抗される。皮も餡も、もちもちっとしておいしい。中はつぶあん。
いろんな経緯から、スコーンがおいしいという1988 CAFE SHOZOに会社の女子たちで大量発注。頼んでいたスコーンやスコーンミックスが届いた。手書きメッセージ入りのハガキが添えられ、スコーンの包みには温め方のシールが貼られてる。家に帰ってから、温めてクロテッドクリームでいただく。ほのかな甘さがたまりません! 砂糖ではなくて粉の甘さだと思う。黒磯まで出かけたくなってしまいます。
いしいしんじ『ぶらんこ乗り』理論社,2000。あのぶらんこに誰か乗ってくれたら元通りになるのに、と願った彼女自身が最後そのぶらんこに乗るのね。死んでしまった人に対する気持ちの折り合いかたについて思う。
「飲もう。忘れてしまおう」
それは嘘。
「いつだって思ってる」
これも正確じゃない。
ときどき暗闇で小箱から取り出すように思いかえす。
これが大切。(p.254)
夕方5時になると今の季節は冬なんだ、と思う。夏にも同じ時間に夏なんだ、と思う。5時で暗い。5時でも明るい。
11/27(水)
このごろ毎日あんぱんを食べています。あずきが恋しいのです。でも、今日は会社でシュークリームが出てきたのでさすがにパス。加えてここの100円ミックスを「おみやげ」と言ってもらいました。「みつりんご」の顔が左右で違ってたりする。きっと、かわいいからつい買ってしまったに違いない。
秋月こお『その青き男』角川ルビー文庫,2001。読みはぐってたフジミのシリーズ。8つ視点の違う物語なので面白いけどめまぐるしい。続きものの場合、完結を待たずに出るのを待って読むのは楽しいけれど、久しぶりに読むと状況や人物を忘れてることが多い。でも、フジミの場合、完結待って読むなんてできない相談だ。
谷川史子『一緒にごはん』(前編)集英社りぼんマスコットコミックス クッキー,2002 を帰りの電車の中で読む。今日の日記はこの題名だけ書いて終わりにしたかったくらい。なんてったって、イッショニゴハンですよ? 前作を読んで長編より短編の人だと思ってた気持ちがふっとんだ。本領発揮のたまらんキュートさ。ときどき顔がにやけそうになって困る困る。
工作舎のページより。『ことし読む本いち押しガイド2003』の中で“作家のいしいしんじ氏がおすすめ本3冊のうちの1冊として紹介”しているという、ローレン・アイズリー『星投げびと』が気になりました。まずは、いしいしんじの作品を何も読んだことがないので『ぶらんこ乗り』を選んでみた。
ぐりとぐらの6冊セット、欲しいなあ。読んだことがないので……。
11/26(火)
近藤史恵『ほおずき地獄』幻冬舎文庫,2002 を読み終わる。時代物に明るくないので物語の中に登場する用語や道具の“意味”がわからなかったりするんだけど、著者の知識が相当深いのと好きな気持ちが伝わってくる。さて、お玉の独白(思っていることの描写)に比べて徳治のそれは、少ないせいか悪者だったという説得力に欠ける気がした。つまり、悪者なのはわかったんだけど、お玉の体験(目が合ったのに助けてくれなかった)や千蔭による捜査という第三者による事実が出てきたときにも、それまで彼の思っていることが見えなかったので。けど、考えてみれば物語の構成上仕方ないか。
相変わらずハッとする文章があちこちに出てくる。でも、その部分だけここに抜き出してもきっと良さは伝わらない。丁寧な織物の中に光る一本の糸のようなものなので、ほどいてしまったら意味がないのです。
ジャンポール・エヴァンの箱を開けた。カタログのイラストと実物を照らし合わせ、微妙な違いから何のチョコレートだか調べてゆく。「長方形は6つだ から」とか「こっちは筋が3本でこっちは4本」などと、まるで知能テスト。イラストではどうにも同じの「1502(キャンソンドゥ)」と「ネオ」。こっち が「1502」だ、と推理して食べたら「ネオ」でした。悔しいので「1502」も食べちゃう。ちなみに「1502」は、“深い香り、ほどよい 苦味が魅力の味わい深いビターナチュラルガナッシュ”。「ネオ」は、“フランボワーズ(木いちご)風味のフルーティガナッシュ ”。もちろんおいしかった。ただ、インパクトでは今のところピエール・マルコリーニ。
11/25(月)
月曜日を終わりにします。
雨が降っています。
11/24(日)
ピエール・マルコリーニの「パレ・カネル」はシナモン味のチョコレート。大人っぽい、と一瞬思ったあとにミルク味がやってきて、子供っぽい面も見えるような味。おいしい。昨日買ったジャンポール・エヴァン、実はまだ箱を開けていなくて中身を知らない。
シナモン味は大人かな子供かな。小さい頃に母が作ってくれたクッキーは決まってシナモン味だった。
今日で本の整理を終わらせようとダンボールにして12箱を排出し、本の並びもかえた。指先がすっかり荒れて、痛いし指紋がなくなってしまったけれど、余裕があって見晴らしの良くなった本棚は気持ちがいい。今後さらに本に家の敷居をまたがせるのを厳しくしよう。
ただ、一冊だけ行方不明の本が。
外出先で頭痛に耐え切れず薬屋に寄るときには水なしで服用できるチュアブル錠がありがたいのに、たずねても置いてある可能性が低い。ところが先日、 1錠だけで効く頭痛薬をすすめられて飲んだらすうっと効いて驚いた。もはや頭痛薬があまり効かなくて、耐えきれない時の気休めに飲んでいるけれど、普段と 違うのを飲むと効くのかな。ちなみに、発売が大日本製薬、製造がダイト株式会社の「シペラEV」。意外に効くといえば、子供用の液体風邪薬も効きます。買うのが恥ずかしいし、飲む分量に悩みますが。
11/23(土)
ジャンポール・エヴァン(本国/伊勢丹内)。
土曜の午後だったせいか、それほど広くはないスペースは人であふれかえっている。併設されているカフェでも順番待ちの列。ショウケースの前には人が 張り付いていてどんなチョコレートがあるのか見ることができず、これじゃあ選ぶのもできないし順番が回ってくるのも大変そうだと思った。でも、買うのが決 まってなくて眺めているという人が多そうだったので、店員さんにテレパシー(?)を送って気付いてもらい、「6個入りのを1つください」と遠くから身振り 手振りでお願いした。なにが入っているか開けてみるまではわからずじまいだけど、初めて買うにはちょうど良い気もする。ケーキもおいしそうだった(チョコ レートケーキがいろいろ)。
ピエール・マルコリーニの「テ・レ」「テ・フォンダ ン」。鼻に抜けるアールグレイの香りにびっくりして思わず「うわあ」と言ってしまう。アールグレイにはなにもいれないのが好きだし、チョコレートもビター のほうが好きだけれど、“アールグレイの香りのチョコレート”となるとミルクチョコレートの「テ・レ」のほうが、より好きかな。
昨日の物語を読んだ影響が続く。鈍いしヒリヒリもする。頭の中を巡る言葉が誰のセリフだったのか自分がいつも思っていることなのかわからなくなった。少し疲れた。
悩んでいることは、いろんな人に聞いてみれば答えをもらえそうで、でも、その答えを自分で知りながら行動していないんだと思う。そう行動する勇気が ないからなんだ。普通はこんなことに「勇気」なんて言い方をしないし、必要もないのに決まってる。気持ちを形としてあらわす行動をできない自分を馬鹿だと 思う。偽善者だと思う。亡くなった先生の家に行き、お線香をあげたいのです。でもそれができないでいる。
11/22(金)
近藤史恵『青葉の頃は終わった』光文社 カッパ・ノベルス,2002
を一気に読み終える。後半の「小説」部分と現実部分の区別が少しわかりにくくて混乱するときがあった。
今までの著者の作品の中で一番ぐさぐさきた。読むのがつらくなるほどに。弦に対する不快感がひどくて進むにつれてだんだん薄れてきたけれど、やっぱ り彼のことは好きになれない。そんな自分に対しても嫌気がさす。登場人物それぞれの中に少しずつ私を見る。だから、ぐさっとくるんだと思う。明晰すぎる言 葉に胸が冷たくなったり、渦巻く感情に揺さぶられて頭がぐるぐるしている。整理がついていない。でも、この苦くて甘美な混乱のままでいたい。
つねづね「題名は、読み終えて見たときにすうっとつながるものであるべきだ」と思っていますが、これはまさにそうだった。
11/21(木)
展示会の受付手伝いで午後は外出する。同行二人のうち一人が「デジカメを持ってきてしまいました。なんか間違ってますよね私!
あとこれも」と言いながら渡してくれたのはカステラ巻。気分はピクニック!
タクシーに乗ることは滅多にないし、昼間のタクシーなら尚更そう。ぐんぐん走っているときよりも、横断歩道のところで止まってたくさんの人を車の中から眺めるのが楽しい。こちらの視線が低くて向こうには気付かれないように観察できそうなところがいい。
空き時間にデジカメで撮ってもらいました。にっこり笑顔でピース(我ながら、らしくない)。
帰り、少し歩いてピエール・マルコリーニに 寄ってみた。店員さんは、こちらがチョコレートの名前を告げてもただじっと聞いていて、全部言い終わってから作業開始。白い手袋をはめ、後ろの棚から透明 なトレーを出し、ガラスケースを開け一つ一つ載せていくのです。小さなブラシで箱の中をきれいにしてたり…。儀式みたいで神聖ささえ漂う。 ピエール・マルコリーニ/パレ・カネル/テ・フォンダン/テ・レ/タイムオレンジの5つにしました。
地下鉄を待つあいだ臓器移植のポスターを眺めながら思う。心が身体の特定の器官に存在することを証明できないのであれば、逆に、身体全体にばらけて 存在し、どこを切り取っても金太郎飴みたいにワタシワタシとその人の心が出てきそう。そうであれば、臓器を移植したその人に私の心が移る可能性もあるん じゃないだろうか。どこにもないものはどこにでもある、なんて言葉が浮かんだ。臓器移植はどうしよう。
商店街のイチョウが今日いきなり落葉しだしたみたい。舞う中を歩いていたら、一枚がストンと胸に降りてとどまることなくはらりと落ちた。
家に帰ると届いていたのは、喪中ハガキ、帰国ハガキ、それからアンケートの回答に答えてくださったメール。ほほえましい内容に少し気持ちが明るくなって、こうして日記を書きたくなった。その瞬間、チョコレートではやっぱり無理だったのだとわかった。
洗濯物をたたんでいると動かない黒い丸がポツンとある。ん? 触れてひっくり返すと動く。二つ星のてんとう虫。人差し指に乗せたらどんどん手のひらのほうへ進むので、落ちたり飛んだり腕のほうまでこないうちに窓の外へ手を出してぶんぶん振った。
買ってきたチョコレートのうち、「ピエール・マルコリーニ」は、カカオ72%らしいのでもっとビタービターしているのかと思ったら全然の、素敵な甘 さとまろやかさ。一つで我慢するつもりがおいしくてもう一つ。「タイムオレンジ」は、あえて分けるならばタイムを鼻でオレンジを味で楽しむような感じ。こ ちらからたずねていかないとと思わせるような、ほのかで上品な香り。やっぱり二つも食べちゃ贅沢だったよ。
11/17(日)
池袋新文芸坐で映画を2本。小津安二郎『小早川家の秋』(日・1961)と成瀬巳喜男『浮雲』(日・1955)。
満席でした。男性のお客のほうが多い。年齢層はかなり高くて、10分20分過ぎてもポツポツ入って来ては真っ暗な会場内をよたよた歩く人が多いので ハラハラした。私の隣も着物&杖のおじいさんで、小津みながら上品に笑ったりする。でも、『浮雲』がそろそろクライマックスか、というときに携帯が鳴り、 ものすごくあわてて止めようとして、止めて少ししたら出ていってしまった。
『小早川家の秋』と『浮雲』のつながりは浮気男の明暗だろうか。『小早川家の秋』のセリフで、「品行は直るけれど品性は直らない」というのがあった。
『小早川家の秋』のあらすじを書こうとすれば一行で済んでしまうのに、それがどうして、ああ 魅力的な作品に膨らむんだろう。対話はお互いの真正面からの図を交互に映すという手法。それ以外でも、カメラが大げさに移動をすることはない。人々が集 まっていた部屋に事件が起きると、誰もいなくなった部屋に今度は蚊取り線香の渦巻きが目にとまる。静かな対比。人がいたときにも同じくあったはずのそれに 初めて気付いた瞬間でもある。他人の家に入り込むカメラでも、のぞき見ているような感じがしなかった。かといってよそよそしくもない。不思議な距離感に思 う。
『浮雲』では高峰秀子のやさぐれっぷりが見事。さっぱりとした口調とは裏腹の行動が思い切れ ない気持ちをあらわしている。森雅之の女たらしっぷりは貧乏神のような風貌から既に出来上がっていて、口だけは達者でそのくせ気が弱くて自分だけが不幸み たいな顔したしょうもない男を完璧に体現させている。でも、どんどん落ちてゆく姿を見るのは気持ちが暗くなる。映画の出来が良いからなおさら。
11/16(土)
眼鏡のツルとレンズをとめるネジがなくなっていた。阿佐ヶ谷の東京オプチカルへ行き直してもらうとき厚かましいのですが…、と別の店で買った眼鏡の調整もお願いしてしまった。どちらも快く引き受けてくださった。
アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』(仏=スウェーデン・1986)@シアター・イメージフォーラム。「アンドレイ・タルコフスキー映画祭」より。
好きというのとは違う。はじめにことばありき、なのは何故なんだろうね? 狂気ってなんなんだろうね? ひっくり返して、狂気じゃなきゃできなかったことと思ってみる。“子供”が行なう水やりは、「これから先・毎日・同じ時間に・同 じ作業として・繰り返される」もの、そしてなにかを変えるもの、なのだろう。そういった意味で希望ととらえた。サクリファイスの上に芽吹いた希望? でも、多分、本人は「サクリファイス」だなんて思ってやしない。彼の周りにいた人たちは「サクリファイス」だということを知らない。「サクリファイス」と 思うのは、たぶん、私たちの側が行なう解釈にすぎない。
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『ユーリ・ノルシュテイン作品集A』@ラピュタ阿佐ヶ谷。「第3回ラピュタアニメーションフェスティバル2002」より。
特別上映として「ロシア砂糖のCF」「おやすみなさいこどもたち」。作品集として「ケルジェネツの戦い」「25日 最初の日」「アオサギと鶴」「狐と兔」「霧につつまれたハリネズミ」「話の話」。
念願だった「霧につつまれたハリネズミ」をみることができました! 当たり前だけど絵本(感想)より断然いい。真っ白な霧。見え隠れする姿かたち。一枚向こう側、といった奥行きを感じさせるのがとてもうまいと思う。びっくりまなこのハリネズミくん、くいしんぼう丸出ししすぎのこぐま。ハーリーネーズーミーくーん。
ほかに好きだったのが「ロシア砂糖のCF」、ガリガリ音を立てながら砂糖を食べてお茶をズズッとすするのがいい。「おやすみなさいこどもたち」、あ たたかい色あいと仕草から豊かさが伝わってきて見た中で一番好きかも。“おやすみなさい”は、一日のうちで一番あたたかく一番安 らぎの瞬間。そして、そうありたい。「狐と兔」、イジワル狐に家をのっとられた兔のために狼、だめで熊、やっぱりだめで牛と次々に狐を追い出しにかかるん だけど、もう全然弱い。で、真打にニワトリ登場。煙草ふかしててカッコイイのだ。コケーッ! と出撃っ。
ただ、「話の話」は全くわからなかった。話の内容を理解できなかったと言ったほうが正しい。
11/15(金)
M・R・ジェイムズ 紀田順一郎訳『M・R・ジェイムズ怪談全集(1)』創元推理文庫
を読み終わる。得体の知れないものに遭遇したときの描写は迫力がある。ただ、各々の物語の骨組みが似通っている印象。パターンだからこそ面白い楽しめるという場合もあるけれど、毎回だったり構造が見えすぎていると飽きてきてしまう。
11/14(木)
結婚式2週間前の今ごろになってスピーチの依頼がきてしまった。友人IとQの3人で好きなこと話してくれればいいから、と。朝の4時に胸騒ぎをおぼえ目が覚め、メールをチェックすると届いてたのだ。エピソードを思い出そうと考えていたら、朝まで眠れずじまい。
遅刻魔という印象が一番。かといって、「友達の結婚式にも遅れてきちゃうので彼女自身の結婚式に遅刻しないか周りはヒヤヒヤしてました」なんて話せっこないし。
めでたいことだし断るというのも難しい。夜に電話するということだったのでそれまでに友人Iに連絡を取ると、「私も土曜日に話をもらって引き受けた」と言う。結局、各自テーマ決めておいて当日すりあわせようということになった。
朝メールを読んだときは正直言って頭に来て、夜電話があったら「あんたって子は!」くらい言わないと気が済まないと思ってた。でも、友人Iが「相当 悩んでたみたい」というので少しかわいそうになり、本人からの電話で「誰に頼んでいいのか考えていたらわけがわからなくなっちゃって…」と 申し訳なさそうに言う声を聞いた瞬間、文句言えなくなった。
遅刻ネタはどうやらIが使うらしい。勢いにまかせて原稿を書き上げてしまいました。
11/13(水)
欲しかったけどスーパーでは高くてやめたものを八百屋さんで「本日のお買い得」なんて札つきで見ちゃったらやっぱり嬉しいよ!
里芋です。
本とCDを整理しようと重い腰をあげた。買ってから2,3年手をつけていないものはこれからも同じだろうと判断し、いさぎよく箱へ。とりあえず5箱 ぶん詰めた。まだ数時間しか経ってないのに何を入れたのかすでに忘れかけている。その程度の思い入れだった本をずっと本棚にさらしてたってことなのだ。
11/12(火)
ドゥリエールのケーキをおみやげにいただいたのは嬉しいけれど、このごろ会社でケーキを食べるとあとで胃が痛くなる。
夕方、世界がいちご色だった。いちごをしぼったジュースを空気にぶっかけたみたいな色。
11/11(月)
少し機嫌悪い。普段からイライラしてる人に対して改めて何様のつもりかっていうのが一つ。もう一つは、入社したてのコムスメでも言わないような発言を自分より年上であろう男性から聞いてバカじゃないかと思ったってこと。
不機嫌ついで。方角で、北方面のことを上とか南方面のことを下とか、そういう言い方にいいかげんイライラしてる。だんだんひどくなるんじゃないの。TVのアナウンサーまでそう言ってたし。
(11/13)愚痴は醜い。
11/10(日)
過去に「ペーター賞」なるものをもらった実績があるって夢を見たので試しに検索かけてみたら本当にある賞でびっくりした。しかし、まったく縁がないと言い切れる賞。
ハチミツを容器から注ぐと言うの? たらす? 落とす? そのあと、容器に付いている金属のスライド式フタ付近にどうしてもついてしまうハチミツを指できれいにする。そしてなめる。一滴程度で充分に甘い。しか し、たとえばジャムをスプーンですくってバンに塗ったあと、残ったジャムをなめるためにスプーンを口にすることもジャムを指ですくうこともなく、パンに丁 寧になすりつけるか、そのまま洗ってしまう。スプーンでは、たくさん残りすぎなのです。
11/9(土)
着ない服を整理してリサイクルショップへ持って行く。14着持っていってしまったんだけど本当は3着までだったらしい。「おまけね」と受け取ってくれた。売れれば嬉しい皮算用。
隣駅まで歩いているとき、地面に黒い斑点があるのでなんだろう? と思ってたら頬に雨が落ちてきた。雨が降っていても全然濡れない可能性、絶対ないとは言い切れないだよね。空を見ると雲がどんどん流れていって青空と雲の 部分に分かれてる。雨のことを忘れて歩いていたら、いつ雨が止んだのかわからなかった。
ヘレン・マクロイ『家蝿とカナリア』の中で、人はなにか理由がないと上方を見上げたりはしない、などと書いてあったけれど、理由なしでよく見上げて歩くよ。
生協に寄るとおたる初しぼり2002(北海道ワイン) が! デラウェアとポートランドがあったのでポートランドにしました。毎年これが出るのを楽しみにしてます。
11/8(金)
朝、電車に乗っているときが一番やる気に満ちている。夜はだめだ。向いてない。
走りにくい服や靴はストレスがたまる。「走れるかどうか」は基準の一つ。ときどき間違えてはずしたり、あえてはずすこともあったけど……。
問診票の「大きな病気や手術」の「大きな」は手術にもかかるのだろうか。「大きな病気」はどういうのをいうんだろう。どこから先?
寒い寒いといってるときに指をヤケドして流水で冷やす……なんだか理不尽な気分。寒暖サンドイッチなら、雪の降る日にコタツでアイスってほうが断然いいね。
11/7(木)
みかんの季節の本格的な到来にともなって、値段がだんだん下がってゆくのが面白い。おまけに毎日値段が違う。238円、250円、298円の繰り返し。1割引の日の設定は250円。最近の最安値は1ネット(10個くらい)198円也。
「relax for GIRLS vol.3」の特集は「手芸|香港|dosa」で全然縁はないけれど、チョコレート最新情報を仕入れられて嬉しいな。知らないうちに、身近に買える場所への出店があったみたいだ。
マフラーと手袋で暖かい。
11/5(火)
銀座に『木曜組曲』をみにいってる人から「トラのお面つけて変な扮装をした人が一番前の
席にいる!」とメールが。昼休みだったので、「あの有名な人かな?」とその場の話題にした。あの新聞配達の人が配っているのは日経新聞だと知ったよ!
「本人かな」「けど今から映画みてたら夕刊の配達間に合わないよね」。……。「頭がもじゃもじゃだったら本人だよ」。という
わけで映画が終わったころにきいてみたら「頭はもじゃもじゃしてた。いろんなグッズを買ってた。映画をみるときにはマスクを外してた」と。
火浦功『ファイナル・セーラー・クエスト』角川文庫,2002 を読み終わる。収録作品は、「セーラー服と試練場」「モンスター100人に聞きました」「ヒットポイントが150トン」「ひと夏の経験値」「故郷は、豆腐にありて想うもの」「プールでクエスト」「幸福の黄色い半魚人」。95年の『ひと夏の経験値』は以前に読んだことがあったけど、こうやってまとめて読めるのは嬉しかった。お馬鹿で楽しくて大好き。
工作舎の「土星的編集雑戯館 editrial circus」に飛んでみる。リンクリンクで読みつづけていって自分がどこにいるのかわからなくなってしまったなかで印象に残ったのが「オデッセイ番外篇」の「008 少年少女読本」。少年少女の「世の中の仕組みについて思うこと」。
たしかに“永遠は計れ”ないけれど、“手巻きの腕時計”を久しぶりに動かしました。ガラスがこれ以上傷つかないよう守るから一緒に冬を過ごしましょう。
11/4(月)
見て聴いて昼寝して弾く。一日じゅう家の中。
昨日、二つめの映画をみているとき後ろの人がずーーーーーっと椅子を押しているのが分かるので、ものすごくイライラしてストレスたまりまくり。よっ ぽど足の長い御人なんだろうと思って終わってから見てみたら、べつに。と、一緒にみてた友達も「よっぽど言ってやろうかと思った!」と憤慨してて、二人で 被害受けてたみたい。まあ、靴脱いで足を座席の間から出してくれてでもしたら思いっきりくすぐってやったところだな。
「ボリス・バルネット生誕100年祭 追加上映」@アテネ・フランセ。「トルブナヤの家」「雪どけ」「賞金首」「諜報員」。13,14,15。たぶん無理。
昨日聴いてた「Drifter」の歌詞をUta-Netで検索する。
僕はきっとシラフな奴でいたいんだ
子供の泣く声が踊り場に響く夜
冷蔵庫のドアを開いて
ボトルの水飲んで 誓いをたてるよ
欲望が渦を巻く海原さえ
ムーンリヴァーを渡るようなステップで
踏み越えてゆこう あなたと
この僕の傍にいるだろう?
11/3(日)
バフマン・ゴバディ『酔っぱらった馬の時間』(イラン・2000)@ユーロスペース。イランとイラクの国境地帯にあるクルド人の村で両親を亡くした5人きょうだいの生きる姿を描く。一家の柱は12歳の男の子。イラクへの物資密輸で一家の生活と兄の手術代を稼ごうとするのだ。
「この映画をみました」としか言えない。チラシに「感動のメッセージ」ってあるけれど、これほどせっぱつまった、見ていられない感情を、私は“感動”とは表現できない。
石川寛『tokyo.sora』(日・2001)@シネセゾン渋谷。 本上まなみ・井川遥・長塚圭史が目当てでした。間延びしている127分、その間延びがワザとに思える。その間(ま)や緩さをおしゃれと見せようとしている のかもしれないけれど、長々と付き合いたくない。登場する女の子を6人にする必要性はなんだろう。散漫さが間延びの原因の一つかも。「きっとこのシーンを 撮りたかったんだろうなあ」というのが見えすぎてしまった。つまり、そう思うシーンをうまく物語に当てはめてこそ全体に流れが生まれるのだろうに、そこだ けが目立ちすぎてしまっている。
キリンジ『Fine』(→Amazon)を聴き終わるところ。気になっていた「雨は毛布のように」を聴けた。一度とおして聴いたばかりの今は、「Drifter」が特に気に入って繰り返している。
昔からアルバムの最後から2番目の曲を好きになることが多い。気に入った曲を最後から2番目に置くってことはないのかな。
映画館にこれが置いてあって視覚的に訴えるものがあり、欲しい! と思ってしまった。冷静に考えれば免許もないしこれに乗ってどこへ行くのかと思う。乗らないからと自転車捨てちゃったくらいなのに。
11/2(土)
黒澤明『七人の侍』@池袋新文芸坐。スクリーンでみるのはやっぱり違うなあ。
前回みたときに気付かなかったのが、冒頭、お百姓さんたちが悲嘆に暮れているときに鳴いている鳥の声。その後も、物語のなかでシビアだったり息詰まる状況のときにウグイスやカッコウの鳴き声が聴こえるのがなんともリアルというか素敵というか。
などと、あの場面がいいんだよねと言い出すときりがない。侍を探しにやってきたお百姓の目のせつないまでの真剣さ。志村喬が引き受ける時のセリフと ご飯の真っ白さ。侍集めのときの入口での待ち伏せに「ご冗談を」。「あなたは素晴らしい人です」と告げるときの瞳の輝き。鉄砲を奪ってきた侍が眠っている のを朝になっても起こさないとことか(敵が近くなれば起きるだろうと勝手にさせとく(信頼している・安心している)のがいいよなー)。
映画館はとても混んでいて、一番前の席でみるはめになったし、帰りも次の回を待つお客さんが映画館のある3階から1階の外まで列をなしていた。年配 のお客さんが多かったのは思ったとおりだったけど、若い女の子がいたり、お父さんと一緒の小さい男の子兄弟もいる。面白い場面で笑い声が起きるときには必 ずその男の子も笑ってて、映画が終わったあとその子がお父さんに向かって「おもしろかった!」と言っているのを聞いた。おかしいときには笑う、あとは真剣 に(というのも変だけど)映画を楽しむ、そんな一体感。スクリーンを眺める真摯な感情に満ち満ちていた207分の空間。古きよき映画を映画館でみられる機 会がもっともっと欲しい。
11/1(金)
おみやげに長崎トラトラ。トラ模様のドラ焼き。中はつぶあん。
緑豆を買って袋のシールに書いてあった「緑豆のココナッツミルク汁粉」を作った。