日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0210.htm#20021001
2002年10月
読・観・聴・その他
霧舎巧『四月は霧の00(ラブラブ)密室』
ジョアン・ジルベルト『声とギター』
田中登『(秘)色情めす市場』@東京国立近代美術館フィルムセンター
超短編パーティ@江古田
山田風太郎『八犬伝』
霧舎巧『五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し』
岡崎祥久『首鳴り姫』
Arnold
Lobel “Frog and Toad Are Friends”
中島貞夫『狂った野獣』@東京国立近代美術館フィルムセンター
坂手洋二・燐光群『最後の一人までが全体である』@下北沢ザ・スズナリ
Arnold
Lobel “Frog and Toad Together” “Days With Frog and Toad”
Arnold
Lobel“Frog and Toad All Year”
ジャン・ルノワール『素晴らしき放浪者』@池袋文芸坐
ジャン・ルノワール『大いなる幻影』@池袋文芸坐
北林谷栄『蓮以子八〇歳』
諏訪内晶子『メロディ』
ドーリス・デリエ『MON-ZEN』@新宿武蔵野館
ヘレン・マクロイ『家蝿とカナリア』
「星はなぜ星形なのか」『形の文化誌[9]
芸道の形』
10/31(木)
形の文化会編『形の文化誌[9]
芸道の形』工作舎。金子務「星はなぜ星形なのか」を読んだ。“なぜ”というよりは、星を表わす形の変遷史。
最初は黒丸で表わされていた星は、その後、イスラム教的オリエント色の強い星形五角形☆と、ユダヤ=キリスト教的西欧社会な星形六角形(上下さかさまの二つの三角組み合わせたダヴィデの星)の対立という流れに入る。西欧社会では長い間、星形五角形☆の特異性(一筆書きの閉じた図形・封じ込める性質・黄金比の辺比を内包しているがゆえ、ユダヤ=キリスト教的伝統のなかでは呪的性質が強い)から、それで星を表わすことはなかったという。単なる記号として星型五角形☆が使われた最初の機会は、イギリスの初代グリニッジ天文台長ジョン・フラムスティードによる『フラムスティード星図』。ここでは星の等級の識別記号に、大中小の星形六角形・大中の星形五角形・中の星形四角形が使われ、そこから先、宗教的意味合いを薄めた記号としての星形の認識が広がり、六角形よりも簡単で一筆書きも可能な星形五角形☆が優位に立つことになったらしい。
日本では、伊能忠敬が作成した地図に「星形五角形の判を、天文観測をした地点に必ず赤い星印の印として押した」(p.182)そうで、それが星形五角形☆が広まるきっかけだったみたい。
吹越満@『お見合い放浪記』がすてき。石橋蓮司・原田芳雄の次くらいに名前をあげたいなあ。あと鳥羽潤も。
10月を振り返ってみると初めてのものがずいぶんあった。焼きりんご、ジョアン・ジルベルト、ポルノ映画、ベイリーズ、芋(焼酎)、バイオリン曲、カリン、マリオ・デル・モナコ、赤いエナメルのストラップシューズ。
10/30(水)
TV番組であまりにあたたかいものを見てだらだら泣いた。人を泣かせるのだったら「どうしてそんなことを言うのだろう」と思わせるような悲しい絶望的なことを書いてそうしたいとかなり前に書いたことがあったけど、あたたかい涙のほうがいい、そう思わせるくらいの力があった。
10/29(火)
理性ですか。
中学校の校庭脇を歩いていたときボールが近くに落ちるのを見た。ボールよけの網より歩道側だったから、どれくらいの高さをこえたんだろうと網を見上げた。どんな高さであってもこえない保証はどこにもないんだろうなあ。
その網みたいなもの? ただし高さの上限はあっても見ることができない。
ヘレン・マクロイ 深町真理子訳『家蝿とカナリア』創元推理文庫 を楽しく読めず時間がかかってしまった。『ひとりで歩く女』(感想)は面白かったし、『読後焼却のこと』(感想)もまあまあ良かったのに。もしかしたら演劇がらみのミステリが苦手なのかもしれない。クリスチアナ・ブランドの『ジェゼベルの死』もそうだったし。
10/28(月)
ここ2ヶ月の間にピアノで苦しむ夢を三度見た。この間のは二人の先生についてそれぞれ曲を練習しなきゃいけなくててんてこまい。今朝のは練習したはずなのに全然うまく弾けなくて、おまけに先生が大学のときのドイツ語の先生という設定。
先生は当時助教授で第二外国語のドイツ語で文法と購読のうち文法を担当。あるとき友達の一人が「もう少しわかりやすく教えていただけませんか」と授業中発言したところ怒りながら泣いてしまった。次の授業から、来るには来るが教科書をすごい早さで読み上げて終わると出てってしまうというやり方になった。今度は友達が「私のせいでみんなに迷惑かけてしまった」と泣くし、困ったので購読担当の先生に「かくかくしかじかなので文法を教えてください」とみんなでお願いしに行った。
わかりやすく、なんてお願いするより自分たちで勉強すべきだったのかもしれないと「今は」思うし、男のくせに泣くなよとも思わないけど、その後の態度はやっぱり大人げないんじゃないの? と「今でも」思う。
ヘレン・マクロイ 深町真理子訳『家蝿とカナリア』創元推理文庫 をやっと読み終わる。
10/27(日)
JR恵比寿駅から駒沢通りを代官山方面へ歩き服を見る。来た道を戻りつつベトナム料理のお店でフォーのランチを食べてから明治通り沿いに渋谷を目指す。渋谷に近づくにつれ駅方面から来る競馬?
の人たちとたくさんすれ違う。宮益坂を上って表参道までまっすぐ。ハロウィンのパレードをやってた。横道をうねうね入ってキラー通りに出て外苑西まで。ここまで来たら千駄ヶ谷経由で新宿駅まではもうすぐ。
面白かったもの3つ。
・選挙のポスター。ガッツポーズをとっている右下にはジョギングしてる姿も。リベンジの文字あり(ギザギザ囲み付)。千駄ヶ谷にて。
・自転車改造タクシー。自転車の後ろに覆いと座席をつけて東南アジアで見かけるようなタクシーのように。かっこいいお兄さんが運転手。300円。キラー通りにて。
・交叉点にあった歩行者に気をつけましょうの手書き絵。歩いているおじいさんのビックリ顔がツボ。この柱に描かれている絵はどれも微妙にヘン。北参道交差点?
生誕80周年記念特別企画 蘇るジェラール・フィリップが11/9からシネ・リーブル池袋で(来年1月からはシネ・リーブル梅田でも)始まりますが、「11/25(月)はGPの命日につき、来場者にプレンゼントあり」で、12/4の誕生日にもイベントがあるらしい。
チラシのインパクト(顔)に惹かれたニュウ・ポ『王様の漢方』(日/中・2002)。万里の長城でのロケが許可された史上初の作品です。
『TAMALA2010 a punk cat in space』。みないような気がするけど気にはなる。“MEGURO-CITY・権之助坂からネコ銀河系宇宙へ。永遠に1歳を繰り返すネコ、TAMALAの謎をめぐるパンク・ファンタジー!”だそうです。
10/26(土)
モーニグショーでドーリス・デリエ『MON-ZEN』(ドイツ・1999)@新宿武蔵野館へ。ドイツ人兄弟が日本の禅寺へ修行しに行く話。実際に石川県の総持寺に許可をもらって撮影をしたのだそうです。
普段の生活でも禅を実践している弟が1年前からの憧れだった禅寺修行へやっと行けるというとき、奥さんに逃げられた兄に「一人にしないで〜」と泣きつかれ、仕方がないので一緒に禅寺へ行くことする。東京で一泊してから石川県にある寺(総持寺)を目指すんだけど、その東京での夜が彼らには長〜い夜のはじまり。自分たちの泊まったホテルをKAWASAKIとEPSONのネオンの間と覚えたものの、夜になって目印のネオンが電源を落としたためホテルがわからなくなり、ホテルカードだと思っていたのは旅行会社の名刺でタクシー運転手にそれを見せれば新橋あたりまで連れていかれ、お金をおろそうと銀行へ行けばクレジットカードを入れたため機械に吸い込まれ、そんなこんなでお金はたったの300円に。300円でパチンコに賭けてみたってうまくいくはずもなく、墓地でダンボール箱に入って一晩を過ごすのだった。
その後、なんやかんやで禅寺へ行けて、日本人である私にとっても未知の、美しく静かな世界が展開していく。朝は3:30に起床、水浴びをして、掃除をして、座禅を組んで、朝食を食べて、それら全てが美しい「型」によって行なわれる。たとえば、食器は大小の器が重ねられた上で一枚の布に包まれ、その布のほどきかたから器の展開の仕方、箸の取り出し方、しまい方、までが一連の流れになっている。
寺務長と禅問答も行い、弟が「失敗を恐れてばかりです」と寺務長に言うと「お茶をこぼすことばかり心配していたら器の美しさやお茶の温かさがわからないままです」と答えてた。兄弟を演じる俳優さんたちがときどき素に見えて、それがまた良い。禅寺の人たちの笑顔が見えたところにはドキドキしてしまった。ストイックに見える人が感情を表わすときって新鮮で得がたい瞬間だなあと。
笑えると言えば笑えるんだけど、ラストの構図がとても良くて、テニスボールのポーンポーンという音がどこか禅寺での音を思い出させるようでもあり。
ところで、禅というと不立文字だねえと試しにGoogle検索したらその名前のお酒がありました。
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19日に遊びに行った友達に最近どんな音楽を聴いているの? などとメールを出したところ返事がきて、読んでいるうちにドキドキしてきた。こんな感じの内容。
だんなさんのご両親は音楽家だったせいか、せっせと図書館や日仏学院などで音源を借りてくるのでそれを一緒に聴いているけれど、アバとかビージーズとか古いのばっかり。ここ半年のお気に入りは、ブラジルで聴いたアンリ・サルヴァドールの一番新しいCD。向こうのママがお土産にとダビングしてくれたもの。アンリ・サルヴァドールは、だんなさんのパパの古いお友達で、お昼に酔っぱらって遊びに来てそのままお酒を飲みつづけて夜には床で寝ちゃうのよ、とママが笑いながら言ってた、とか。
なんでびっくりかって、10/4にアンリ・サルヴァドールのことを思い出して書いたばかりだったのと、そんなエピソードを聞けたことに。
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こたつが恋しくてなりません。スネが冷えて。
10/25(金)
電車の中に大きな蜂が入ってきてみんな困りました。
この頃パンにはちみつをつけて食べてます。ちょうど安く売っていたんだけどアカシアとレンゲどちらの花にしようか迷ってしまい、今日は買わず。
値段(と男前なところ)に惹かれて、「黄金のトランペット」と呼ばれたテノール、マリオ・デル・モナコ『デル・モナコ・ソング・アルバム』(UCCD7110)(→Amazon)を買った。イタリア民謡とポピュラーソング集。部屋の中が一気にムード歌謡。はたまたイタリア映画音楽。とにかく、壮大な空気に包まれて、というより歌声を載せた空気は部屋からあふれそうで、これほど部屋と音楽との違和感を感じたのは初めてです。生で聴けないとはいえこんな場所でこんな機械をとおしてあなたの歌声を聴いてすみません、せめて窓を開けましょうか、って感じ。
高校の音楽の授業では「オ・ソレ・ミオ」や「帰れ、ソレントへ」をイタリア語で歌うのを習ったり、マンドリンを教わって最後に友達と組んで演奏の発表をしたり、今思い出しても楽しかった。
「創元推理手帖 2003」を買ったよーと友達からメールが来た。私も来週には! ホームズとモリアーティーの滝壷の日なんかも載ってるようです。
10/24(木)
ずっと短かかったせいか、髪を伸ばしていると思い出や時間が髪に残っているような気がして今・今・今(を生きている)っていう感じがしない。それが気持ち悪い。転機に髪を切る人の気持ちってこういうこと?
紅玉がまだ売っていた。今年の蜜柑はきっと甘い。
はてなアンテナでは全然更新取れてないようなので(どうしてだろう?)、更新状況を知りたいかたはミステリ系更新されてますリンクが便利です。
10/23(水)
ヘレン・マクロイ 深町真理子訳『家蝿とカナリア』創元推理文庫の進みが遅い。
『ユーリ・ノルシュテイン作品集』(→Amazon)がDVDで発売されていたとは知りませんでした。夏に出ていたようです。「霧につつまれたハリネズミ」がみたかったけど機会はなさそうだなあとあきらめていて、せめて絵本だけでもと買ったのが去年の冬。『きりのなかのはりねずみ』(感想)。「のいちごのはちみつに」を持って友達のこぐまくん(食いしん坊)をたずねます。はりねずみくーん。
10/21(月)
甘いのはお酒だけで充分。
今の髪型は不評のようで会社の3人の女性(少し下・少し上・母くらい)から前の短いくりくりのほうが好き…という正直なご意見をいただきました。自分でもそんな気がしてきました。あるいはこうなることをわかっていたかもしれません。せつないな。
以前栗をもらった同僚女子に「母からです」と袋を渡された。いい香りがするので、りんご? とたずねると同僚女子は、あ、と思いついたような顔をして「あててください」と言う。黄色くてりんごでも洋ナシでもない果実。「カリン?」。正解。名前だけ知っていて実物を見たのは初めて。「果実はそのままでは食べられないのでハチミツ漬や果実酒にするんですけど、硬いのでうちでは香りだけ楽しんで捨ててしまいます」とのこと。たしかに、ぐっと押してもりんごやナシのような果物っぽい手ごたえは返ってこない。どこまでも深く硬さがつづくみたい。鞄に入れてただよう香りと一緒に帰った。
10/20(日)
今日は大雨になると思っていたので、みようと思っていた映画は昨日の段階で行く気がなくなってしまってた。でも結局雨は降らなかったみたいだ。
貸してもらった諏訪内晶子『メロディ』(PHCP-11001)を聴いている。バイオリンのものをちゃんと聴くのは初めてで、聴いていて落ち着くというよりもむしろ気分が高揚する。高揚といってもハッピーではなく、かきむしられる一歩手前のような胸がざわざわする感じ。心拍数が上がってきた。
10/19(土)
友達のうちに遊びに行く。8月に生まれた女の子はフランス人のおとうさんそっくりで目がグレー。
キリンのCM、松嶋奈々子のスピッツ編と優香のチューリップ編、どちらも初めて聴いたときには一瞬なんの歌? と思い、知ってる(聴いたことがある)歌だと気付いてからも歌詞が新鮮に耳に入ってきて、いい歌だなあと思った。よく知った歌のはずなのに友達がカラオケで歌うのを聴いて、いいなあと改めて思うのと同じ。オリジナルの歌手が歌うのってその人と歌(歌詞)がぴたっと張り付いている感じなんだけど、別の人がそれを歌うと歌詞が離れて浮き出て見えてくるとでもいうか。
スピッツ『一期一会』は欲しいと思うけど今はほかにも欲しいものがあるので動けずじまい。たとえば、
ハワード・ホークス『教授と美女』VHS \4,800
同『コンドル』DVD \3,800
ロマン・カチャーノフ『チェブラーシカ』DVD
\3,800
Celso Fonseca & Ronaldo Bastos“Juventude/Slow
Motion Bossa Nova”
Joao Gilberto“Aguas De Marco”
あと新しいアイロン台とか新しいトースターとか。なんとか使えるのが余計悩ましい。
驚いたことにオリヴェイラ監督の『アブラハム渓谷』がDVDで出る。\4,800.- この監督の作品は今までなんにも出ていなかったので映画館でかかるのを待つしかないとあきらめてた。ただやっぱり映画館でみられるほうが嬉しい。
10/18(金)
どれくらい飲んだんだろう…。気を抜くと千鳥足になるくらいは飲んでました。電車の窓に映る自分の顔に微妙に焦点合ってないような気がしたし。でも素晴らしかった!
とびきりおいしい焼酎。「芋」っていう焼酎と、七という文字が入った日本酒みたいな焼酎。芋は31度で確かに強いんだけど、飲むともう強いのを忘れてすっきりする。なにも残らない。それでまたつい手が出る。もったいないからちびちび飲んでいたつもりだったのにやっぱりかなり飲んだと思う。日本酒みたいなほうは、切れ味が鋭くて一筋縄じゃいかない人みたいな味だった。対して、「芋」のほうは懐が深い人みたいな感じ。だから私のようなツウでもない人間に飲まれてもきっと怒ったりはしていないだろう。
10/17(木)
北林谷栄『蓮以子八〇歳』新樹社,1991を読み終わる。岩波文庫が創刊されたとき、“イの一番に野上彌生子さん訳のパルフィンチの『希臘羅馬神話』を六本木の誠志堂で買って机の上に据えた”(p.26)そうです。
TVのチャンネルをあちこち替えていたらクイズミリオネアをやっていて、女優の原ひさこ(93歳!)が100万円を難なくクリア、その上の金額もどんどん回答してっちゃう。500万円に挑戦のあたりで怖くなってチャンネル替えましたが、時間的にたぶん続きは来週。
よしもとさんが久しぶりに更新。
10/16(水)
会社が休み。
池袋文芸坐の特集、「魅惑のシネマクラシックス PART2」でジャン・ルノワールの映画を2本みてきた。『素晴らしき放浪者』と『大いなる幻影』。
『素晴らしき放浪者』(仏・1932)。助けた相手に家の中を文字通りかき回されてストレスたまるー! という気持ちに私自身が振り回されてしまった。結婚するところまでとにかくイライラしまくり。が、結婚式を済ませボートに乗っているブーデュがなぜか浮かない顔をしているのを不思議に思っていたところからの展開を見たら、ま、いっかと思えてきた。川から自分の意思ではなく引き出され、いつもと違う世界に生きたブーデュは、今度は自分の意思で(花を取ろうとして)川に入り、元の世界に戻った。そんな気がした。
『大いなる幻影』(仏・1937)。“戦争映画”をジャン・ルノワールが撮るとこうなるのか、というのを味わえたのが嬉しい。そこには洒脱さと上品さがどうしたって存在している。
ジャン・ルノワールの映画をみたのは『ゲームの規則』が初めてで当時はそれほど良いと思わなかったのが、去年だったか再びみる機会があり、その時初めて面白いと思った。それ以来、その「くえなささ」に魅かれ今日までで7本みることができた。『黄金の馬車』を除いてすべて映画館でみられていることがラッキー。今のところの一番は『草の上の昼食』(仏・1959)(感想)。
こちらもびっくり。THE LETTER って Frog のツメが微妙に甘いのがいい。そのツメの甘さのせいで、タイトルでもある THE LETTER とは別の素晴らしさがあらわれた!
10/15(火)
いま読んでいるのは北林谷栄『蓮以子八〇歳』新樹社,1991。
10/14(月)
Arnold Lobel “Frog and Toad All Year” HarperTrophy.を読んだ。ICE
CREAM にはどうしたって大笑い。CHRISTMAS
EVE、プレゼントを贈りあうであろうその日にプレゼントを抱えているのは当たり前なんだけどその姿にじんとしてしまう。今回の5つの中で一番好きなのは
THE CORNER 。じわっときた。シリーズ4冊の中でも5本、いや3本の中に入るくらい好き。
11日から読んできたこのシリーズは仲良しの Frog と Toad の日常を描いた物語。春を探しに行ったり、泳ぎに行ってヘンな水着姿を隠そうとしたり、焼けたクッキーがあまりにおいしいのでやめられなくて困ったり、誕生日プレゼントの帽子が大きすぎたり。
お互いがお互いを大切に思う気持ちがシンプルに書かれていて、その分まっすぐに届く。たとえば、手紙が来たことがなくてさみしいという Toad に Frog の仕掛けたこと(THE LETTER)や、Frog が一人になりたいと家を空けたときに Toad がしたことと Frog の行動の理由がわかる ALONE など。
10/13(日)
ベイリーズとはなにか教えてもらいました。ウィスキーにクリームを入れたものらしい。私の舌もまんざらではないな。
燐光群の『最後の一人までが全体である』@下北沢ザ・スズナリをみる。
解散後、文芸坐でフェデリコ・フェリーニ『魂のジュリエッタ』をみるつもりだったのですが(ラスト1本は800円だし)、体力の限界を感じてやめておきました。
Arnold Lobel “Frog and Toad Together” “Days With Frog and Toad” HarperTrophy.を読む。前者ではTHE GARDEN, COOKIEIS に大笑い。A LIST みたいな生活をしたいね。後者では TOMORROW がまるで私みたい、THE KITE で快哉を叫び、ALONE の素晴らしさは 11日に読んだ THE LETTER なみ。
10/12(土)
中島貞夫『狂った野獣』(日・1976)@東京国立近代美術館フィルムセンター。
銀行強盗に失敗した男二人組が逃亡中にたまたま見かけたバスに乗り込んでバスジャック。シリアス物という先入観は冒頭の音楽ですぐに崩れた。どうやらこれはところどころで笑いをとる映画らしい。
運転手は心筋梗塞の恐れアリ。犯人の一人、川谷拓三は気弱さが逆に怖い。チンドン屋、老人(のんびりバナナ食べてるし)、子供、不倫カップル(教師と教え子の母親)、ペットを病院へ連れていく途中のおばちゃん、などなど乗客たちのバラエティさがバス内にドラマを生むかというと諍い中心でほのぼのさはなし。犯人とやりあって時に地獄絵図と化すバスの一番後ろの席に落ち着いて座ってる渡瀬恒彦は善か悪か? から展開する物語の構造は面白かった。後半のカーチェイスシーンが長すぎてだれる。
寒くなるとテラス席が恋しくなるカフェで久しぶりの友達とゆっくり過ごす。ホットベイリーズミルク。ベイリーズとはなんだろう。甘くてウィスキーっぽい味がした。冬にここでホットワインを飲んでとても気持ちよく酔ったとき一緒にいたのはやはり今日の友達。ひざかけとストーブはまだ用意されてなかった。冬はもう少し先。
10/11(金)
私信:「私立霧舎学園ミステリ白書」。6月はまだ出ていないのですが、あとがきによれば12ヶ月ぶん続くようです。転校生の女の子がやってきて、伝説に基づいて(?)事件が起き、彼女と同じ誕生日の男の子二人が探偵役になって事件を解こうとします。一人は自分こそが伝説に基づく探偵だと思い込んでて、もう一人はなりゆきでという感じなのですが、女の子の本命は後者の男の子で、どうやら「伝説」はその二人に対して有効な模様。学校紹介、制服図解、学生証などが綴じ込みで付いてました。毎月のおまけ?
岡崎祥久『首鳴り姫』講談社,2002 を読み終わる。文章にときどきイライラした。そこに「私たち」しかいないことはわかってるんだから一つの文ごとに「私たちは」を入れなくてもいいのにとか、文末がいつも同じだとか、詩の引用が多くて太字だとか。少し無理して感想を書こうかと思いつつもうまいこと浮かばない。夜にしか出会いえなかった二人ではあってもそこから先は昼に会うことだってできたし夜を大切にすることだってできた。でも、大切にしようとしたのにズレが生じ、結果、夜をないがしろにしてしまうことになれば、もうどこでも会えなくなる。
ジョージ・マクドナルドに『昼の少年と夜の少女』という、昼しか起きていられない少年、夜しか起きていられない少女の話があった。こちらはあらかじめその時間にしか起きていられないように仕込まれた二人だったと思う。
Arnold Lobel “Frog and Toad Are Friends” HarperTrophy.げらげら笑ってホロリとす。THE LETTER が特にいいんです。こんな言葉は遣いたくないんだけどあえて言っちゃおう。癒されるー。
寒いのでハンテン(?)を引っ張り出して着ていたらポケットがごろごろするので中に入ってるものを取り出すとメジャーだった。
10/10(木)
霧舎巧『五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し』講談社ノベルス,2002
を読み終わる。つづきはどうしよう。微妙です。同じ高校生の甘ずっぱさならば、JR山手線内にはってあった北海道キャンペーンのポスターのコピー、「きのうは、ごめんね。」のほうに軍配あげます。うるおいって、そういう感じ。
Celso Fonseca & Ronaldo Bastos"Juventude/Slow Motion Bossa Nova"(→Amazon)と、Joao Gilberto "Voz e Violao"(→Amazon)。アマゾンに飛ぶと試聴できるので聴いてみました。前者は大人のつや、後者は渋さと枯れ、スイも甘いもという言葉がぴったりきます(後者はなぜかオトナ〜とは形容できない気がする)。前者が満月ならば、後者は三日月。前者がまだソファでまったりならば、後者はもはや床にだらーっと、より地面に近い感じ。変なたとえばっかり…。
10/9(水)
ジョアン・ジルベルト『声とギター』/Joao Gilberto
"Voz e Violao"(→Amazon)がとても好きだと思ったので、セルソ・フォンセカ
& ロナルド・バストス『スローモーション・ボサノヴァ』/Celso Fonseca
& Ronaldo Bastos"Juventude/Slow Motion Bossa Nova"(→Amazon)もそんな感じなのか聴いてみたくなりました。好きなのが1枚あればそれで満足できそうでいて、もっとほかに聴きたい気持ちも出てくる。
10/8(火)
土曜日に公開になった小泉堯史『阿弥陀堂だより』の舞台挨拶で91歳の北林谷栄が寺尾聰にお姫様だっこされた場面を見て涙ぐむ。その写真が載ってる記事は見つけられなかったけど舞台挨拶の様子。北林谷栄のプロフィール。ちなみに、寺尾聰は劇団民藝を一緒に立ち上げた宇野重吉の息子。
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山田風太郎『八犬伝』朝日新聞社,1983 を読み終わる。
物語は、里見八犬伝が語られる章を「虚」、それを書く馬琴の生活を「実」として交互に展開してゆく。最初は、「里見八犬伝」という「虚」、馬琴の生活という「実」の分かれかたにとまどいはなく、次の章に移るときに気持ちの切り替えはスムーズで、「『里見八犬伝』、を語る馬琴」というふうに読み進めてた。ところが、下巻も後半になり馬琴の生活描写が凄みを増してくると、そちらのほうに気持ちを奪われてしまい、里見八犬伝の描写に落ち着きさえ感じるようになってきた。そして、「実」から「虚」へ移るときに一瞬夢から醒めたようなぼーっとした断絶を感じてしまった。「実」と「虚」を合わせてくるむ『八犬伝』の最終章は「虚実冥合」という章で終わる。ここへきて、里見八犬伝は馬琴によって語られるのではなく、山田風太郎によって語られる八犬伝になった(あるいは最初からそうだったのだとやっと気付いた)。読者は物語の外側にいるゆえ、作者・山田風太郎を通して冥合を味わうことができる。
そんなふうに、『八犬伝』を読みながら作者と読者、虚と実などについてつい考えてしまったけど、終盤の馬琴とお路のエピソードを読むにつれ、そんなことはどうでも良くなってくる。二人の間にある神々しいそれをなんと描写していいのかわからない。お路が「私が」と名乗り出るところ、夜中に薬を作るときの幸福感の描写、二人の間にあるあとがき。悔やまれるのは、この部分を電車の中で立って読んでいたこと。一日の終わり、あとはもう眠るだけという静かな落ち着いた気持ちで迫力に打たれながらもしみじみ読んだほうが良かった気がする。
この苦しみの中に、しかし馬琴ははじめて、自分が「八犬伝」をかきつづけるのは、生活のためでも孫の未来のためでもなく、人に頭を下げずに生きるためでも現実から逃避するためでもなく、それどころか小説を完結させようという目的のためですらなく、ただおのれの内部からあふれてくる物語自体のためであることを知った。(p.351)
..
ほかに誰も通っていない道でバイクとぶつかりそうになった。でも、もし本当にぶつかってたとしても歩道を歩いていたことを証明できないんだなあ。
キンモクセイはまだ夕方には香る。
10/7(月)
健康診断で昼ぬき。ちぃまでぬいて、ご褒美に甘いものでも食べないとやってられません。で、あんぱんとプリン。ちぃぬくと眠いんでしょうか。161.9cm。去年より2ミリ増。あと1ミリだったのに。おやすみなさい。
10/6(日)
久しぶりにみた映画は、田中登『(秘)色情めす市場』(内容紹介)(日・1974)@東京国立近代美術館フィルムセンター。
日活ロマンポルノのようです。私が抱いていたポルノのイメージは、淫靡、ストーリーがない、セックス描写が中心、脈絡もなく始まる、など。ところがこの作品からは、あまり淫靡さを感じないし、ストーリーがないわけではないし、描写は多いけど中心という感じもない、脈絡がなく始まったりはしない。うーん、ポルノっていったいなんなのだろう? わからなくなりました。
モノクロで撮影していたのはカラーだと醜くなるからだろうかと思っていたのに、後半少しの間カラーに転換する際にそれが思い違いだったことを知ります。カラーは少し褪せた色合いで不思議と美しく、「しぶとく生きる」といったギラギラ感から全く離れたところにある。
私には、いろいろなところで「なぜ」が渦巻く映画でした。
アップリンクファクトリーのDICE bis 10月号で、10/10にマイケル・ガーバー『バリー・トロッターと愚者のパロディ』河出書房新社(アップリンクによる内容紹介)(河出による内容紹介)というのが出るのを知る。これを楽しむためには元を読まないとだめなんだね…。
夕方、超短編パーティ@江古田に行ってきました。
10/5(土)
さすが!
探しにいくより断然早かった。さびしさのうれしくも有秋の暮(蕪村)
秋のはじめに出回るという紅玉を買って焼きりんごを作る。作ったのも食べたのも生まれて初めてで、長らく憧れのデザートだった。三温糖、バター、シナモンスティック、オレンジ果汁と白ワイン。
ジョアン・ジルベルト『声とギター』(→Amazon)。タイトルどおり声とギターのみ。夕方聴いていたら一気に夜の静けさが訪れたようになった。少しだけ甘い、大人の子守唄みたい。でも眠くなるわけではなく。中川仁氏によるライナーノーツは“アルバムの収録時間はわずか30分だが、この30分は永遠の時間に等しい”という言葉で閉じられている。
自分に課したことでいつも頭がいっぱい。義務ではないし、いつやめたっていいのに。何のため? さあ、よくわかんない。あっぷあっぷ苦しい中でときどきわくわくする。とりこになっていると感じるときもある。その瞬間のため? 今の生活を形容するなら“高校生のように忙しい”。でも高校のときは忙しいと思った記憶がない。
10/4(金)
私信:続編もお楽しみに。
別の場所での仕事だったので私鉄の切符を買っていたら、「マドモアゼル」と肩を叩かれた。振り返ると見上げる高さのアフリカ系とおぼしき男性。750円区間の駅を指し駅名を言う。そして自分の持っているお金を手のひらに広げて見せる。お金の種類がわからないのかと思ったので、これが50円で…と示すも明らかに足りない。千円ないんですかとたずねると、向こうも足りないことは先刻承知のようで「センエンナイ」と答える。つまり、自分の所持金はこれだけで、足りないからお金をくれってことか! 一瞬迷ったけど彼の手のひらに500円玉を載せた。そして、そこに載ってた100円玉2枚と50円玉1枚を寄せて750円になるようにより分けた。
それだけしかお金がないのに目的地へ行ってどうするんだろう。……だまされたんだろうかと悪いことも思ってしまう。でも、疑うのだったら私がその場で切符を買ったり、駅員さんところに連れてゆくなどの方法もあった。今になってみればあれこれ想像してしまうけど、その時には疑問を持た(て)なかったんだから考えても意味はない。
アンリ・サルヴァドール『サルヴァドールからの手紙』(→Amazon)。去年の夏にたくさん聴いたCDを今年の夏には全然聴いてなかったと思い出した。もう夏はどこにもいないのに聴いてみたくなって引っ張り出す。ところが日記を調べたら去年の9月に買ったもので夏ではなかった。“さながらビターチョコレート”。
「人生ってすばらしい」「捨てたものじゃないな」と思う瞬間が私にもときどき訪れる。「La Muraille de Chine」を聴いていたらそういう気分になった。まだまだ自分の知らないところに眠っている宝物を探しに行きたい。
横になって聴くのは最高。ただ、ききほれてしまい眠るつもりが眠れなくなる。甘美なアンビバレンツ。
10/3(木)
ハワード・ホークス『コンドル』(米・1939)『教授と美女』(米・1941)がみたい。後者は10日にビデオ化するのでレンタルしてくれそう。ただし、前者はDVDになってるけどレンタルを見かけないので、いつの日かの上映を待ちつづけるかDVDを買うかという選択肢。
『八犬伝』の下巻に入る前につい霧舎巧『四月は霧の00(ラブラブ)密室』講談社ノベルス,2002を読んでしまった。つやというか、うるおいがないなあというのが感想。殺人事件につやも潤いも関係ないけど…。続編も読むつもりではいます。
『八犬伝』を読み終えたら「解説」を読みにいきます。いまはまだ楽しみにおいておこう。ありがとうございます>某凍りバナナ様
蕪村の句で、秋はそのさみしさがうれしい、といった感じのがあったと思うんだけど、思い出せません。その句を見たときとても納得したので探してみる。(→10/5判明)
10/1(火)
昼休みにチョコレートを一つもらった。おすそわけはどうしておいしいんだろうと思いながら食べた。つまみぐいがおいしいのと一緒?
そして今度は同僚女子から栗をもらった。彼女のおかあさんの田舎に栗の木があってダンボール一箱ぶん届いたので、と。ありがたいことに皮をむいてくれていて、栗ご飯の作りかたメモまで添えて。わんさか炊きました。
モンブランやマロンクリームなどの甘ったるい栗味は少し苦手だけど、栗ご飯や栗のリキュールはおいしいと思う。
山田風太郎『八犬伝』(上)朝日新聞社,1983 を読み終わる。
9/30(月)
止んでしまえばとたんに邪魔になる傘のことを、必要がなくなったからこそ置き忘れたりしないようにとずっと思ってる。雨に降られて役に立っているときよりも気にかけている。
帰りに前を通る花屋さんに小さなもみじを盆栽仕立にしたようなのがあって、信号待ちをするたびに気になっているんだけど、今日見たら値段がぐっと下がってた。でも、欲しいのかどうかちゃんと考えてみると、一日中もみじのことを思うことはなくて見たときにしか欲しいと思わないので、それほど欲しくないんだろうと思った。