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日記のフリindex

03.0403.06

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0305.htm#20030501


2003年5月

その他

安藤尋『blue』@シネ・アミューズ
ジョージ朝倉『カラオケバカ一代』
江國香織編『活発な暗闇』
『アルプスの少女ハイジ』第13話から第18話
『アルプスの少女ハイジ』第19話から第22話
平澤まりこ『おでかけ手帖』
桐野夏生『ダーク』
斎藤美奈子『趣味は読書。』
チャン・ジン『ガン&トークス』@新宿武蔵野館
ジョン・カサヴェテス『グロリア』@シネ・リーブル池袋
『アルプスの少女ハイジ』第23話から第32話
嵐山光三郎『死ぬための教養』
『アルプスの少女ハイジ』第33話から第37話
勅使河原宏『他人の顔』@東京国立近代美術館フィルムセンター
マノエル・デ・オリヴェイラ『家宝』@シャンテシネ
『アルプスの少女ハイジ』第38話から第42話
桐野夏生『リアルワールド』
鎌倉散歩
村岡清子『私たちは大人少女』
キース・フルトン/ルイス・ペペ『ロスト・イン・ラ・マンチャ』@シネ・アミューズ
イ・ジョンヒャン『おばあちゃんの家』@岩波ホール
三谷幸喜『三谷幸喜のありふれた生活2 怒涛の厄年』
玉村豊男『男子厨房学(メンズ・クッキング)入門』
日野直子『目覚めのバロック』
『アルプスの少女ハイジ』第43話から第47話
きくちいま『着物がくれるとびきりの毎日』


5/31(土)
きくちいま『着物がくれるとびきりの毎日』リヨン社,2002(→Amazon)。普段着としても着物を楽しんでいる著者の、イラストもかわいらしい楽しい本。着物生活は堅苦しいものではなく、楽しさと魅力に満ちていることがよーくわかる。季節を感じられたり小物で遊べるのがとても楽しそう。反面、センスが問われそうだなあという躊躇も感じてしまったのは事実で、実際に着物を買うところまではまだまだ思い切りが必要だけど、今年はせめてゆかたを着たいです。

ところで、本の一番後ろ「リヨン社の本」の案内のところにあった池川明『おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと』(→Amazon)というのが気になった。「53%の子が胎内記憶を持っている 産婦人科医の調査を元にした子どもの記憶の言葉集」。私にもそういう記憶があった気がするんだけど、ここまで歳を取ると夢とごっちゃになっているのかもなあと思って、実際体験したことの記憶だったのかどうか心もとない。記憶が消えないうちに言葉を話せるようになってくれれば小さい子に聞けるんだなあ。


5/29(木)
日野直子『目覚めのバロック』星の環会,2003(→Amazon)。NHK-FM「あさのバロック」を担当していたアナウンサーが番組、バロック音楽、リスナーとの交流について記したもの。文章の書き方というか、つながりが悪くて意味の通じないところがありました。それから、本筋とは関係ないけれど校正が甘いと思う。あれ? と思う位置に文字が飛び出ていたり抜けていたり。

『アルプスの少女ハイジ』9巻「第43話 クララの願い」「第44話 小さな計画」「第45話 山の子たち」「第46話 クララのしあわせ」「第47話 こんにちはおばあさま」。

ハイジも戻ってきたし、クララもアルムへ遊びに来られたし、ということでなんだか気分的に安心してみていると、ふと落とし穴のようにせつない気分にさせられるエピソードが入る。クララがみんなに迷惑をかけているんだと気付いて悲しくなったり、そんなときにペーターのおばあさんに朗読をしてとても喜ばれて自分が必要とされていることが嬉しくて涙を流したり。ハイジは、クララのおばあさまがアルムにやってくるというのを聞いて嬉しくて楽しみで仕方がないのに、おばあさまが優しかったという思い出がフランクフルトでのつらい日々を同時に思い出させるため、やはり涙を流す。なにはともあれ、大団円まであと少し。ペーター、君は男だなあ!


5/28(水)
東急ハンズで「泡工房」というボトルを買った。液体石鹸や洗剤をお湯で薄めたものをこの容器に入れると泡で出てくるというもの。本当に泡が出てちょっと感動。

三谷幸喜『三谷幸喜のありふれた生活2 怒涛の厄年』朝日新聞社,2003(→Amazon)。一緒に仕事をした人たちとのエピソードがリアルタイムで書かれている臨場感からか、体験したことのない芝居でもやたらにハラハラしたりして、面白く読んだ。悪口どころか嫌味もないところが読んでいて気持ち良かった。

玉村豊男『男子厨房学(メンズ・クッキング)入門』中公文庫,1999(1985)(→Amazon)。古くなったパンをどうやって食べるか? のレベルから、図解入り包丁の持ち方などを経て後半はかなり高度なレベルに到達。材料・調味料・調理法の「変換」で料理はどんどんいろいろなものを作れるのだということが説明されてゆく。ひじきが食べたいなと思って料理本を見たら書かれている分量がとても少なかったので「ケチだな」と思ってわんさか戻したらとんでもないことになった、というエピソードはありがちだけど面白い。

料理は愛情というよりはむしろ食い意地である。いや、うまいものを食いたいと思うのは情熱である、情熱も愛情の一種ではないか、と問うのなら、「もしも“料理は愛情である”というテーゼが成立するとしたら、その愛のかたちはフェティシズム(物品愛)かナルシシズム(自己愛)である」と答えておく。(p.211)

5/27(火)
イ・ジョンヒャン『おばあちゃんの家』(韓国・2002)@岩波ホール

母親が職探しをする2ヶ月の間、田舎に暮す祖母の家に預けられた男の子。祖母は耳が聞こえず口もきけない、目もあまりよくない。この男の子の設定がとんでもないクソガキで腹立たしいことこの上ないわけ。聞こえないのをいいことに「バカ」と言うし、ゲーム機の電池が切れればお金代わりに祖母の髪留めをくすねてお金代わりにしようとするし、ケンタッキー・フライドチキンが食べたいと駄々をこねる。見事なまでに儒教思想がどこにもない。

ケンタッキー・フライドチキンが食べたいという男の子のために雨の中をニワトリ抱えて帰ってきたおばあさんは、家に入るなり、居眠りしている男の子ために布団を敷き、かけてやる。濡れている自分を拭くこともなく。

男の子はおばあさんの愛に100%応えることはない。だんだん彼が良い子になってゆくこともなく、ちょっと良いことをしてはまた振り出しに戻るの繰り返し。あまりに彼の行為が目にあまるので改心の兆しにぐっとくるという仕組み。でも、たった2ヶ月の生活で彼が改心したらそれこそ嘘っぽいしできすぎだ。彼には“悪い子”のままでいてもらわなくては。

ほぼ90度に曲がった腰でゆっくり歩くおばあさん。ある出来事により彼の歩みがおばあさんと同じスピードになるというのはいい。ちょっとしたクライマックス。

自分が弱っているときや心細いときは必ずおばあさんを頼りにする彼は、ずるい。ずるいけど、おばあさんはいつも同じように淡々と、いる。おばあさんが彼に対して怒らないならそれを見つめるしかないのだ。

くっそう、おばあさんの愛はなぜかくも無償なのか! おばあさんのたたずまいだけで涙が出そうになること必至です。このおばあさんは素人さんとのこと。

以下ネタバレ。
・ラストの良いところは、バスが行ったところで終わるのではなく、バス停からおばあさんがゆっくりゆっくり歩いて家に帰り着くまでを見せてくれるところ。その距離! 速度!
・おばあさんは決して彼が渡したハガキ(文字を書けないおばあさんのために、「(男の子に)会いたいよ」「身体が痛いよ」と住所なども書いてそのまま出せば男の子に届くようになっているハガキ)を出すことはないだろう。おばあさんはハガキを出す側かつ待つ側という立場で、逆に男の子の優位に立つのだ。


5/26(月)
オリヴェイラの『家宝』(5/17)。私も、そうとう見る人を選ぶんだろうなと思いました。というのも、私がみにいったとき前の回をみたおばさん2人組が「なんの話だかわからなかったわー」なんて言いながら通り過ぎて行ったのです。映画をみおわってみて、筋はきちんと明確にあるけれど「わからない」と言うのもわからなくはないな、と思いました。でも、懇切丁寧な説明がすべていいかっていうとそんなことは絶対ないですね。

地震が起きたときは切り干し大根を煮ながら呑気なリズムをとっていました。立っているとなかなかわからないもので、電気のカサの揺れを見て確信。火を消す。その後NHKを見ながら立ちつづけるも長いこと続くのでさすがに怖かった。これで逃げなきゃいけないんだったらトイレに行っておいたほうがいいかしらん、と思ったりした。


5/23(金)
キース・フルトン/ルイス・ペペ『ロスト・イン・ラ・マンチャ』(米=英・2001)@シネ・アミューズ

テリー・ギリアム監督の“The Man Who Killed Don Quixote”が撮影中断になってしまうまでのドキュメンタリー。

この映画が完成したら素晴らしいだろうなあという片鱗がうかがえるだけに、よけいせつない。無理難題ふっかけてダメになったわけじゃなかった。不運の重なりがあまりにも続いていてだんだんかわいそうになってくる。逆を考えれば、映画1本が仕上がるまでにはとてつもない幸運が必要なのかもしれない。そしてまた、監督の頭の中では構想が出来上がっているものを他の人にもみえるように体験できるように作品にしてゆくことも、とても難しい。想像力が現物よりも勝っている場合だってあるのだから。


5/22(木)
女子たちへの鎌倉みやげは小松屋の大佛饅頭。

村岡清子『私たちは大人少女』青樹社,1998(→Amazon) を読み終わる。会社に勤め出したころは、スーツっぽいものを着たりもしたしパンプスを履いたりもしていたけど、そういう格好が似合わないし嫌いだったので、日々葛藤してたような気がする。なるべく着ている自分の気持ちが楽でいられるものをギリギリの範囲で選んでいた。今の会社に移ってからは、周りの雰囲気のせいもあるけれど、着たいものを好きに着ていけるので楽。身体が楽というより、精神的に楽。コンバースも履くけれど、この頃はストラップシューズなんかも履いたりしている。もし、カッチリしたOLスーツを着てないと浮いてしまうような環境だったら、きっと長いこといられないと思う。


5/21(水)
会社が休みなので鎌倉へ行ってきました。

・鎌倉駅−京急バス 大塔宮行き 終点下車(190円)−覚園寺(300円)。

電車が少し遅れて覚園寺のツアー10時の回に間に合うか微妙なところだった。だめもとでバスに乗り終点で飛び降りたら駐車場のおじいさんに「覚園寺ってこっちですよね!」と走りながら聞くと、「急いだほうがいいよー」と言われた。かなり微妙。500メートルをとにかく走り続ける。間に合ったーと思ったら、すでに話が少し始まっていた。8人の団体さんと一緒、約50分のツアーの始まり。ここは、1日5回の説明の時間に合わせて行かないと中を見ることができないのです。ここを訪れたのは2度目ですが、やはり説明するお坊さんによって雰囲気変わるものなんだなあと思った。でも、「本堂の薬師の天井には、足利尊氏直筆の梁牌がある」ということを忘れていたので聞けて良かった。ほんというと、おばさんたちのお喋りがうるさいので少し不機嫌になっていた。説明してるときは静かにして欲しいです。土間のところで「若い人はこんなの知らないわよねえ」なんて話し掛けられても。確かに知らないです。曖昧な笑みを返す。

帰り、駐車場のおじさんと「間に合った?」「はい、ありがとうございました」というやりとり。にっこり。

・覚園寺−徒歩−杉本寺(200円)−徒歩−浄妙寺(100円)−徒歩−報国寺

杉本寺は鎌倉最古の寺らしい。本堂の中に入れて、ご本尊の近くでお参りすることができるのです。かなり感激します。他に誰もいなかったので、ゆっくり順番に見て回りました。字が読めない人用に作られたという絵入り般若心経というのが売っていて、500円。「絵入り般若心経ください」と言ったらお坊さんにニヤッとされてしまった。

浄妙寺は鎌倉五山の第五位らしいですが地味なお寺。ただ、左手奥の茶室で抹茶をいただいたら素敵そう。水琴窟というのを聴けるらしい。また、さらに左方向へ登って行くと、新しくハーブガーデンや自然なパンなどを売っている石窯ガーデンテラスというところに着けるもよう。お寺を出る頃に女の人たちがわさわさやってきていたのが不思議だったけど、それが目当てと思えばなんとなく納得。

水琴窟。縁側から伸びた長い竹が、水の落ちる石まで届いていて、その竹の筒に耳を当てると水が石に落ちる音が琴のように聞こえる、みたい。体験しておくべきだったなあ。

報国寺。竹林が美しいらしいのですが、見るのに200円必要なのでやめにしました(抹茶付だと500円)。遠くから眺めてみた。

・報国寺−京急バス鎌倉行き 鎌倉下車(190円)−徒歩−雲母(きらら)

鎌倉駅西口から佐助トンネルまで歩くとトンネル手前に雲母(きらら)という一軒家の茶房があるよ、と会社で教えてもらいました。選んだのは、抹茶白玉クリームあんみつ。まずは、ユリを一輪添えたお盆にお新香と抹茶みつが載せられて出てきます。しばし待つ。ほうじ茶とともに運ばれてきたあんみつには、まんまるで大きな白玉が器の縁にまあるく並べられている。抹茶白玉が4つに白いのが1つ、そして抹茶アイス。そこに抹茶みつをかけていただくわけです。白玉は注文を受けてから作るので、まだ湯気を立てているし、人差し指と親指でわっかを作ったくらい大きい。お昼代わりにして正解だった。ぱくぱく食べる。食べ終わると、こぶ茶が出てきました。

・雲母−徒歩−銭洗弁天

銭洗弁天の銭洗水でお金を洗うと倍になるという言い伝えがあります。小学生の遠足? 団体さんでいっぱい。お財布の有り金全部をザルにぶちまけている男の子がいた。気持ちはわかる。500円をザルに入れて洗ってきました。そして小銭入れのポケットに。

・銭洗弁天−徒歩−佐助稲荷−徒歩(山登り)−鎌倉大仏(20円)−徒歩−長谷寺−徒歩−長谷駅

佐助稲荷は野リスが何匹いるのだーというくらい走り回っていてびっくり。佐助稲荷の社殿左手から続く山道は、鎌倉大仏へ通じる裏道というか、一応大仏ハイキングコースらしい。確かに道は出来ているけれど昨日の雨で道がぬかるんでいて足元が危ない。おまけにものすごく急! 怖いし心細いし、登りはじめてすぐになにやっているんだろう、と後悔した。ハイキングじゃないよ、山登りだよ……。

鎌倉大仏は、小学生さんの団体ピーク。きょうは関東一円の遠足日か? というくらい。大仏の中に入ってきた。ほんの一部分しか体験できないけれど中はあたたかい。それにしても、大仏さんの周りでも、長谷寺でも、江ノ電長谷駅までの道を歩いていても、人が多くてなんだか一気に疲れてしまい、もう帰ろう……という気持ちになった。

・長谷駅−江ノ電(190円)−鎌倉駅

お土産を買うのに寄りたかったお店が3つも定休日だったのにへこむ。気を取り直して鎌倉駅から歩いて5分のカフェ ヴィヴモン ディモンシュへ。一度は行ってみたいと思っていたところ。雰囲気も素晴らしいけれど、こんなにおいしいコーヒーを飲んだのは久しぶり。いつ以来なのか思い出せないくらい。コーヒーにはフランス風に小さなチョコが一つついてくる。一緒に頼んだレーズンサンドは、手作りのクッキー2枚にふわふわしたバターとレーズンをはさんだものが3つ。六花亭のバタよりおいしいと思った……。そして、素敵なお店は店員さんも素敵なのだった。レジ精算のとき、2号店(dois.)が出来たので行ってみてくださいね……、と道順の説明をいただいたので行ってみた。コーヒー豆と雑貨のお店だという。お店の前を通ると出来たてのほやほや感があって、小さいお店だし、おまけに所持金が少なくて入って欲しいものがあっても困るので、今回は場所だけ確認して戻りました。

ディモンシュのおかげで気分よく帰宅。

今日の結論
杉本寺と雲母(きらら)とディモンシュのために鎌倉へまた行きたい。
おみやげ復活戦。
旅においしいものは必要不可欠である。


5/19(月)
気持ちは表現にあらわれるものなのかと最近考える。自分が判断するのではなく他人が判断すること。無理して例えるならば、「心をこめて作れば料理はおいしくなるのか」に近いかもしれない。でも料理のことについては考えていない。

桐野夏生『リアルワールド』集英社,2003(→Amazon) を読みおわった。「ホリニンナ2」でのワタルからの手紙とテラウチの手紙、トシちゃんの言動に、最近似たような会話をしたばかりという既視感。正に同じ言葉をつかっていた。著者が好んで描くモチーフに初めて気付いた気がする。けれど、私がそのモチーフにとらわれているせいなのかもしれない。

ところで、この本は天・地・小口が赤く、しおりも赤い。山手線に乗って読んでいるとき、向かいの反対方向行き山手線の中に同じく「赤い本」を読んでいる男の人がいた。リアルワールド?

鎌倉に行こうと思っている。ひっさしぶりに覚園寺に行きたいし。


5/18(日)
『アルプスの少女ハイジ』8巻から「第38話 新しい家で」「第39話 がんばれペーター」「第40話 アルムへ行きたい」「第41話 お医者さまとの約束」「第42話 クララとの再会」。安心してみていられるようになった。原作との微妙な違いを楽しんだり(お医者さんの境遇およびアルムへ来るまでとか、ロッテンマイヤーまでがアルムに来るとか)。


5/17(土)
おもちゃ付きお菓子を買って姪に送ろうとスーパーをのぞいていたら、ちょうど小さな男の子とお母さんが言い争いをしていて、お母さんが「じゃあもうこれからポケモンがみられなくてもいいのね! 部屋にあるおもちゃを全部捨ててもいいのね!」と声を張り上げている(詳しくは忘れたけどそういう意味の内容)。結構厳しい条件にも関わらず、男の子はそれでもいいからお菓子を買って欲しいと言う。しかしやっぱりお母さんは愚痴を言って結局納得しないのであった。そんなやりとりの中でお菓子を選ぶのも悪いような気がして、後でまた来ようと逃げました。悩んで選んだのは不二家のペンシルチョコ。缶バッヂ付き(12種類あるらしい)。

勅使河原宏『他人の顔』(日本・1966)@東京国立近代美術館フィルムセンター

安部公房の原作の映画化。妻を誘惑するまでがだらだら長いという印象。その後の展開って原作でもそうだっけ? 原作では悩み続けて葛藤していたような気がする。妻のセリフ「気付いてたわよ」に対する仲代達矢の反応に中にはウケて笑っている人も。たしかにコメディに見えなくもないなあ、と。モノクロとアップ多用の映像はきれい、特に病院のシーンは近未来的。

マノエル・デ・オリヴェイラ『家宝』(ポルトガル=フランス・2002)@シャンテシネ

監督は94歳現役。オープニングはキャストと共に教会(?)が映し出され、向こうから傘を差した女性が現れ中に入り、しばらくすると外に出てくる。なんて言ったらいいのだろう、虎視眈々の映像とでもいうのか、不思議な落ち着きに満ちている。そして物語の始まり、と思ったら、次はおじ(い)さん二人の会話が延々と続く。これから始まる物語の登場人物評。二人のやり取りを聞きながら「映画って、なんだろう…。これが映画なんだなあ」と思う。ときに抽象的だったり哲学的だったりするセリフがあるので、字幕を見た瞬間には理解できないことも。しかし、後半、激しい展開の合間にそれまでに出てきたセリフがふと思い出され意味が解けたり納得したりする。そして、気付くと私が見る風景が変わっていて、知らないうちにここまで連れてこられたのか、と自分の立っている位置に驚くような感覚がある。本当はものすごいことが描かれているのに激しさを端正で美しくくるんでしまっている。つまり、端正につくりこまれた中にひっそりと毒薬を仕込んだとでもいうような作品。新しい悪女の誕生。素晴らしい。


5/14(水)
姪の卒園式のビデオが送られてきたので仕方なく流しはじめる。BGMがわりに。だけど合唱は案外面白い。5,6曲もソラで覚えて歌って、おまけに合奏までして、幼稚園生はすごい。先生もすごいけれど。卒園式が終わり組の部屋に戻ってきて最後の最後に先生のピアノで歌っていた歌が素敵だったので検索してみると小学校の音楽の教科書にも載っているようだった。こういう歌詞。小さな子どもたちに声を張り上げて「ささえてあげるよ」なんて歌われると涙腺ゆるむ。

『アルプスの少女ハイジ』7巻から「第33話 ゆうれい騒動」「第34話 なつかしの山へ」「第35話 アルムの星空」「第36話 そして牧場へ」「第37話 山羊の赤ちゃん」。

ビデオを渡されるとき、「ハンカチじゃきかない。バスタオルくらい用意しとかないと」と言われた。

有名なエピソード、お屋敷に出る幽霊は夢遊病のハイジだった、の回から始まる巻。クララのおばあさまが去って以来うつろだったハイジが「私は我慢しなきゃいけない」と告白しつつこらえきれずにワーンと泣き出すところが胸にこたえる。元気がないときの顔のなにが違うのかって、頬がバラ色じゃないのです。ハイジの病気を治すには山へ戻すしかないということになり、クララはぐっと我慢をして飲み込みます。ハイジのためにおみやげを持たせてあげたり。その中にはもちろん、ペーターのおばあさんへの白パンも! 長旅もなんのその、車窓の風景がだんだんに変わってゆくにつれて心が浮き立ってくる。おじいさんより前にペーターのおばあさんの家に寄り、白パンを手渡すハイジにおばあさんは「ハイジが帰ってきてくれたのが一番嬉しい」と…。うわーん。そしておじいさんとの再会。ぐっと声を殺して泣いていたので、息が苦しくなりました。血管にも我慢させたのか軽い頭痛がー。寝よ。


5/13(火)
不意にカラオケへ。斉藤由貴の「3年目」を歌ってもらうのを忘れた! 「予感」もいつも忘れる。

昨日みたいなしょんぼりと今日みたいな楽しさを近い時間で経験すると、感情のエアポケットに入ったような気分になり、なんにもやる気がなくなってしまう。無味無臭的感情。ぼーっ。


5/12(月)
ちょっぴりしょんぼり。

嵐山光三郎『死ぬための教養』新潮新書,2003 (→Amazon)を読み終わる。


5/11(日)
『アルプスの少女ハイジ』5巻から「第23話 大騒動」「第24話 捨てられたミーちゃん」「第25話 白パン」「第26話 ゼーゼマンさんのお帰り」「第27話 おばあさま」。

貿易の仕事をしているクララのお父さんが3ヶ月ぶりに帰宅。2階へのクララのもとへ階段を駆け上って会いにゆきます。初めて会うハイジがクララと仲良くやっているのを見て安心するものの、ロッテンマイヤーさんがハイジを良く思っていないことにも気付き、自分がいなくなったあとの家の雰囲気が悪くならないようにと彼の母(クララにとってはおばあさん)を別荘から呼び寄せることに。おばあさまは、来る途中でサーカスから熊の着ぐるみを買って着て子供たちを驚かせようなんて考える茶目っけのある愉快な人。ハイジともすぐに意気投合します。でも、子供たちと一緒になって遊ぶおばあさまにロッテンマイヤーはいい顔をしません。

猫を捨てられて泣きっぱなしのハイジに、七匹のこやぎの物語を話してきかせるクララがいいです。話をしてもずっと布団をかぶったままのハイジに今度はクララが悲しくなってくるのだけど、ぐっとつまった瞬間、ハイジが「それからどうなるの?」と顔を出し、やっと二人とも笑顔。

『アルプスの少女ハイジ』6巻から「第28話 森へ行こう」「第29話 ふたつのこころ」「第30話 お陽さまをつかまえたい」「第31話 さようならおばあさま」「第32話 あらしの夜」。

身体が弱いクララの日課であるお昼寝の間、おばあさまはハイジを秘密の部屋へ案内し、面白いおもちゃを見せたりして楽しませようとするのですが、ハイジはその部屋にかかっていた山々、山羊などが描かれた絵をみてアルムの山を思い出し涙が止まりません。おばあさまは気持ちを盛り上げるためにハイジとクララを森へピクニックに連れてゆきます。途中、自分が歩けないことにスネて珍しくイライラを見せるクララとも仲直りし、楽しい1日を過ごしますが、初めて外に出たことやはしゃぎすぎたせいでクララは熱を出して寝込んでしまいます。ハイジは一生懸命看病し、お医者さまから「クララの病気のためにはおひさまを浴びたり、健康に過ごすことが一番。薬はその手助けにすぎない」と聞いたハイジはクララのために森へ行き、「おひさま」を持って帰るにはどうしたらいいか考えます。たくさんの花とちょうちょで籠をいっぱいにしたものをおみやげにすることに。おばあさまとの日々も瞬く間に過ぎ、彼女が出発してしまうとロッテンマイヤーによる厳しいしつけがまた始まります。おばあさんも帰ってさみしくなり、山のことを思うと悲しくて仕方がないハイジは山へ帰りたいと思いつめ ますが、クララの「帰らないで」という言葉や、ロッテンマイヤーから「山のことを考えるな」という言葉におさえつけられて心ここにあらずの生活を送るようになります。

あらすじを書いてしまいました。

クララにはおかあさんがいないし、おとうさんも仕事でいつもいない。外に出たこともなかった彼女の生まれて初めての友達がハイジだったわけで、もう絶対アルムの山へ帰って欲しくないわけです。ハイジはハイジで懐かしいアルムが恋しくて恋しくて死にそうな気持ちではあるけれど、クララの悲しそうな顔を見ると「アルムへ帰る」という言葉を飲み込んでしまう。さみしい心を持つ二人は、相手が悲しそうなとき、さみしそうなとき、気持ちを盛り上げようと優しく接し、お互いがお互いを差さえあってきたけれど、ハイジにとってはそれでも埋められない穴が開いているようで、もうそろそろ限界。

だらだらお酒を飲むようにだらだら泣きどおしの10話ぶん。ハイジがクララの気持ちと自分の気持ちとの板ばさみになってぐっと我慢しちゃうところが見ていてつらい。そのつらさに泣き、つらいときに優しくされると泣いてしまうではないですか、そういう涙がいっしょくた。


5/10(土)
チャン・ジン『ガン&トークス』(韓国・2001)@新宿武蔵野館。全体的にピリッとした緊張感がないのです。もうちょっとスピードを上げて! 4人も殺し屋がいるのに強烈な個性を感じられず印象が薄い。エピソードが終わるごとにブチ切れるように場面が変わるのがいや。依頼人たちの殺して欲しい理由に重みがなさすぎ(でも、現実はそんなもんか)。映画自体より劇中劇の『ハムレット』のほうが興味あった。追う者と追われる者が、どうしてああいう結末に落ち着いたのかがわからない。いったいなに? なんだか不満だらけ。

ジョン・カサヴェテス『グロリア』@シネ・リーブル池袋。上映権が切れてしまうようで日本最終上映です。レイトショーで16日まで。何度みても「謎」な部分があって、おまけにそれは重要なことだと思う。でも、そんなことはどうでもいいと思えてしまえるような強烈なパワーがこの映画にはある。きちんと自分の足で立っている物語と感じるからか。物語がそこにあって、私がたまたまその傍観者でいられたという感じ。ラストのスローモーションをスクリーンでみるのもおしまいなのか……。あの場面ってスクリーンがばああっと広がる気がするんだよね……。『グロリア』でジーナ・ローランズを見るといつも煙草吸うのと仁王立ちに憧れる。


5/8(木)
桐野夏生『ダーク』講談社,2002(→Amazon)。前2作を読んで自分の中に出来上がっていた世界に『ローズガーデン』でヒビが入り、『ダーク』で破壊された。「人間は変わるんだ」という気恥ずかしい言葉が頭に浮かぶ反面、変わりすぎることを受け入れられない。実際は、「変わる」なんて生易しいものじゃなく、「破壊しつくされて生まれ変わった」としか言いようがない。ミロシリーズ前2作が「ミロ対事件」なのだとしたら、この作品はミロ自身、そしてその周辺にいる人物たちの間で繰り広げられた出来事のすべて。過去の総括。死の匂い。刹那。明日なんてどこにもない。そんな重苦しさを抜けて、終盤は圧倒的な生に満ちてゆく。

斎藤美奈子『趣味は読書。』平凡社,2003(→Amazon)も読み終わる。


5/6(火)
平澤まりこ『おでかけ手帖』情報センター出版局,2002(→Amazon)。東京だけでなく、鎌倉や千倉、益子までも。出かけた場所を自分の絵で残しておけたらどんなにいいか。絶対無理なので余計憧れる。

連休前、桐野夏生『ダーク』を少し読んで重いカタマリが喉につかえたような気分になり、読むのを先延ばしにした。一方、ビデオの進みと並行するように『アルプスの少女』を読んでいると毎晩目に涙。『アルプスの少女』を『ダーク』の上に重ねて置くとき、その距離にクラッとする。


5/5(月)
連休にしようと思ってたこと7つのうち3つできた。

和菓子屋さんに、草餅+粒あんという「草餅に葉っぱを巻いたもの」な柏餅があったので、それを買おうと思っていたら、「えっと、草餅と、あ違う、桜餅……(なんか違う)、あーえーっと柏餅ください。うわー何言ってるんだろう」と混乱して、お店の人ににこにこされてしまった。

近くの商店街のたい焼き屋さんには以前はバイトの人もいたのに、今見かけるのは店長のおじさんとその娘らしい小学生の女の子。平日はどうかわからないけど、この連休の間にお店のお手伝いをする女の子を見た。ちゃんとお店の帽子をかぶっている。今日見た時は、お店の女の子が練習なのか何か焼いている。近くにはお父さん。外からはお友達らしき3人の女の子がガラスに張り付いて中の様子を見ていた。

商店街の中央のスペースは三連休の間、自由に遊べる動物広場になっていて、うさぎ、インコ、羊、山羊、イグアナ、白フクロウなどがいました。白フクロウが美しい!

今一番気になるのは、商店街の2階に9日にオープンするというレンタルビデオ店。「TSUTAYA」かと思ったら良く見ると「TETSUYA」だった。きっと期待しないほうがいいんだろうなと思った。

夕方昼寝。菖蒲を買って菖蒲湯。

『アルプスの少女ハイジ』4巻から「第19話 フランクフルトへ」「第20話 新らしい生活」「第21話 自由に飛びたい」「第22話 遠いアルム」。フランクフルトへ来てからのハイジは悲しそうな顔が多い。


5/4(日)
北海道物産展でついワインを買ってしまった。やっぱり試飲に弱い。北海道ワインの、北島秀樹作 ミュラートゥルガウ 白の甘口。

昨晩と今日でみたハイジ。3巻「第13話 再び牧場へ」「第14話 悲しいしらせ」「第15話 ユキちゃん」「第16話 デルフリ村」「第17話 二人のお客さま」。そして4巻「第18話 離ればなれに」。

着飾ったデーテおばさんが3年ぶりに登場、ハイジをフランクフルトへ連れていこうとします。クララの話し相手に連れてゆくというわけですが、「クララは病弱だし何があるかわからない。そうなったら話相手のハイジに思わぬ幸運が舞い込むかもしれない」なんて薄汚いことも言うんでびっくり!

結局ハイジはデーテおばさんに騙される格好で山を降ります。姿の見えないおじいさんに「いってきまーす」と言ったり(ハイジは今日中に帰れると思っている)、連れていかれるハイジを見たペーターの大泣き、ペーターのおばあさんが見えない目で「行かないでおくれー」と窓を開けてハイジに向かって叫ぶシーン、おじいさんの落胆ぶり、とにかく号泣の第18巻、疲れました。

日記を書いたあとはすぐに眠るいつもは、「日記を書く≒一日の終わり≒眠る」。書いて眠るまでの間に何か真新しいことが起きる可能性は少ない。それに、起きたとしても、出来事のあとにすぐ眠ってしまうので朝になれば夢といっしょくたになって忘れてしまう。けれど、翌日が休みの日の夜というのは、日記を書くのが一日の終わりではなく、書いたあとにまだ起きていたりすることが多い。ただ起きているだけだったり、お茶飲んだり、甘いものの誘惑に勝てなかったり、本棚の前で表紙眺めてたり、そんなふうにただただゆるく時間が過ぎていく。ああ自由な夜だなあ。夜更かしにはいつまでも憧れつづける。


5/3(土)
下り電車に乗るとここまで行けるのです。小学校の遠足で芋堀に来て以来、街自体をちゃんと歩くのは初めて。駅前の交番で目指すところまでの道順を覚えてとりあえず歩いてみる。人が増えてきたなあと思ったら商店街もひらけていって、蔵造りの町並みに入ったらしい。あとは標識に従って菓子屋横丁に入ると大混雑。押すな押すなの大盛況。やっと抜けてからは来た時と反対側の道を歩いて戻って行くと、時の鐘があるのに気が付いた。地図もガイドブックも持たなかったけれど何とかなりました。

「まめ屋」(川越市仲町5-13)は、生豆、煮豆、炒り豆、とにかくいろんな豆をいろんな加工で売っている豆のお店。「くらかけまめ」なんて初めて見た。店頭も店内も試食だらけで、食べて選ぶことができる。「きなこまめ」「こがしまめ」を買いました。

お芋を使ったお菓子のお店があちこちにあって、どこが有名なのかわからない。帰り際に「天明三年創業」というのぼりに惹かれて(多分私は創業の古いものに弱い)亀屋(川越市仲町4-3)というところに入り、芋ようかんを買うことにしました。川越(黄色)、九州(オレンジ色)、種子島(紫色)の三種類。が、webを見てショックです。会社の近くにお店があったー。

小さな商店街のような一角にトルコの絨毯、キリム、小物類を扱っているお店を発見しました。小さなカウンターもあって、ドネルケバブ、キョフテ、ボレッキが食べられて、スープにトルココーヒー、そしてもちろんチャイもメニューに書いてある。店主は大沢たかおの『深夜特急』に出たと言っていたけど『深夜特急』をみた記憶が曖昧なので思い出せない。トルココーヒーは薄めだけどおいしかった。200円。

トルココーヒーは、トルコで飲める機会があまりなかった。ホテルの朝食で「チャイ? カフェ?」と聞かれること自体が滅多になくて、「カフェ」に喜んで頼んでみると「ネスカフェ」なのです。高級ホテルや高級レストランだったら普通に飲めるのかもしれないけど……。あるいは男の社交場チャイハネか? (おじさんたちが昼間から水パイプやTVやバックギャモンを楽しんでいるところ。女が入っていくと奇異の目で見られるので男の子と一緒のときしか入れなかった。)招かれたお宅で、そこのおかあさんに淹れていただいたのがたった一度の本場トルココーヒー体験でした。どろっと濃くて澱が残るのがいいのです。飲み終わったあと、澱の残ったカップを伏せてしばらく待って元に戻し、その形で占いをするという。

これから『アルプスの少女ハイジ』3巻のビデオをみます。

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Noviさんの日記(5/2付)の質問。集計が楽しみ。Noviさんには直接お答えしましたが、私の回答は「天つゆ。母が作ってました。東京都板橋区」。


5/2(金)
1日休みがあったのに長かった1週間が終わったー。三連休で考えているのは、「近くに出来たらしいスーパー銭湯に行く」「下りの電車に乗って観光地に行く」「毎朝電車から見える川に行く」「少し寝坊する」「ぶあつい本を読む」「薄い本を読む」「チェロのCDを聴く」「ハイジのビデオをみる」。

スーパー銭湯のことを知ったのは、電車の中でおじさんたちが話しているのを耳にしたからです。それからついでに言うと、今ハイジのビデオをみているのは、部内に全10巻を持っている人がいて女子の間でそれを順番にまわしているから。図書館のリサイクル図書(不要となった本。勝手に持ち帰っていい)のところに古い古い色も良く焼けたスピリ原作 吉田絃一郎『アルプスの少女』講談社,昭和27年 を見つけて運命を感じ持って帰ってきました。D.H.ローレンス 伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』新潮文庫,昭和39年 と一緒に。今の完訳の前の削られている版ですね。

ハイジといえば、シャルル・トリッテン 各務三郎訳『それからのハイジ』読売新聞社,1979および、同『ハイジのこどもたち』同,1980というのを持っているのです。ハイジの続編として書かれたものなんだと思う。母から譲り受けたのですが未読のまま色が変わってきています。

ジョージ朝倉『カラオケバカ一代』祥伝社,2002(→Amazon)。

パーフェクトボーイのくせに唯一、超人的オンチの男の子が、それがバレないように師匠の特訓を受ける。師匠といってもハーレーが欲しいけどお金がないから馬に乗っている謎の女。少女漫画の王道をネタにしたおかしな特訓が気恥ずかしくて笑える。とにかくメチャクチャな内容だけど疲れそうで疲れない。とにかく、バカすぎてどうしようって感じ。

併録の2つは普通に素敵な漫画。「猫日和」。男の子のところに本当に“猫”が戻ってきた。大切な“猫”。「星の名前」。毎日顔を合わせているのにわざと手紙を出すというシーンにぐっときた。書かれた内容に偽りはないのに、針ほどのきっかけでもう一つの本当が姿を現してしまう残酷さ。

江國香織編『活発な暗闇』いそっぷ社,2003(→Amazon)。

江國香織が選んだ詩を集めたもの。詩集は数えるほどしか持っていないうえ、一冊のすべてに目を通したものは片手で足りてしまう。でも、ときどきふっと手にとっては気に入っているものを読んだり、読んでいなかったものを選んで読んだり、小説よりもこちらの気まぐれにつきあってくれそうな存在。なので、小説を買うのは慎重になった今も、素敵な詩を目にしたりすると詩集ならば、と思ってポンと買ってしまう可能性は高い。

装丁もつくりも素敵な詩集。大切にしよう。

谷川俊太郎の「手紙」、ジャック・プレヴェールの「夜のパリ」。いいなあ。プレヴェールはいくつか載っていた。昨年亡くなった先生と一緒に読んだ「朝の食事」も。

八木重吉の「雪」という詩は、同じ題名を持った二つの詩が隣同士に並んでいます。どちらも選べないくらい素敵で片方はこういうの。

雪がふっている
さびしいから 何か食べよう

そして高見順の「ガラス」にとても惹かれた。

ガラスが
すきとほるのは
それはガラスの性質であつて
ガラスの働きではないが
性質がそのまゝ働きに成つてゐるのは
素晴らしいことだ

5/1(木)
安藤尋『blue』(日本・2001)@シネ・アミューズ

魚喃キリコ原作の漫画の映画化。

なにより驚いたのが音の悪さ。映画館の音響のせいではなく、あきらかに録音が悪いのだと思う。物音(何かを置くときの音、階段を下りる足音、紙をめくる音……すべて!!!)が大きすぎてうるさく、そのせいでペッタリと均一なメリハリのない音になっている。情緒もなにもあったものではない。

そして、女の子をきれいに撮らないのがイマドキなのかな、と思う映像。

漫画であれば自分の好きなペースの「間(マ)」で読むことができるけれど、映画になったときそこにある「間」が自分のとりたい「間」と合わなければだんだん苦痛になってくる。「長いなあ」「もっと削れるんじゃないかなあ」と感じてしまった。


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