日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0406.htm#20040606
2004年6月
6/30(水)
1年の半分が終わりました。6月はキリンジが“ごはん”だった気がします。雨を見くびっているわけではありません。
6/28(月)
精神科、24日のマンモグラフィの結果を聞きに外科、そして久しぶりに手術したとこの検診。精神科では眠り薬を倍量に、そして新しい薬(SSRI)を試してみることに(単価高けぇ〜!)。マンモグラフィの結果は問題なし。
それでは久しぶりのN先生との会話です。「1年前に検査したときの結果聞きに来てなかったじゃん」「多分大丈夫だと思って…」「まあ悪かったら今ごろ死んでるわな。じゃ、久しぶりに全部診ます」−検査−「悪いとこはどこもなし。ただし、恒例のけつえき検査ね」「それしなきゃだめですか?」「だめだめ」「怖いんです」「なあ〜に言ってるの、そんなやつは3回失敗してOKって(さいけつ室に)メモっとく」「げええ」「……ちょっと痩せた?」「ええ、ああ、はい。……注射が怖くて」「またそんなことを言うやつは。5回失敗OKにしとく」。看護婦さんに笑われました。先生、私はほんとに怖いんだってば……。
逃れられずにさいけつ室へ。怖い怖い怖い。部屋に入って座るなり看護士さんが、「……大丈夫ですか。横になってすることもできますよ」。そんなにひどい顔してたんだろうか? 「いえ、倒れたことはないんです。ただ怖くて仕方ないだけで」「じゃあ、さっさとやったほうがいいのかな」「はい、がんばります」。子供のセリフかよ、ほんとに情けないよ。いつも左腕だったので差し出すと「細いかな…」。!!! 血管が細いと言われたのは初めてです。怖がる割にはいつも太くてとりやすいと言われてたのに。最近食べてないからなあ、血管も痩せるんかなあ。「右腕でもいいですか?」と聞かれ「はい」と差し出す。これは勘だけど、細い針を使ってくれたと思う。いや、絶対そうだ。
今回ちょっと思ったのは、飲んでいる抗不安薬が効いているのではないか? ということ。もちろん、ドキドキするしハアハアするんだけど、程度がちょっと違う。気が遠くなる感覚がそれほどでもない気がした。気のせいでも自分が楽ならそれが一番。
にしても、やっぱり優しい看護士さんて天使だね……。
K.333の第三楽章にOKをもらった。カデンツァ弾くのが恥ずかしくて照れ照れだったけど先生にカッコいいって言われて嬉しかった。自分がだめだめなのも、お世辞とわかっていても、それでもやっぱり。一所懸命練習して先生に聴かせたいという気持ちが、私の中で大きな割合を占めている。誉めてもらえるとやっぱり嬉しいんだ。ピアノを弾くのは自分のためにだけじゃないんだなとレッスン後の帰り道、いつも思う。なんかすごく元気になって歩く。
6/27(日)
グールドの平均律1巻。う〜ん、今のところあまり面白く、ない……。たくさん聴きたいとはあまり思えない。
それよりも、キリンジの『スウィートソウルep』にはまりそうだ。いや、はまった。どうにかなりそう。効きすぎるのです。良すぎて、いたたまれない感情が心にざわざわして、心地良いのと反対側に向かってしまう。均衡を保って聴くことができますように。
6/26(土)
近所を6時間くらい外を歩き回っていた。道理で疲れるわけだ。久しぶりにセガフレードまで足を伸ばしてエスプレッソコンパンナ。
待ちに待ったピヒト=アクセンフェルト『ラスト・ピアノ・コンサート』が届く。ブラームスの作品117,118,119。静寂と瞑想と思索に導かれる。私はどこまでたどりつけるだろうか?
なんてカッコつけてますが、外歩いているときから鼻水やくしゃみが止まらなくてわけわからない。家に帰ってトイレットペーパー持って来て使いまくり。会社で男の人が机に載せてて使う方式を真似してしまった。恥も外聞もない!!!
6/25(金)
「雨を見くびるな」。風景がにじむのは目の端の涙のせいだ。
今ほとんど毎日泣いているのと言っても、さみしいとか悲しいとかせつないとか怖いとか不安とか、どの感情に分類されているのか自分で良くわからない。ただ、目に涙がにじむ。なにかわだかまっているものがあるような気がするけれど何のせいなのか積み木を積み上げるように順を追っていかないと清算ができないのではないか。だから、自分を憎んだり許したり肯定したり、自分の心に振り回される。どこから始めればいいのだろう。過去の出来事、自分のふるまい、罪と罰、いつからどこから償いをすればいいのだろう、
6/24(木)
『千と千尋の神隠し』をみた。同じところで泣いた。失われたものは思い出したら復活する?
今の私が、この映画の中では思い出を思い出したいものとして強く思っているのが不思議です。今のところ、この映画の中の記憶しかいらない。ただ、どうしてもお父さんとお母さんが嫌いです。嫌い。大嫌い。非常識で言葉の言い方に愛が感じられないです。
キリンジ『Archives』が届いた。やっぱり全部揃えて行こうと思う。「Drifter」は、なぜかそれだけで聴く気になれなくて、アルバムを流していてふいに始まるのが好きだ。
乳がん検診でマンモグラフィというのを経験した。胸をガラス板みたいのにはさんでレントゲン撮るのです。胸をぎゅーとつまんでひっぱられつつ挟んでくれるのですが、胸がないもんで、なんか寄せてあげるブラみたいだな、なんて思いました。技師のおねえさん、すみません。
朝はドトールでホットドッグ+コーヒー、昼はパン一切れと飲み物(何飲んだっけ)、夜はヨーグルト。これがやっと。食欲がない。薬を飲まなくてはいけないから何なら食べられるか考える。
大声で泣きたい。
6/23(水)
『3』の「エイリアンズ」「むすんでひらいて」「君の胸に抱かれたい」ばっかり聴いていて、すごくしゅんとして落ち着かなくて胸がもやもやしてくる。『For
Beautiful Human Life』もかけている。「愛のCoda」……。
朝の気分が夕方以降変化してゆく。1時間後の自分の気持ちが把握できない。裏切られる。
ショックだ。眠れない時の頓服眠り薬は、1回2錠だったのだ! 今まで1錠で飲んでいた(けど、効いてたからいいのだ)。
6/22(火)
『素晴らしき哉、人生!』と『千と千尋の神隠し』を借りたくなり、ひっさしぶりにTSUTAYAに行った。つかれた。『素晴らしき哉、人生!』をみて、うわああんと泣いたら少しすっきりした。でも、ラストよりも、少年の頃のバイト先での薬屋さんを救うエピソードに号泣。これは映画館でみたいけれど、家でみるように泣けないだろうからカタルシスをえられなさそうだというアンビバレンツ。
アンビバレンツってかっこいい言葉だから使ってみたかっただけ。
どうしてもどうしてもお酒が飲みたくて、栗リキュールのミルク割を飲んでいる。薬を飲むから本当はいけない。でも、飲みたかったんだ! ちゃんと2時間おいてから薬飲むようにします。
ブルース・リーの映画で悲しそうな顔をして闘うやつってなんだっけ。『燃えよドラゴン』か。ほんとにかなしそうな顔をするんだ。かなしい。
6/21(月)
いつも留守電にしている。録音が始まって知っている人だったら受話器を取る。母だったので出た。「なんか元気ないわね」というので、「まあちょっとね」なんて言って、「精神科に行って来たの。こういう症状でさ」って話したら気が楽になった。世の中には、精神科というものに偏見を持っている親もいると聞く。母の母(私にとっての祖母)が、かなり極端な神経質な心配性だったこともあって(いろいろエピソードがある)慣れているのかもしれない。母にとっては、ただ「悪いとこがあったから医者に行った」ってだけで、「まあ当分通えばいいんじゃない?」。母のそういうところに私は救われている。
17日に書いたことと随分矛盾してるか。私は単純だな。こうなったのは、小さいときに無理やり連れて行かれて歯を抜かれたせいだわ、あの時は本当に怖かった、と恨み言を言ったら、だってしょうがないじゃないの〜、なんて言い返されて、そっかしょうがないよね、なーんて私もかえってすっきりしたっていうか毒気抜かれちゃったよ。まあ、しょうがなかったみたいだから。でも、ついてないなとは思う。
リパッティからキリンジへ。17日には『Fine』のが好きだって書いたのにまた気持ちが変わっている。「エイリアンズ」からかけはじめたら眠れなくなりそうにせつなくて失敗したと思った。「むすんでひらいて」の“浮かばれたい”……とか耳に残ってるうちに「君の胸に抱かれたい」が始まっちゃったよ。「エイリアン」から「君の胸に抱かれたい」までの流れは大声で泣きたくなる、でも泣けなくて苦しい。なぜ。
ショコラの「宇宙のトンネル」と「光あれ」を聴く。
毎日気持ちが変わるのを音楽によって知る。
「寝る前にお飲みください」「眠れない時におのみ下さい」の文字を読んで安心する夜。言葉も音楽も偉大だわ。ふん、馬鹿みたい。
6/18(金)
今までに自分の周りで死んだ人のことを思い出した。
リパッティの弾く「主よ、人の望みの喜びよ」。なんてはかなくてさみしくてせつない音か。
6/17(木)
「必ず原因はある、思い出す必要はないけれど」、そう言われて、なぜこうなったのかの理由を考えていたら、嫌な記憶と同時に怒り(憎しみに近い)の感情が湧いてきて、考えが浮かびませんようにと祈った。過去のことを考えたって仕方がない。眠剤をもらってからずっと夢を見ずに済んでいたのに、久しぶりに見た夢は、母と喧嘩する夢だった。あまり言いたいことも言えず、それでいて母を泣かしてしまった。母のことを嫌いじゃない。だけど、私は未だかつて父にも母にも悩みを話したこともなく、きっと一生そのままだろうと思う。私は家族に対して長女という役割を演じている。それは特に苦痛ではない。むしろ、楽。ただ、母に、私のことを心配していない、妹のほうが神経が細かいから心配だと言われるとき、以前ならば「ひどいねー」で流していたけれど、例えば今それを言われたら私は電話を切った後に号泣してしまうだろう。母は私をお気楽で強い娘だと思い続けるだろう。それを裏切れない。父は男の子が欲しかったという言葉がときに私をしばる。勝手に自分をしばりつけている。楽だから。私は長女ではなくピエロなのかもしれない。
月曜日から良く泣くようになった。泣くというより勝手に涙がにじんでくる。悲しいんじゃなくて、たぶん、情けないんだ。自分が嫌いな涙だ。でも、眠りの質が良くなった。TVで見るものといえばニュースくらいしかないのに、禁止されている毎日は退屈だ。
キリンジの『3』を聴いている。『Fine』のほうが好きだと思う。でも聴きたくない。
6/16(水)
平均律を聴くとイライラしてしまう。ゴールドベルクはそうでもなかった。むしろ、聴きほれた。最後のアリアのひとつ前を聴いていると無性に……、本当に無性に悲しくなる。消える前の音楽なんだもの。さようならのひとつ前。ろうそくが消えゆく直前。ミスチルの「Sign」は好きなメロディーだ。だけど胸が痛くなるからきちんと聴きたくない。静かすぎてなにか音楽が欲しいと思う。だけど、何が聴きたいのか良くわからない。
「千と千尋〜」の飛翔シーンを思い出して涙がわーわー出てくる変な夜。
6/14(月)
夜に眠るのが怖くなってきたのと、自分の嫌いなもののイメージ(刃物やけつえき)が頭の中に不意に襲ってくる苦しさがいいかげんいやになったので、予約してた精神科に行って来た。ああいろんなこと聞かれるんだなあと思った。でも、あまり関係ないような気がした。今までの経緯に絡む怖い説明をしていると怖くて涙が出そうになるし、取り乱してしまって、身体が勝手に震えたりめちゃくちゃな動きをする。本当に私はダメなんだと実感してしまった。ニュース番組は見ないようにと忠告された。えげつないお笑いも避ける。落語ならいい。人と会うのも特に努力しなくていいのでは、とか。
薬もらって少し安心したけど、眠る前にそれを飲むのが怖い感じ。というより、「夜が」怖いんだろう。
それにしても今日は一日中眠くて仕方なかった。眠さで不安を麻痺させるようなものなんだろうか、薬は。どう考えても私の不安の原因を薬以外の「慣れ」で治していくのは無理だ。高所恐怖の人が少しずつ高さに慣れていくったって、それを怖い人にとってはどんなに恐怖だろうか、と想像しただけで震えてしまう。それを自分の怖いものに置き換えたらとても無理だと思うから。けつえきや外傷の恐怖症なんて、避けようと思えばなんとか避けられるわけだし。
6/13(日)
『下妻物語』の好きなシーンで「盗んだバイクで走りだす〜」という歌が使われていて、全部聴いたことはないのに尾崎豊の「15の夜」だとわかることの不思議。CDsgを買って初めてちゃんと聴いた。やっぱり、あのシーンとこの歌の組み合わせは素晴らしく素敵だと思った。本当にあのシーンはせつない。
6/10(木)
新聞配達のバイクの音が聞こえて、そろそろ外は明るいのだろうか、とカーテンを開けたらまだ暗かった。お兄さんが新聞を配っているのが見えた。ニット帽をかぶり、まだ若く、遠目にはカッコイイ系の。尊敬します。
6/6(日)
中島哲也『下妻物語』(日・2004)(→公式サイト)。本当に、とても良かった。みている間、元気になる。漫画的なキャラクター群が実写でピタッとはまったら最高、という見事な例。14歳のイチゴがパジャマ姿で自転車疾走のシーンでは涙が出そうで困ったけど、涙が出そうになるシーンはここだけではなかった。深田恭子も土屋アンナもどちらもいい。というより、出演者全員がピタッとはまり役、素晴らしいテンションで物語というパズルを作り上げていた(篠原涼子はやっぱりすげえ)。
今回、はじめてe席リザーブを利用してみた。+100円だけど、自分で席を選べるしストレス感じることがなくて良かった。