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読後メモ index

2013.032013.05

日記の フリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。

e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary1304.html#yyyymmdd


2013年4月

その他


4/30(火)
見るときはいつも、反対のホームにいた「みどりの山手線」。きょう乗れましたー。懐かしくてちょっと嬉しい。乗ってしまえばあとはどうっていうこともない のですが……。

4/28(日)
午前中はエアロへ。いったん家に帰って荷物を置いてから、新宿のボンベイにカレーを食べに行こうと思ってたんだけど、結局少し近いロータスパレス池袋店に しました。ベトナム料理のお店です。ここのカレーランチは満足度が高い(ちなみに、ボンベイだとマトンカリーとカボチャカリーのセットにすることが多 い)。
カレー、ライス(白米か黒米)かバゲット、サラダか生春巻き、鶏のフォー(ハーフサイズ)、チェー(ベトナムのぜんざい)。カレーにはいつも鶏肉がゴロゴ ロ入っていて、フォーも生春巻きも、もちろんおいしい。チェーは小さなサイズだけど、食事の量が多いので、むしろちょうどいいのです。

BSも録れるタイムシフトレコーダーは出てた!

というわけで、その後は、ビックカメラでパナソニックのタイムシフトレコーダーの値段を見に行き、頼りない接客に大丈夫か?と思ったあと、ヤマダ電機に移 動して同じ機械を探していたら、その後の接客態度に感心。こんなに違うものかと思いました。
家にはアレックス・シックス(ARecX6)の全録マシンはあるのですが、映像は粗いしBSも録画できません。でも、全録を使ってみてテレビの見方が変わ る便利さを実感しました。それで、BSも録画できるようになったパナソニックはいいなあと思っているわけです。高いので、おいそれとは買えないですけ ど……。でも、本当に全録は便利で使えます。

その後、池袋のコミカレカフェにワッフルを食べに行きました。コーヒーのおかわりは100円です。100円引きじゃなくて、100円なのです。

東急ハンズ1Fでは、ゆるキャラグッズを集めて売っていて、こうやくんも来ていたのでクリアファイルを買い足し。叫びの壷が欲しかったんだけど、どのジャ ンルなのかわからず見つけられなかった。店員さんに聞くのも恥ずかしいし……。それから、フィリップスのノンフライヤーを見たけど、あまりの大きさにびっ くりしました。欲しい気持ちが冷静になれる大きさだったわ。

NHK-BSで『真夜中のパン屋さん』が始まったので観てみました。

備忘録として。明治の「ストロベリーチョコレート ジューシーいちご」はものすごくおいしい。きょうは食べ物の話が多くなりました。

4/26(金)
E・C・R・ロラック 藤村裕美訳『悪魔と警視庁』P・D・ジェイムズ 羽田詩津子訳『高慢と偏見、そして殺人』を読み 終わりました。
これは、ジェーン・オースティン『高慢と偏見』が未読でもちゃんと楽しめます。むかーし読んで、その時はあまり印象に残らなかった。ところ が、『〜、そして殺人』のプロローグに書かれているそれまでの経緯を読むと、こんなに面白い話だったんだ? と思う。さて、人間観察という意味でいつもの P・D・ジェイムズなんだけど、わりあいサラッと読めてしまう。難渋することはないと思う。だからこそ(?)、P・D・ジェイムズを初めて読む人にこれを 勧めるかと言われると、それはないな、と思うのだった。

4/20(土)
わけあって自分の履歴を思い出す必要があり、この日記を遡って出来事を探したりした。1998年からだらだらと書き続けた日記は今回とても役立った。
昔は毎日たくさんのことを書いていたのを知る。それだけいろいろ経験をして、書く気力もあったということだろう。集中して映画を観ていたり、人と たくさん会っていたり、今よりも行動力があり、吸収しているものも多かったようだ。疲れなかったのかな。なんかちょっと「リア充」みたいだった(リア充と いう単語を使ってみたかった)。
そして、読んでいて少し胸がせつなくなった。

11日の日記で、人見知りって書いたあとにそうではないような行動も書いたけど、やっぱり人見知りだよ。友人であっても複数になると途端に緊張する。友人 で緊張ってどうなの、って思うけど、仕方がない。

4/11(木)
3月に疲れたなと思うことが多くなり、休みを取ろうと考えていた。今年の冬は風邪を引かずに済んだので、良くも悪くも有休を取ることもなく過ごして来た。 使わないともったいない。で、きょうがその休み。
家でだらだら過ごすつもりだったんだけど、それもなんだかもったいない気がして、何をしたいかと考えてみたら、神社にお参りか、温泉と頭に浮かんだ。神社 もいいけど、行きたいところは交通の便が悪い。草津温泉に行きたい! と唐突に思ったものの、やっぱり日帰りするには遠いし、交通費だけでお金がかかる。
結局、ランチを食べてリフレクソロジーということに決めました。おいしいもの+リラックスです。
ランチに行ったのは、2回ほど行ったことのあるフレンチ。11時半の開店と同時に行ったら、私同様、女性一人が入るところでびっくりした。食事を終えて出 るまで私たち二人だけだった! 話しかけても面白いかなと思ったけど、一人を楽しみたい人だったら邪魔だろうし、お店の人に「写真撮ってもいいですか?」 と聞いていたので、考え方が違いそうだと思ってやめておいた。自分でもおかしいと思うが、いい年して人見知りのくせに、全然知らない人だとわりと平気で話 しかけられる(たぶん)。ちなみに、洋服を見に行って店員さんと話をするのも、美容院で話をするのも嫌ではない。全然平気だ。
さて、その後は特にウィンドウショッピングをするでもなく、予約をしたリフレクソロジーへ。今まで外からじゃわからなかったけれど、中にいるとお客さんが たくさん来るのがわかった。客の入りって外からわからない不思議なものだ、と思った。
入ったとたん、お店の若い女の子が3人ほどニッコリお出迎えで、それだけで癒されてしまった。久しぶりのリフレクソロ ジー。このお店は初めてですが、半個室でリラックス度が高い。横になったまま、ホットアイピロー+肩にもホットピローでリフレを受けて、すごーく満足。 45分ってあっという間だ。
それにしても、サービス業の接客ってすごいな……と本当に思う。クレンジングを買いに行く、ダイエーの中のドルティアのお姉さ んもすごいんだよなあ(ほぼクレンジングしか買わないのに嫌な顔しな い。サンプルをくれて紹介はするが、勧めてこない。接客中に電話が鳴ったときのこちらへの対応。……いろいろ勉強になります)。都内デパートの化粧品売場 で彼女たちより素敵な接客をしてもらった記憶はまだない。
今週はあと明日のみ。がんばる。

4/7(日)
友人宅で集まることになっていた。彼女のうちまでは、某JR線を利用すると近い。が、その線は、風に弱いのだ(最近少しは強くなったらしいんだけど…)。 駅のホームで待つも、隣の駅からは徐行運転をしていて予定時刻より10分程度遅れての到着予定とのアナウンスが入る。そして到着すると今度は「次の駅まで 行って、運転見合わせとなりますー」。これではどれだけ時間がかかるかわからないなあと乗らずにしばし考える。次に来た電車は「当駅で運転見合わせ」。別 の路線を使うことも考えたけど、ずいぶん時間がかかるし、今後の状況で帰りが大変になってもなあと判断。友人たちへはメールで事情を説明し、今回はあきら めますと伝えました。

2時を回っていたので、お腹が空いて仕方がない。月一で内容が変わる駅ソトスイーツ(?)にシェリュイが来ていて、カヌレを売っていたので買う。途中のド トールでミラノサンドも買う。家を出て帰宅した頃には1時間半経っていた。自宅から2つ隣の駅まで行って帰って来ただけなのになあ。

エビ・ツナトマトと半熟タマゴのミラノサンドは、ツナとトマトじゃなくて、ツナがトマトで和えてあるのがおいしかった。カヌレは大好きなので、久しぶりに 食べられて嬉しい。集まりに行けなかったのは残念だったけど、少しは慰められた。

食べたあとは眠くなって昼寝。

ちなみに、電車の遅延情報を知るためによく利用しているのが、ジョルダンライブです。そして、遅延していな いときでも時々見てしまいます。書き込んでいる人の性格やそのときの状況が垣間見えるのが好きで。

4/4(木)
2日に書いた、「あたしいくらかあなたを慕っていたように思うの。」という表現について。
「慕って“いる”ように思う」では、意味が違ってくる。それはイコール「あなたのことが好きみたい」なのですから、相手も反応のしようがあるし、未来も感 じられる。でも、「慕って“いた”ように思う」は、未来がない(想定していない)言葉なんだ、と思いました。言っている人の中で完結してしまっている。相 手も反応の仕方が難しいし、そもそも期待していない。

時々寝言を言っているらしいので寝言の録音アプリを試してみたものの、なかなか捕獲できない。録音強度の設定が難しいです。

4/2(火)
4月は新年度の始まり。私自身の仕事はなんら変わらないんだけど、新年度なりの環境の変化があって微妙に緊張しているのが自分でわかる。なんとなく胃が重 かったり、寝付きが悪かったり、気分が少し落ち込んだり、やたら心配性になったり。始まってしまえばかえって落ち着くんだけど。

『レ・ミゼラブル』は読み終わりました。印象に残ったところを取り上げるとしても、まとまりのない長文になりそうですが、書いてみます。

私が気になっていたことのひとつが、ジャヴェルの自死。原作を読んだらそれを理解できるのかな、と期待していた。結果としては、完璧に理解や納得したとは やはり言えない。私自身には未だ「確実なものがなくなった経験」がないから。ただ、それが自身の存在を揺るがすであろうことは、理解の範囲ではあります。
そして、私が誤解していたことがある。私は、ジャン・ヴァルジャンとジャヴェルは共に神に向きながら表す行動が異なる存在なのだと思っていた。でも、どう やらそうではなかったようなのだ。というのも、ジャヴェルは、自分の考えに変調を感じるまで、「神という他の上官のことをほとんど考えてみなかった」とい う。そしてここから続く数行がとても印象に残る。

この神という新しい主長を彼は意外にも感得して、そのために心が乱された。
彼はその思いがけないものに当面して困惑した。彼はその上官に対してはどうしていいかわからなかった。今まで彼が知っていたところでは、部下は常に身をか がむべきものであり、背反し誹謗し議論してはいけないものであり、あまりに無茶な上官に対しは辞表を呈するのほかはなかった。
しかしながら、神に辞表を呈するにはいかにしたらいいであろうか?                第四巻(pp.391-392)


この「神に辞表」ってところで、うわあと思った。私の中にはない感覚でありながら、妙に説得力のある表現。彼の自死へ至る思考の流れにおいて、かなり重要 な考え方ではないかと思った。

・エポニーヌの最後のセリフ「ねえ、マリユスさん、あたしいくらかあなたを慕っていたように思うの。」
七瀬シリーズでも、死に際に同じようなセリフがあったなあと思い出したんだけど、「私はあなたが好きだった」と断定しないところが同じなのです。「好き だった」ではなく「好きだったのかもしれない」という表現を選んだその気持ちってどんななんだろう? と思いを馳せる。言い切らないのはなぜ? 好きだっ たのかもう考える時間がないから? これから生きる相手に対して死にゆく自分の存在を強めてはいけないという遠慮? たぶん、いろいろな文学作品に存在し ている表現なのでしょうが、好きな表現方法です。切ないから、ですかね。

・テナルディエのような男からよくまあ、あのような子どもたちが生まれたものだ。鳶が鷹をうむ、か。

・有名な地下水道の描写は思ったより長くなかったと思う。『レ・ミゼラブル』における横道的な話は正直退屈なんだけど、その後それに人物が絡んでくるた め、人物たちの状況がいかに大変なのか等、人物の気持ちを体験するには必要なんだなあとその度に納得した。それでもやっぱり退屈だったけどね。

・ジャン・ヴァルジャンの死に際にミリエル司教が見えていた様子なのは、ぐっときました。というか……、やはり1巻におけるミリエル司教の生い立ちからそ の行いまでの詳細は本当に本当に良かった。

・作者は、ジャン・ヴァルジャンが死んだところで物語を終わらせず、あと一章を追加している。その名も「草は隠し雨は消し去る」。彼の死からどれくらいの 年月が経ったのかわからないが、かなりの寂寥、無情を感じる内容。物語に余韻を与える意味では正しいとは思う。

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