20022. 5.28
火箱岩洞窟 |
山形県高畠町には、日向洞窟、火箱岩洞窟、一の沢洞窟、大立洞窟とあまり距離を置かず4つの洞窟がある。
所謂、洞窟・岩陰居住跡の遺跡であり、古い遺跡で縄文時代草創期まで遡るという。
この地域に広がっていた湖で魚を捕り、山に獣を追い、野に草や木の実を求めていたようだ。
(今は小さくなり「白竜湖」と言う名前で南陽市赤湯に残っている)
ここに住んでいた人々の文明が進み、やがて竪穴住居の普及とともに洞窟住居は減少したが、
猟や漁をするためのキャンプ地として利用され、長期にわたって利用されていたらしい。
4つの洞窟を見終わり、その日は近くにある蛭沢キャンプ場で一泊した。詳細はこちら
火箱岩洞窟は
この山の中腹にある。車を止めて
さらに歩いて登るいかにも浸食・風化によって作り出された入り口 こちらが上洞(?)
上、下洞とも奥へ進むのは困難。
この洞窟に関する説明があったので、そっくり引用↓ |
火箱岩洞窟 火箱岩洞窟は、南東に開口する上下二つの 洞窟によりなり、それぞれ火箱岩上洞、火箱岩下洞と呼称します。 上・下洞とも凝灰岩による巨岩で、浸食、風化によって作り出されたものです。 本洞窟は、昭和35年(1960)安彦好重氏らによって発見されたもので、その後、 山形大学柏倉亮吉教授によって、昭和36年から同38年にかけて、前後三次にわたる発掘調査が実施されました。 第一次調査は上洞及び下洞入口部、第二調査は下洞、同奥部、第三次調査は下洞内及び洞外岩陰部について それぞれ調査しています。 その結果、上洞は縄文時代前期から古墳時代まで、下洞は縄文時代草創期から古墳時代まで利用された 洞窟住居跡であることが確認されました。 特に下洞は、上洞と比べ規模が大きく、上部を除けば堆積土層が良好に遺存していたため、 三次にわたる調査も主として下洞に集中して行われています。 多くの出土遺物が得られましたが、中でも下洞W層からZ層にかけて出土した隆起線文土器、爪形文土器、押圧縄文土器などの 各土器群は、良好な状態で検出され、土器の変化をよく示しています。 これらの層位的事実は、縄文草創期の土器編年を秩序だてる重要な役割を果たすとともに、草創期文化の種々の問題に対して 貴重な資料を提供しました。 昭和54年4月26日 国指定史跡指定 高畠町教育委員会 |
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