一の沢洞窟
一の沢洞窟遺跡群は、昭和33年(1958)佐々木洋治氏によって発見され、
同年8月、日向洞窟の第三次発掘調査中であった東京大学山内清男博士、山形大学柏倉亮吉教授の両氏により
縄文時代から古墳時代へかけての洞窟や岩陰をを利用した住居跡であることが確認されました。
遺跡は、三箇所の洞窟、岩陰より構成され、一般に「一の沢洞窟」と呼称されているのは、
最も西側に位置する第T岩陰遺跡のことです。
昭和33年秋、翌34年夏の予備調査を経て、昭和36年(1961)8月、高畠町教育委員会、
山形大学によって本調査が実施されなした。中でも、第T岩陰の調査では、縄文時代から古墳時代にかけての土器や
石器、人骨などの遺物が多数出土し、特に第四層、第五層から出土した押圧縄文土器、絡條体圧痕文土器、爪形文土器、
隆起線文土器などの土器群と、これらに伴う有舌線頭器、有茎石鏃、矢柄研磨機などの一連の石器群は、
縄文時代開始期の遺物群として新たな資料を提供するとともに、その後の縄文時代草創期研究に大きく貢献しました。
一の沢洞窟遺跡は、日向洞窟遺跡と並ぶ、我が国においても数少ない縄文時代草創期の洞窟、岩陰遺跡として、
昭和55年9月10日、国指定史跡として指定されています。
−高畠町教育委員会−
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