「お金の成り立ち」から考察したお金の性質は
また、ベビーシットクラブの話から、商取引によって獲得したチケット(貨幣)ではなくて、印刷して配布されただけのチケットでも、(印刷、配布の量が適切ならば)それにより経済取引が円滑に行われることが分かりました。
そのような考察を踏まえると「お金」とは「債権・債務」と言う性質と、「交換のための決済手段」と言う二つの性質を併せ持つもののような気がしています。(ちょうど自然科学で言えば、「光」が「粒子」と「波」の性質を併せ持つように)
ここで、単なる「交換のための決済手段」について考えてみましょう。「貨幣」を相手に渡せば、受取った人はその代償に何らかの「財やサービス」を相手に渡さなければなりません。「財やサービスを渡す」という債務を履行した時点で、貨幣の所有権は受取人に移転します。このように考えると「貨幣」とは、その所有者にとっては「財やサービス」を受取れる「権利(債権)」であり、その受取人にとっては「財やサービス」を相手に渡さなければいけないという「義務(負債)」であると言えます。その受け渡す対象物を「財やサービス」と言う言葉で表現すれば「権利・義務」であり、「貨幣」と言う言葉で表現すれば一般的には「債権・債務」と表現するだけの違いです。
このように考えてくると、冒頭で確認した二つめの性質「交換のための支払・決済手段」も結局は「債権・債務」としての性質とつながっていると思われます。
紙幣のルーツである商業手形(債権・債務)は、まず先に「商取引」があってこそ生まれます。貨幣を「債権・債務」として捉えるなら、「商取引」の量を上回る貨幣の量は望めません。しかし、ベビーシットクラブの話などからすればまず(商取引よりも)先に、ある程度の貨幣量がないと経済がうまく回らないのではないのでしょうか。その「先にあるべき貨幣」というのは政府(または中央銀行)が印刷するしかありません。
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