記事No | : 1621 |
タイトル | : お伽話と常見 |
投稿日 | : 2012/08/24(Fri) 10:15:05 |
投稿者 | : 桃青 |
「久遠のいのち」が、何故、説き手、聞き手によってお伽話にされてしまうかといえば、理由は簡単です。
それは、
説き手、聞き手が、「常見」をもって、久遠のいのちを理解しているからです。
口で諸法実相、を唱えながら、
現実の実相を見ないからです。
現実の生死の実相を見ないで、生まれてどこかで身に付いた「常見」を表象として、表象ばかり見ているからなのです。
*表象:哲学・心理学で、直観的に心に思い浮かべられる外的対象像をいう。知覚的、具象的であり、抽象的な事象を表す概念や理念とは異なる。心像。
せっかく、現実の生死の実相(空相)を「久遠のいのち」と表現しているのに・・・・。