記事No | : 1877 |
タイトル | : Re^7: アレクサンドリア |
投稿日 | : 2013/02/05(Tue) 12:26:10 |
投稿者 | : 桃青 |
> 桃青さんがかなり某M教にこだわっているようなので、老婆心ながら不用意な発言をしてしまいました。
そうですねー。
私は、「モノの見え方」といったものに興味がありましてね。
某M教にこだわるというより、某M教が説いているところの
「世の中というものの見方、考え方」「人間というものの見方、考え方」
にこだわっている、と言ったほうがいいのかな?
私は小学生のころ、眼を閉じたり、開けたりして遊んでいる時、
ふと、
「私が今見えているように、他のひとも見えているのだろか?
私は、私が見えていると同じように他のひとも見えているに違いない。と、思いこんでいたけれど、もしかしたら、私とは全く違うものが見えているんじゃないだろうか。」
と、いう疑問が湧きましてね、不安な気分になったことがあります。
その後、様々な知識を得るに従って、その子供の頃の気付きと不安は正しかったのだ。と知らされましたが・・・。
様々な知識の詳細は省きますが、例えば仏教には
「あなたの見ている夕陽の赤は、彼の見ている夕陽の赤と同じや否や。」
というような問い掛けもあるくらいですから、私の気付きと同様な気付き、感じた不安と似たような不安は古今東西当たり前に存在するものなのでしょう。
人間て、ねー、ほんと色々なモノの見方をするものなんですよねー。
私は、世の中なんとかもう少し穏やかに一生を全うすることを願うひとの願いがかなうような世の中にならないものか。
と、いつも思っているものですから、穏やかに一生を全うすることができる社会を造らせないものは何か、ということも考えるわけです。
で、その俎上に上がって来るのが、某M教的モノの見方、考え方、というわけなのですね。
某M教的なモノの見方、考え方は、決して「穏やかに一生を全うしたい。」という願いがかなう社会をもたらしてはくれないなからです。
某M教的モノの見方、考え方をするひとは某M教の中にだけいるのではない。
世界中、どこでも、いつの時代でも、もちろん今の日本の仏教徒の中にもいるでしょう。
私は、「穏やかに一生を全うしたい。」
と願いが強いので、「なんとか穏やかな社会にならないものか」と、切望するわけですが、世の中には、なんと
「穏やかな日常では生きている気がしない。
日々何もない穏やかな日が続くと考えるだけで頭の中がおかしくなりそうだ。」
と言われるかたも実際におられますからね。
そのかたは、願いどおり、あっちでトラブル、こっちでトラブルを起こし警察の御厄介にもなり、ヤクザに追いかけられ、でも、生き生きと駆け回っておられました。
某M教の教祖のキャラも、そのかたのキャラにちょっとかすっているんじゃないか、と思っているのですけどね、某M教の教祖に実際に会ったことがないから、なんとも・・・。
そうそう、某M教の教祖は様々な啓示を受けるわけですが、この状況が興味深い。
「その時(神、天使の)声が背後から聞こえた。」という記録があるそうですが、
これの何が興味深いかといえば、「右肩後ろに誰かいる。」「右肩後ろから誰かがささやいた。」という幻覚は(幻覚が現れる原因は様々ありますが)幻覚としてはごくよくあることなのです。
例えば、宇宙飛行士で後にキリスト教の専門職なられたかたは、右背後にいる神と共に宇宙に青く輝く地球を見た。という体験を語っておられますし、神戸のA少年も確か「右背後に誰か(神?)がいた」と語っていたような・・・。
中村稀明先生の著作にも、「右肩後方から自分を見ている誰か」の存在を語る統合失調症の少年の話があります。
たぶん、某M教教祖の啓示を受けている状況が生々しく語られれば語られるほど、精神科医はある種の結論を出すのではないかな。
某M教の教祖の啓示が幻覚という人間に起きる普遍的な現象であるからダメだ、と言いたいのではないのですよ。
幻覚を通して、「何を」語ったか。ということです。
> 某M教に限らず日本人にはキリスト教は合わないようです。
最近は若い世代を中心にキリスト教人口が増えているそうですから、日本人に合わないということでもないでしょう。
> タレントの斉藤由紀さんは某M教の人と結婚したそうです。某M教は信者間の結婚を奨励してるようです。
>
>
選民思想には「血の純潔」思想が入り込みやすいですからね。
血の純潔思想に取り憑かれると、それは必ず差別排除という行動となって現れます。
「穏やかに一生を送れる社会」には邪魔な思想だなあ。
血の純潔思想も某M教だけに現れるのではない。
選民思想も血の純潔思想も優越感の心地よさを与えてくれるので、一度取り憑かれるとそこから抜け出すのは難しいですよー。
某M教会が教会員同士の結婚を奨励するのも、強烈な優越感を与えて教会から離れられなくするためかもね。