記事No | : 1906 |
タイトル | : 「キリストの愛」を理解させるシスティマティックな方法とは |
投稿日 | : 2013/02/15(Fri) 10:42:52 |
投稿者 | : 桃青 |
オムナイさんの「某M教会には、キリストの愛を子供でも理解できるように説く方法がある。」
という言葉を真に受けて、「改宗する気もないのに、レッスンを受けては失礼ではないか?」と、迷いながらも、「あの難解なキリストの絶対愛を子供でも理解できるとは、どんな方法なのだろう?知りたい」という欲求抑えがたく宣教師のレッスンを受け、後に当のオムナイさんから「信じたの?そんなものあるわけないでしょう。」と、笑われた私でしたが、その後、確かに某M教会には、そういうシステムがあることはある。と気がつきました。
ので書いてみます。
ちなみに、ここで某M教が言っている「キリストの愛」とヨーロッパ系伝統キリスト教でいうところの「キリストの愛」とは、言葉は同じでも内容が違うということを御留意ください。
また「救い」「福音」も某M教会のそれと、伝統教会では、使う言葉は同じでも内容において違いがあります。
某M教会で行われている教理を教えるシスティマティックな方法とは、
「AとはBである。」と告げる。
その後、「Aとは何ですか?(あるいはBとは何ですか?)」と質問する。
質問されたほうは、「AとはBである。(あるいはBとはAである。)」と、答える。
すぐ前にAはBである。と言っているので、余程のへそ曲がりか、すぐ前に聞いたことでも記憶にとどめておけないような者でないかぎり、AはBである。と答えるでしょう。
「素晴らしい。よくできました。」と褒める。
褒められると気分が良いということを学習する。
これを繰り返す。褒められたさに、質問に対して「AとはBである。」と答え続ける。
そのうちに、褒められなくても、「AとはBである。」と、思っただけで、気持ちがよくなる。
気持ちが良くなるので、ますます「AはBなのだ」としか考えられなくなる。
これが、某M教が教会員に「キリストの愛」をはじめとして、某M教の教説を刷り込むシステマティックな方法です。
昨今、論議の声が大きくなった
「褒めて育てる」か「体罰もやむなし」なのか、
という問題を考えるヒントにもなりますね。
「褒めて育てる」なのか「体罰もやむなし」なのか
動物に芸をしこむのにも「出来たら餌を与える。」方法と
「命令に反したら、ムチで叩く」という方法があるようなもので、
例えば、トラに芸を仕込むのに、火の輪を飛んだトラに肉を与えてハグするという方法は危険だ。
さて、人間は餌につられて芸を覚える犬に近いのだろうか、ムチの痛さを覚えて火の輪を飛ぶトラに近いのだろうか。
煽てれば木にも登って行くブタ、ということもある。な。