記事No | : 1909 |
タイトル | : 団扇太鼓のこと |
投稿日 | : 2013/02/16(Sat) 09:42:17 |
投稿者 | : しんのすけ |
> > > 日蓮宗が盛んになる前に、は白装束に笠をかぶり整列して民家の軒先でこのように念仏を法華宗のみなさんが唱えたそうです。
*法華が念仏を唱える事は絶対ありません。お題目です。
念仏とは一般的には、浄土教系の仏教教団において合掌礼拝時に「南無阿弥陀仏」と称えることです。
太鼓を叩くのは、毒鼓の縁といって、『涅槃経』巻9の「たとえば人ありて、雑毒薬を以ってこれを用いて太鼓に塗り、大衆の中において、之を撃ちて声を発(いだ)さしむるが如し。心に聞かんと欲すること無しといえども、之を聞けば皆死す。唯一人不横死の者を除く。是の大乗大般涅槃経もまたまた是の如し。在々処々の諸行の衆中、声を聞く者あれば、あらゆる貪欲・瞋恚・愚癡を悉く滅尽する」を典拠として、日蓮上人が法華経もしくは南無妙法蓮華経の題目を聞くことにより、末法の逆縁の衆生もこの妙法を聞かせることによって縁を結ばせて、 発心し修行すれば成仏が可能で、将来必ず救うことができると説いたことから、太鼓を叩きながらお題目を唱える修業ができたのですよ。
念仏のように心に仏を念ずる、自行ではなく他に働きかける化他行ですから間違えてはこまるのです。
ただし、太鼓を打つのにどうしても心が奪われててしまい、お題目の発声、心の集中がおろそかになるということで私の宗派では団扇太鼓は持ちいません。
ちなみに、以前TVで宮沢賢治が団扇太鼓をもって歩き回るシーンがありましたが、あれは真実ではありません。ただ、他宗派の法華信者の方と打った事はあるのかもしれませんね。