記事No | : 1514 |
タイトル | : 「何も無くなるというわけでもない。」 |
投稿日 | : 2012/05/14(Mon) 10:53:47 |
投稿者 | : 桃青 |
仏教の僧侶はもちろん、在家等の先師たちに
>死とは、身体の機能が停止して土に帰り、魂(感情や感覚や知識)は虚空に消え去り無に帰す。
「↑なのではないですか?
宗教が死後の世界を説いたり、輪廻を説いたりするのは、
そうしたほうが、社会の秩序を維持するために便利だからではないですか?」
という問うと大抵、
「仏教では、死んだら何も無くなるわけでもない。有るわけでもない。と言っています。」
と、答えられることが多いでしょう。
仏教が説く「無自性」を知らないままに、こういう返事をもらうと、
「相変わらずの禅問答か、わけがわからない。」
「有ると無いと、相反するものを並べて、そのどちらでもない。と言って誤魔化そうとしている。」
と、質問したほうはがっかりするか、
「私などには到底理解できない境地でいらっしゃる。」
と、答えた者を仰ぎみてお終いになるか・・・。←案外こちらを狙ってたりして。(失礼)
答えるほうは、素人さんをがっかりさせているんだ。ということを知っていてこう答えておられるのでしょうかね?
せめて「空や無自性を知らなければ、理解できないのですよ。」とでもヒントを与えてくださらないと・・・。
この答えは、「(無自性なる)私を私たらしめているものは何か。」を知れば、なるほど、そう表現するしかないのだろうな。と、解ってくる。
私は、この「無いとも言えず、有るとも言えず。」で言わんとしていることが、たぶん解ってしまったので「死」そのものへの恐れはなくなったような気がしています。
なのでいくら死後の世界の姿を説かれても、それに惑わされることは全くありません。
「死」そのものへの恐れは無くなったのですが、お別れしたくないひとと別れるは辛いだろうな。
あれやこれや気がかりなことの、その後を見届けることができないままで逝くのは、どんなに心残りで辛いことだろう、と思います。